夕虹を呼ぶ歌
第十二話


「雨だ……」
 エヴァイルが呟いたので、仲間たちも楽器の手入れをしていた手を止めて、窓の外に目を向けた。細い雨粒が糸を引くように天から降りて来ている。
「砂漠の雨ってもっとどばっと降らないか?」
「うん、多分巫女が呼んだ雨だよ」
「巫女か……」
 郷神と力を合わせて、民に祝福をもたらす存在。彼らの郷では雨は呼ばなくても勝手にくるものだったから、逆に雨雲を追い払う力の方が、巫女の力として重要視されていた。
「……彼女にもできていたら、郷は滅ばなかったのかな」
 エヴァイルが呟く。そう、もし雨を呼ぶ方法も巫女が身につけていたら、日照りの時に、水を求めた隣の郷に襲われることもなかったはずなのだ。そして、それはそのような事態に備えるよう、巫女に求めなかった者の責任でもあって――。
「悔やんだってどうしようもない。誰にだって予想できないことだったんだ」
 ルーベンは言って、雨を眺めているエヴァイルの肩に手を置いた。エヴァイルは雨雲が流れる空を見上げて、ポツリと言った。
「ティシェリの歌だ」
「え?」
「歌が聞こえる」
 ルーベンも耳を済ませたが、何も聞こえなかった。下の食堂の喧噪と雨音だけだ。下でも、雨だ、雨が降った、と騒いでいるのが聞こえた。
「……お前、ついに空耳か?」
「そんなはずない。雨の歌を歌ってる。……すごく悲しそうだ」
 ルーベンはその言葉に眉をしかめた。――いつの間に、そこまでの絆を。
「……エヴァイル、お前、ティシェリと何かあったのか? この前一緒に踊ってから、ティシェリ、ティシェリって。今度は歌ってるのまで聞こえちまうし」
 エヴァイルはルーベンには聞こえない歌に耳を傾けるのをやめ、ルーベンを見上げた。ヘーゼル色の瞳が困惑しているように見えた。
「わからない……でも、気が付くとティシェリのことを考えてる」
 その言葉に、仲間たちが振り向いた。

 絶対応えたりしないから大丈夫って言っていたのに

 リーメルの言葉がよみがえり、ルーベンは息を呑んだ。そうか、ついに。――エヴァイルが。
「……じ、自覚あるか、坊? 今の感じなんだぞ?」
 エヴァイルは眉根を寄せた。
「何の自覚?」
 焦れた仲間の一人がついに怒鳴った。
「たわけ! この期に及んで分からなかったらお前なんか消えちまえ!」
 エヴァイルはびっくりしたような顔をしたが、ああ、と呟いて納得した顔をした。
「……その自覚か。こういうものなの?」
 こんな風に怒鳴られて平然としているから、緊急時にもぼんやりするのだろうかとルーベンは苦笑した。
「お前にとっては初めての感覚か?」
「うーん……どうだろう。人に対して感じたのは初めてかもしれない」
「よっしゃあ!」
 別の仲間が飛び上がり、手をたたいた。いい歳して子供のようなはしゃぎようだ。
「これでエヴァイルに希望が出て来たぞ! そのまま突っ走れエヴァイル坊!」
「突っ走れって……」
「分かってるだろう、あと五日でこの郷を出なきゃいけなくなる。それまでにあの子をゲットしておかなきゃならないんだぞ」
 エヴァイルははっとしたような表情をした。今思い出したようだ。
「そうか、あと五日しか……」
 唇を強く結んだエヴァイルに、ルーベンは声をかけた。
「危機感感じたか?」
 少年は頷いた。しかし、ひどく頼りなげな様子だった。
「ティシェリと、あと五日しか一緒にいられないんだ……」
「だから、伴侶にと申し出れば良いじゃないか。この郷に落ちつこうぜ。俺もこの五日のうちに、リーメルに言うつもりだ」
「おいおい」
 仲間たちは焦って顔を見合わせた。
「お前もかよ、裏切り者」
「俺達はどうすればいいんだ?」
「残り五日で伴侶を捜すんだな」
 ルーベンは意地悪く言ってやった。普段、小僧若造と言われて遊ばれているので、年上たちへの仕返しだ。
「まあ、伴侶がいなくても申し出れば郷の人間になれるじゃないか。実りがもらえないだけで」
「若いのは良いけどな、ルーベン。中年おやじに今から伴侶を見つけろって、酷だぞ」
 ルーベンは肩をすくめ、現実的な話をすることにした。
「大丈夫さ、見つかるまでは同じメンバーで楽団を続けりゃいい。最低限の生活には困らないはずだぜ」

 うーん、と仲間たちが思案するのを見ながら、ルーベンは再びエヴァイルに声をかけた。
「どうした、坊」
「……僕が言うのは良いけど、ティシェリは、どう思っているのかなって」
 ルーベンは呆れた。
「あれだけエヴァイル、エヴァイルってひっつかれておいて、まだ不安なのか?」
「だって、ティシェリは一度も僕に言ったことがない」
 言われて初めてルーベンも気付いた。あの少女の性格からして、好きならさっさと好きと言いそうなものだ。それなのに、むしろ、エヴァイルから好意とも取れることをされるたび、嬉しさと同時に戸惑いのような―― 一歩引いた、ためらいのようなものを感じる。
「どこか後ろめたそうな感じだと思う。……もう、他にいい人がいるんじゃないかな」
「いたらこんなに頻繁に会いに来ないだろ」
「そうかもしれないけど……じゃあ、どうして」
 エヴァイルはわずかに諦めたような瞳を、窓の外の雨に向けた。
「僕の独りよがりかもしれない。好いてくれているなんて」
「それはない、安心しろ。それだけはない。……俺にも、何でティシェリがためらうのかはわからないが」
「ティシェリの口から直接聞くまでは、信じない」
 エヴァイルは言った。その口調にルーベンは苦笑した。昔の、頑固で決めたことには静かにこだわる、職人気質と言っても良いような、エヴァイルの口調だ。
「ティシェリの言葉が、欲しいんだ」
「……俺はもう手伝わないぞ」
 ルーベンは言いながら、エヴァイルの髪をクシャクシャとかき回した。もとから癖っ毛のエヴァイルの髪が、さらにぐしゃぐしゃになる。
「自分でどうにかしろ。……お前はエヴァイルなんだしな」
「分かってる」
 少年が見せた微笑みには、往年の強さが宿っていた。


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