夕虹を呼ぶ歌
第十三話


 リーメルが一人でエヴァイルたちの宿を訪れたのはこれが初めてではなかった。なにせティシェリに比べて、スケジュールが圧倒的に空いている。それで、以前にも数回、一人で来たことがあったのだ。
「こんにちは」
 深い青の瞳で見上げられて、ルーベンは笑みをこぼした。
「いらっしゃい、リーメル。寂しかったか?」
「あら。自分の気持ちを勝手に人に転嫁しないでよね」
 爽やかに言われてさらに笑みがこぼれた。こういう、駆け引きの上手なところにもひかれる。

 彼女の手を引いて部屋まで連れて行き、部屋にいた仲間達は手を上げて、いつもの陽気な挨拶をした。
「よう、リーメル」
「いらっしゃい」
「お、来たか。いらっしゃい」
「どうも」
 リーメルはその声に笑顔で応じた。
「こんにちは、みなさん」
「あの、リーメル」
 エヴァイルが彼女の袖を引いた。
「今日は一人なの?」
 リーメルが一瞬表情を引きつらせたことに、ルーベンは気づいた。
「ええ……あの子は特別だから、特訓をさせられているところ」
「そうか」
 エヴァイルは一瞬気落ちしたような顔をしたが、すぐに微笑みを見せた。
「ティシェリは特別、か。みんなにもそれが分かるんだ」
 少し誇らしそうにすら見える。みるみるうちに、リーメルの顔に不安が広がっていった。
 ――おかしい。
 そう感じたルーベンは、仲間達にちょっと失礼、と言ってリーメルに部屋を出ようと言った。今度はエヴァイルではなく、ルーベンが冷やかされ、からかわれる番だった。

 人の少ない廊下までくると、リーメルはたまりかねたように言った。
「ちょっと、ルーベン。どうしたのよ」
「それを聞きたいのは俺の方だ」
 ルーベンはやれやれと思いながら頭を掻いた。
「おまえ、こないだから変だぞ。ティシェリが嘘つきだって言って泣いたり、エヴァイルがティシェリに良い感情を抱き始めるのを不安そうにしたり」
 リーメルは黙っていた。
「どうしたんだ、リーメル。あの二人が仲良くなるのはいけないことなのか?」
「……いけないのよ」
「ならどうして、今まで黙認してきて、いまさら……」
「だって、片思いだと思っていたのよ」
 リーメルはどこか切羽詰まったように言った。
「片思いでなければいけなかったのよ。でなければティーシェが……ルーベン、エヴァイルはティシェリに恋してはダメ」
 ルーベンは驚いて目を丸くした。
「……なんでだ?」
「……ごめんなさい」
「それじゃ分からない。……ティシェリは俺達と一緒には生きられないのか?」
「え?」
 リーメルが顔を上げた。ルーベンは言うべきだと判断した。
「俺達は、この郷に残ろうかと思ってる」
 リーメルは視線を泳がせた。
「でも、あなたたちは……」
「リーメル、俺の伴侶になってくれないか? お前と、この郷で生きて行きたい」
 リーメルは突然のプロポーズに目を瞬いた。しばしの沈黙の後、ようやく意味を知って頬を染める。そして両手で顔を覆った。
「ああ、ルーベン……私で、いいの?」
「お前よりいい女はいない」
 リーメルは俯き、お受けします、と言った。ルーベンは彼女を抱き寄せて、その唇に口づけをした。

 それからリーメルは不安げに、未来の夫を見上げた。
「……他の人達は……」
「あいつらなら、これからゆっくり伴侶探しをしてもらうさ。エヴァイル坊にも、早いうちにティシェリに言えって言ってるんだが……」
「エヴァイルと、ティシェリ?」
 途端にリーメルの表情が強ばる。
「ああ。エヴァイル、やっと自覚が追いついたみたいなんだ。俺達には理解不能なんだが、遠くにいてもティシェリの歌が聞こえるらしい。尋常じゃないつながりだな」
 笑うルーベンに対して、リーメルの表情は堅い。ルーベンは独り言のように続けた。
「今しかないんだ……手遅れになる前に、認められなければいけない」
「何の話……? それより、ダメよ、ティーシェはだめなの」
「なんでだ? あの子はエヴァイルが好きなんだろう?」
 リーメルは迷いに迷ったあげくに、ルーベンを不安にするのに十分なほど真剣に言った。
「聞いて、ルーベン。夫になる人には本当のことを言うわ。でも、エヴァイルや他の人には言わないで。ティーシェはただの女の子じゃないの」
 それは、崩壊の瞬間でもあった。
「あの子の歌が特別なのも、理由があるのよ。……あの子は、巫女になるの」
 ルーベンは愕然とした。脳裏を少女の歌声、笑顔、そしてエヴァイルが決意を込めて言った言葉が駆け抜けた。そしてそのすべてが、色を失って粉々に砕け散った。
「ティシェリが、巫女……」
「そう。あの子は選ばれた瞬間から、デイル様の伴侶なのよ。絶対に叶わない恋なら、せめて思い出だけでもって言うから見守ろうと思ったのに……」
「リーメル」
 ルーベンは震える声で呟いた。リーメルが顔を上げた時には、彼の顔はすっかり青くなっていた。
「俺もエヴァイルに関して言わなきゃならないことがあるんだ」
「エヴァイルのこと?」
 ルーベンは頷く。どうしても言わなければならない。――最大の秘密を、言わなければならない。
「実はな、俺達の旅団の長はあいつだ」
「長? あの若さで?」
「若く見えるけど、俺達の誰よりも長生きだよ。……俺達の郷について話したことがあったよな。隣の郷に襲われたって。その時に、逃げ遅れた幼い俺を抱えて、一緒に逃げてくれたのはあいつだった。俺の手を引いて、郷の外に連れ出してくれた。そうでもしなかったら郷と一緒に滅びるつもりだったかもしれない。あいつは責務に忠実なやつだから」
「……何の話なの?」
 話の方向性を感じ取ったのだろう、リーメルは聞きたくなさそうな表情で、かすれた声で呟いた。
「……俺達の郷の名はな、リーメル」
 リーメルの青の瞳が、大きく見開かれた。

「エヴァイル、といったんだ」

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