夕虹を呼ぶ歌 第十五話 その次の朝、大混乱がやって来た。ティシェリが神託を受けたのだ。 神託自体は今まで何度か受けたことがあるのだが、今度のものは特別だった。デイル神が、ティシェリに会いたいと言って来たのである。巫女と、郷神の初対面ということになるのだ。 教育係たちは浮足立ち、神官たちも嬉しそうに忙しく走り回っていた。急いでティシェリの巫女衣装の仕立てが始まり、人形よろしくティシェリはみんなにあちこちの寸法を測られることになった。 やっと解放されたティシェリは、一人部屋で物思いに沈んでいた。 「……デイル様、何の御用なのかしら」 それが一番不安だった。顔合わせをするということは、何か直接伝えたいことでもあるのだろう。何だろう。 準備は迅速に整えられ、ティシェリは真新しい巫女衣装に袖を通して、巫女以外には立ち入りを許されない郷神の住まいに足を踏み入れることになった。 緊張ではちきれそうな胸を必死に鎮めて、一歩足を踏み出す。太陽の光がさんさんと降り注ぐ回廊を進んだ。歩き続けてどれくらい経っただろう、やがて大きな広間に出た。郷神の、神の間だ。 ティシェリは壇の上に誰かがいるのを見つけ、広間の中央まで進み出ると、その場で深々と頭を下げ、裾を払って座るとひれ伏した。涼やかな青年の声が響く。 「面を上げよ、ティシェリ」 ティシェリは従った。デイル神がティシェリを見つめていた。人にたとえるなら、年の頃は二十を二つ三つ過ぎたくらいの外見で、ちょっと言葉では説明できない類いの美しさを持った青年だった。これが神なのか、と誰もが溜め息をつきたくなる容姿だ。 ティシェリは気恥ずかしくなって、思わず視線を外してしまった。 「おやおや、そなたらしくないね。そなたはもっと、生き生きとしていて真っ直ぐに私の目をみてくるようなおなごだと思っていたが」 何も言えない。ティシェリはただただ、デイルに視線を戻して彼を見つめているしかなかった。しかしデイルも何も言わない。戸惑ったティシェリは、とりあえずもう一度頭を下げた。 「先日の雨呼びの際は、お力添え本当にありがとうございました」 「礼は祈りでも聞いたが……まあよい、わたしも嬉しいぞ。よくぞ祈りを届けてくれた。雨を呼べたのはそなたのおかげだ」 「もったいないお言葉です」 「面を上げよ。わたしはそなたの顔を見ていたい」 ティシェリは命じられるままに顔を上げ、再びデイルと面と向かった。彼は微笑んでいた。 「長らく、そなたと会える日を待っていた。思った通りに美しく成長したな」 ティシェリはどう答えたら良いのか分からなかった。 「……ありがとう存じます」 「そう堅くなるでない。わたしは自然のままのそなたの方が好きなのだ」 そんなことをいわれても。郷神に対して態度を崩すわけにもいかない。相手は神なのだ。 「近う寄れ」 言われ、ティシェリは立ち上がった。緊張を解けないまま、礼儀に反せぬように気を遣いながら壇を上がり、デイルの斜め前に腰を下ろす。横に並ぶことも正面に居座ることも失礼とされているのだ。しかしデイルは言った。 「隣に来なさい」 「デイル様、それは」 「構わぬ。来なさい」 ティシェリは戸惑いながらも、デイルに寄り添うようにして隣に並んだ。デイルは姿勢を崩し、笑ってティシェリを見つめる。ティシェリはその笑みを見つめ返し、尋ねた。 「デイル様、今回私をお呼びしたのは、どういう御用からでしょうか」 「ああ、それなのだがな」 デイルは言ってティシェリの頬を撫でた。 「5日後に、婚礼を執り行おう」 ティシェリは突然の事に目を見開き、声も出なかった。 5日後? エヴァイルはあと4日しか郷にいられない。巫女と郷神の婚礼の儀は通常3日間通して執り行われる。もう、エヴァイルに会いに行けるのは今日と明日だけだ。 「……デイル様」 「急だとは思うがな、わたしは一刻も早くそなたをそばに欲しいのだ。何か良くない予感がするのでな」 ティシェリははっとして目を伏せた。自分のせいだ。自分がエヴァイルのことを想っているのを、デイルは感じ取っているのだ。 「……わかりました。神官たちにも伝えておきます」 「うむ。……どうした、嬉しくないのか?」 ティシェリはパッと顔を上げ、必死に否定した。 「いいえ、そういうわけでは。……驚いて、いるだけです」 郷神との婚礼を迎えた巫女が悲しむなど、いけないことだ。 デイルは微笑んだ。 「まあ、確かに少し急ではあるからな。だが私は嬉しいぞ。ようやく、そばにいるべき巫女を得られる。……郷神はな、守るべき民と巫女がいなくては郷神になれぬのだ」 ティシェリは黙って聞いていた。デイルは上機嫌で酒の杯を差し出す。ティシェリが酌をした。デイルは満足そうに破顔した。 「やはり、誰かと共にあるというのは良いな」 そして杯をあおる。 「皆にも婚礼のことを伝えよ。……待っておるぞ」 ティシェリは恭しく頭を下げた。 どうでした、と期待半分心配半分に聞いてくる教育係や神官たちに、ティシェリは婚礼のことを伝えた。神殿中が歓喜にわいたのは言うまでもない。補佐の少女たちも、嬉しそうだった。彼らとて、直接ではないにしろ郷神の世話を許されるのである。 「やったわ、エルル!」 「ついにこの日が来たのね、アダル!」 ティシェリは彼女らのようには喜べない。 「お祭りね!」 「降神祭よ!」 ずっと憧れていたはずのお祭ですら、既にティシェリの心を元気づけることはできなかった。 ――エヴァイルと、行きたかった。お祭りに、ただの少女として。でも、もうなにもかもがおしまい。夢は所詮夢でしか無く、現実にはなり得ないのだ。 「ティーシェ」 誰も彼もが騒ぐ中で、唯一心配そうに声をかけてくれたのはリーメルだった。 「……明日、行きましょうか。本当の本当に、最後に一目会いに」 ティシェリは涙をふきながら、こくんと頷いた。 |
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