夕虹を呼ぶ歌 第五話 砂漠の郷は夕暮になると活気づく。太陽が紅に染まっていくのをエヴァイルとルーベンが眺めていると、ティシェリとリーメルがやってきた。 「ごめんなさい、抜け出して来るのに手間取ったの」 少女二人は息を整えながらそう言った。ルーベンは笑いながら、エヴァイルは特にといった表情を浮かべないままで「いや」と言う。 ティシェリは小鳥のように小首を傾げて聞いた。 「ねぇ、早速だけど、どこに行きたい? 花畑? 大広場? 大通りの露店はもう見たわよね。中央塔は? 郷で一番高い建物なの」 ルーベンは肩をすくめ、お前が決めろと言うようにエヴァイルを見た。エヴァイルはティシェリに目を向けた。彼女は息を詰めてエヴァイルを見つめる。 「郷全体が見渡せるところはある?」 「じゃあ中央塔ね」 ティシェリはぽんと手を打った。 「今なら日の入りに間に合うわ。こっちよ」 四人は大通りを郷の中央に向かって歩き出した。 ティシェリはエヴァイルに郷のことを良く知ってほしくて、道行く途中の観光スポットを一つ一つ丁寧に紹介した。 「あれは給水塔よ。川から引かれた水はあの中に貯めておかれるの。だからデイルでは水に困らないのよ」 花屋を見つけて、指差す。 「ほら、だからデイルの特産物は花なのよ。砂漠の郷には珍しいでしょ?うちでしか育たない花だっていっぱいあって……」 そしてティシェリはふと、エヴァイルが自分を見つめているのを見つけた。頬に熱が広がる。ああ、恋をするということは、こんなことでこんなにも恥ずかしくて嬉しくなることなのか。 エヴァイルは言った。 「ティシェリは本当に、この郷が好きなんだね」 ティシェリは微笑む。 「そうね、大好きよ。もっとも、この郷しか知らないのだけれど」 ティシェリは軽やかに歩きながら言った。 「だから、一度くらい郷から出てみたいの。世界は広いのに、塀に囲まれた箱庭の中しか知らないなんて、退屈じゃない?」 ティシェリは振り返って笑う。 「だから実を言うと、旅人もいいなぁ、って思うの」 「そんなに良いものでもないよ」 エヴァイルは言い、ティシェリの腕をやんわりとつかんで引き寄せた。びっくりしたティシェリは気が動転しそうになった。その時、耳元で動物が鼻を鳴らす音がした。背後をラクダがのっそり歩いていく。どうやら庇ってくれたようだ。 「郷神の加護がないのは大変なことだ。実りもないし、身一つでやっていかないといけない。砂漠を歩くのは特に大変だよ」 「そうね」 ティシェリは赤くなりながら、エヴァイルの腕の中から出た方が良いのかどうか迷っていた。このままでいたい気もするが、それはいけないことだと理性が叫んでいる。 「でもエヴァイル、それならどこかの郷に落ち着く気はないの? 郷神さまに願い出れば、異郷人でもほとんどは受け入れられるって聞いたわ」 「……詳しいね」 「え? うん、まあ」 エヴァイルはそっとティシェリを放した。少しほっとし、しかし残念な気持ちをたくさん抱え、ティシェリは歩きだす。 「知らなかった? なら、試してみたら?」 エヴァイルは目を伏せて言った。 「ううん、知ってたよ。でもだめなんだ……僕だけは」 ティシェリが訝った時、長い影の中に入った。リーメルと一緒に後ろを歩いていたルーベンから声がかかる。 「中央塔ってあれか?」 ティシェリは顔を上げ、影の正体を見て頷いた。高く真っ直ぐそびえる、白く細い塔。 「そう! こっちよ。来て」 塔の中は螺旋階段になっていて、四人は一歩一歩のその段を上っていった。縦に細長く切り入れられた窓から夕日が差し込んでいて、それは徐々に赤みを増していく。息を切らしてようやく上がりきり、展望台に出た。 「間に合った……」 太陽は半分だけ地平線に沈んでいた。郷は既に、大部分が明かりを点していた。ちょうど人々が出てくる時間帯、大通りも賑わっている。郷を囲んだ塀の向こうには砂地が広がり、水面に夕日を映した河が見えた。河の近くには植物が点在していて、黒い影を長く引き伸ばされている。郷も砂漠も河も、全てが紅に染まっている。赤く燃えながら、太陽は地平線の下へと眠りにつこうとしていた。 少しずつ少しずつ、闇は濃くなって、紺色の夜空が降りてくる。紅は郷から引いていく。太陽はさらに地に潜り、やがて一筋の残光を残して消えた。 誰も何も言わず、そっと静かに溜め息をついた。ティシェリは隣のエヴァイルを見上げた。彼もこちらを見たところで、目が合った。 「綺麗」 エヴァイルはそれだけ呟く。そして微笑んだ。頬が熱くなるのを感じて、ティシェリは慌てて後ろを見た。頼みのリーメルはしかし、離れたところでルーベンと談笑している。 ティシェリは呆気にとられた。男扱いに慣れているはずのリーメルが、頬を染めている。驚くと同時に、気が咎める事なく笑い合える彼らがうらやましかった。 「ルーベン……手が早いな」 エヴァイルも気が付いて呟く。 「せっかくの景色なのに」 ねぇ、と言うようにエヴァイルはティシェリに向かって肩をすくめた。だがティシェリは彼らの気持ちが良く分かった。どんなに美しい風景よりも、ただ一人を見つめていたい気持ち。それは淡く、その上ティシェリの場合、決して明かしてはならない気持ちだった。 「エヴァイル、好きな人ができたことある?」 「え?」 エヴァイルはきょとんとした。 「好き、って……大切だとか、不可欠だとか思う気持ち?」 「そうね。だけど、もっと切ない感じ。……つまり、恋のことよ」 エヴァイルは少し考え込んだ。 「ないと思う……ティシェリはある?」 答えにつまり、ティシェリは声が出なかった。正直に答えるなら、「今している」だろうが、それを言ってはならない気がしていた。 「……あると思うわ」 「そうなんだ」 「でもね、おとぎ話で聞くような、お姫様と王子様の、情熱的で幸せな恋ばかりじゃないわ。悲しい恋もたくさんあるのよ」 「……難しいんだね」 エヴァイルは真面目に言った。 「ティシェリ、なぜ人は恋をするんだろう」 ティシェリは微笑んだ。 「理由なんてないと思うわ。ただ、その誰かがいてくれるだけで嬉しくなるのよ。そしていないと苦しいの」 エヴァイルは考えるように、わずかな赤だけが残る郷を見つめていた。 そして、とティシェリは思う。私の恋は、叶ってはならない恋。 一方通行であって初めて、許される恋なのだ、と。 前へ 戻る 次へ |
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