夕虹を呼ぶ歌
第六話


 エヴァイルたちの宿に戻る道すがら、あちこちに寄った。エヴァイルは無口で、時々微笑んで返事をしてくれる程度だった。初めて会った時よりかは、いくらか愛想が良くなってはいるのだが。
 宿に着くと、どうだった、とニヤニヤしている仲間たちに小突かれて、エヴァイルはそっぽを向いていた。

 彼らはティシェリとリーメルを食堂に連れて行った。旅芸人五人で演奏をプレゼントしてくれるとのことだった。
 エヴァイルたちが食堂の隅に陣取ると、食堂にいる旅人たちが気付いて声を上げた。
「おっ! 始まるぞ!」
 もう旅人たちの間でも人気らしい。人々はしゃべるのをやめ、食事の手さえ止めてエヴァイルたちに注目した。慣れた様子で五人は楽器の準備をする。エヴァイルは例のフィドル、ルーベンは笛担当だ。
「あら、ルーベンも笛吹きだったの……」
 同じく、神殿楽団で笛吹きを務めるリーメルは興味をそそられたように呟いた。
 準備が終わると、彼らはお互いに目配せをした。食堂がしんとなる。ティシェリとリーメルも、息を止めて演奏が始まるのを待った。
 ポンポン、と太鼓が鳴る。それを合図に、音楽は始まった。

 静かで、穏やかな曲だった。エヴァイルの主旋律がすべてをリードしている。まるで夕暮れを思わせるような、ゆったりとしていながら、どこか不安と激しさをこめたメロディー。今度も、経った一瞬で、彼らは聴衆の心を奪い去ってしまった。
 瞬きも感嘆のため息をつくのも忘れて、ティシェリは聞き入った。音楽と同化できそうなくらいに、旋律は体中に染み入ってくる。音楽に人一倍敏感で、並々ならぬ歌の才を持つティシェリだからこそ、心酔せずにはいられなかった。そして、この曲の魅力は、大部分がエヴァイルによって作り出されたものだということも、気付かずにはいられなかった。この少年は本当に、フィドルを弾いている時が一番いい表情をしている。フィドルも、その音も、音によってその場の空気も、全て操れるらしかった。
 全身で感じるようなその音楽に、強烈な懐かしさが胸を突いた。同時に、嬉しいような、悲しいような、ごちゃ混ぜだけれど、とても透き通った気持ちになる。心のそこから揺さぶられるようなその音楽に、ティシェリは気が付くと歌を合わせていた。

「……月明りは夜を告げる 風渉(わた)る砂原に
 吹き抜ける旋律は 旅行く人の子守歌」

 それは、音楽の奥底に眠る言葉を、歌を取り出す、という作業。音楽がそこにあれば眠っているもので、エヴァイルの導く旋律には、それがたくさんちりばめられていた。気付いたリーメルが慌てて「ティーシェ……」と止めかけるが、歌に引き込まれて言葉が出なくなる。

「星屑をちりばめた夜に たなびく雲の影を追って
 まわる光の真ん中は 旅行く人の道標」

 客が一人また一人とティシェリに注目する。演奏している旅芸人たちも驚いたように顔を見合わせたが、エヴァイルは何事もないように、むしろわずかに微笑みさえして、さらに音を紡ぎ続けた。

「さらりさらり 粉砂が流れゆく
 空が抱く大地を 今一度踏みしめて
 きらりきらり 星々が導く
 大地が抱く空を 今一度見上げて」

 天にも届きそうなほど、透明な音楽だとティシェリは思った。何の束縛もなく、体の奥から染み出すような音楽、そして詩。それは紛れもない、旅人の歌。

「風が透る 星が瞬く
 星月夜に眠りゆく 旅行く人の子守歌」

 音楽が終章を奏でる。ゆっくりと音が遠のいていき、そっと静かに終わった。

 終わりの瞬間、ふわりと風が通った。食堂の入り口から、開いた窓から。柔らかに遠くの花畑から花の香りを乗せて、去っていく旋律に乗って天に舞うように。

 しん、と沈黙が続き、ティシェリが余韻に浸っていると。
 わっ、と爆発したような歓声が上がった。我に返ったティシェリが顔を上げると、どっと人が自分のところに押し寄せてくるところだった。
「すごいなあ! どこの歌姫さんだい?」
「今の風はなんだったんだ? すごかったぞ! あんな歌、聴いたことがない!」
「不覚にも泣いちまったよ! まるで故郷を見せられているようだった……」
「歌姫さん、楽団の人か? どこの楽団なのか教えてくれ!何回でも聞きに行きたいんだ!」

 一種の奇跡を目にしたような、熱烈なファンコールにあっけにとられていると、エヴァイルが人垣を掻き分けて、ティシェリに近付こうと努力しているところだった。
「エヴァイル」
 やっとのことでティシェリが声を出すと、エヴァイルはティシェリの前までたどり着き、ぎゅっと手を握ってきた。……は、反則。体の芯からぼっと熱くなったのを感じたが、エヴァイルの方から握ってきた手を振りほどくなんて、できるはずもなかった。
「すごかったよ!」
 エヴァイルはいつになく興奮した様子で言った。
「ティシェリは僕と同じなんだね。音楽を、底の底から聴けるんだ。旅人の曲だって、どうして分かった?」
「そんな気がしたの」
 ティシェリは上ずりそうになる声を必死に抑えた。
「そうだ、って直感したの。……飛び入りしちゃってごめんなさい。気が付いたら歌っていたのよ。歌わずにはいられなかったの」
「ううん、ティシェリみたいに歌う子には初めて会った。すごく嬉しいよ」
 無愛想な割に、とても素直な話し方をする。ヘーゼル色の瞳から目が離せなかった。

「君は、音楽に愛されているんね」
 ふんわり、と笑んでエヴァイルはそう言った。ティシェリが見た中で一番大きな笑みだった。



前へ 戻る 次へ


© 2004- ココロヒトヒラ*. All rights reserved