夕虹を呼ぶ歌 第十話 その日も抜け出すのに成功して、ティシェリとリーメルはエヴァイルたちの宿の前で彼らと顔を合わせた。 エヴァイルは直前に、またもや仲間たちからいろいろと口説きテクニックを説教された。もう抗議しても無駄だと諦めたのか、エヴァイルは不機嫌になることはせずに、しかし興味もない様子でうんうんと頷いていた。 ルーベンはティシェリと一緒にやって来たリーメルを見て、彼女に笑いかけた。彼女もそっと笑い返してくる。容姿が美しいのはもちろん、彼女のしっかりした性格も芯の強さもルーベンの好みだった。 ティシェリの方は始めからエヴァイルしか目に入っていないみたいで、真っ直ぐ彼の元に駆けつける。 「ごめん、待った? 寒かったでしょう」 「いや。寒くなる時間でもないし」 ルーベンは少し驚いた。エヴァイルは相変わらず表情の動きが少なめだったが、それでも声色はごくごく自然で、ルーベンたち仲間内にだけ使う、心を許した声だった。 「……すごい子だな、ティシェリ」 思わず呟くと、青い瞳にのぞき込まれた。 「ティーシェの何がすごいの?」 ルーベンは少しのけぞった。リーメルは花を咲かせるように笑う。 「可愛い弟分が気になるのは分かるけど、口説いてる女をほったらかしにするのはどうなのかしら」 「……はあ、ぐうの音も出ません」 ルーベンは素直に謝り、笑った。ティシェリが耳聡く聞き付けて駆け寄ってくる。 「口説いてる女? やっぱり、リーメルとルーベンは恋人なのね!」 「……やっぱり鼻の下を伸ばしていたんだ」 エヴァイルにまで言われてルーベンはもはやなす術がなかった。この際だ、と開き直ってリーメルの手を取る。 「君は本当にいい女だよ、リーメル。今まで色んな郷で色んな女を見てきたけど、おまえが一番だ」 リーメルは頬を染めたし、こうも大胆にいくとは思っていなかったらしいエヴァイルとティシェリは固まった。さすがに恥ずかしくなり、ルーベンは思わずえへん、と咳払いをする。 「見てたか、坊。こんなふうに口説くんだからな」 エヴァイルはひどく困惑した顔で視線をさまよわせ、ちらっとティシェリを見た。ルーベンの言葉に驚いてエヴァイルを見つめていたティシェリともろに視線が合い、二人ともぱっと顔を背ける。 初々しいなぁ、と思って微笑み、リーメルに視線を戻すと、彼女は何かに怯えた表情をしてエヴァイルとティシェリを見つめていた。疑問には思ったが、いつまでも客を外に出したままにはしておけないので、宿の中に案内する。 それからのリーメルはどこか上の空だった。部屋に入るといつも通り、仲間たちは陽気な声を上げて二人を歓迎したのだが、リーメルの返事はどこか堅かった。ルーベンと話をしている間も、何度となくエヴァイルとティシェリの方を見ている。 見られている方のティシェリとエヴァイルは、その視線に気づいていないようで、他愛もない話題で談笑していた。 「どう? たくさん稼げた?」 「まあまあだね。この郷の人は太っ腹で助かる」 ティシェリは笑い声を上げた。本当に楽しそうな笑みで、見ている方が楽しくなりそうな笑顔だ。 「エヴァイルのフィドルを聞いて太っ腹にならない人はいないわ」 「……ティシェリの歌だってそうだよ。まだ裏方だって言ってたけど、表に出たらすぐに、郷一番の歌姫になるだろうね」 ティシェリは嬉しそうに頬を赤らめたが、どこか困ったような表情にも見えた。 「でも、私、昨日も叱られちゃったわ。歌は問題ないって言われるんだけど、踊りが……」 「え?」 「私、踊りが下手くそなの」 エヴァイルは目を瞬く。 「……そうなんだ」 「あ、呆れた?」 「……いや、ちょっと意外で」 「だ、だって苦手なんだもの。他の人と動きを合わせなきゃいけなかったり、なんか縛られてるみたいで」 エヴァイルは少し思案した後、ティシェリの手を取った。 「じゃあ、自由に踊ってみたら?」 「え、ええ?」 「僕がフィドルを弾いてるから」 おや、とルーベンは再び、立ち上がったエヴァイルを見上げた。いつの間に、積極性を身につけたんだ。 エヴァイルは部屋に所狭しと詰め込まれたベッドをどうにかして脇に寄せ、フィドルの箱を開けると楽器を取り出し、顎に挟んだ。 「いくよ」 「う、うん……大丈夫かしら」 「大丈夫」 エヴァイルは淡々と、しかし力強く言った。 「ティシェリだから、大丈夫」 そしてエヴァイルは、いつもとは打って変わった速いリズムの曲を弾き始めた。フォークダンスに使われそうな、延々続く同じメロディーの繰り返しの、目の回るような、しかし心の弾む旋律。 ティシェリは少しの間戸惑った顔で突っ立っていたが、エヴァイルのフィドルを聞いているうちに、踊れそうだと思ったのか、足を踏み出した。 楽しげな音楽に、ティシェリの踊りが作る拍子が加わる。いつの間にか、みんなで二人の拍子に合わせて手拍子を打っていた。くるくる、くるくる、ステップを踏んでターン。 「なんだ、上手いじゃないか」 ルーベンは呟いた。たしかにでたらめな踊りだが、彼女の生き生きとした空気が伝わってくる。エヴァイルの生み出す音楽は、本当に魔法だ。ティシェリを小鳥のように、歌わせ、踊らせてしまう。 ルーベンはそう思ったのだが、それはエヴァイルびいきでティシェリをよく理解していなかったからかもしれない。突然、エヴァイルがフィドルをやめた。 「どうした……?」 ティシェリは踊り続けている。 「……きれい」 エヴァイルが呟いた。はつらつとした自由な、小鳥のようにくるくるとした踊りだ。彼女の動きに合わせて舞う紺碧の髪も、翻るスカートも、人をひきつけずにはいられない。 「ねえ、ルーベン。世界には本当に、たくさんの郷があって、たくさんの僕たちが知らないものがあるんだね」 エヴァイルは小机にフィドルを置きながら言った。 「そしてその世界の中心が、ティシェリなんだろうな」 エヴァイルはそのままティシェリに歩み寄って、その手を取った。ティシェリは少し驚いた顔をし、一瞬ためらったが、そのまま踊り続けた。音楽なしで踊り始めた。 違う、確かにそこには音楽があった。そしてそれはティシェリとエヴァイルが奏でるものだ。歌もフィドルもいらない。二人は、二人が一緒にいるだけで、空気が音を奏でるのだ。 二人ともめちゃくちゃな踊り方だったが、どうでもいいらしい。ティシェリはおかしくなったのか、声を上げて笑い始めた。エヴァイルもつられたように笑い声を上げた。二人は笑いながらくるくる回っていた。 「あの二人……」 ルーベンは何かが変化したことを感じて呟いたが、隣りのリーメルが泣いているのに気付いてあわてた。 「リ、リーメル、どうしたんだ?」 「ティーシェの嘘つき……絶対大丈夫だって言ったのに。エヴァイルが応えることはないからって言ったのに……」 それはルーベンには理解の範囲を超えた言葉だった。何の話をしているのだろう。あの二人は、ただ一緒にいるだけであんなにも調和しているというのに。 「嘘、つき……」 リーメルは泣き続けていた。 前へ 戻る 次へ |
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