夕虹を呼ぶ歌
第十七話


「僕、何か言ってはいけない事を言った?」
 人間の心って思った以上に複雑だ、と思いながら聞いてみたのだが、ルーベンとリーメルは黙ったまま何も言わないし、他の仲間たちはエヴァイル以上に混乱しているように見えた。
「ルーベン、リーメル」
 エヴァイルは二人にすっと目を向けた。
「君たちは何か知っているね」
 二人は顔を見合わせ、エヴァイルから視線を逸らした。
「教えないようなら、命令を下すよ。言いなさい」
「……お許しを、エヴァイル。ダメなんだ、坊。俺たちの口からは言えない。明後日に来いって言ったティシェリにも失礼になるし、俺自身、言いたくない」
 エヴァイルは眉を寄せた。エヴァイルが命令、と口にするのはよほどの時だ。そしてそれを誰かが拒むなんて、これが初めての事だった。一体何があるのだろう。

「……やっぱり、本当なのね。あなたが郷神だっていうのは」
 リーメルがポツリと呟き、エヴァイルは頷いた。
「ルーベンから聞いたんだね」
 彼女は頷く。
「ごめんなさい」
「いや。婚姻の際に郷神に届け出るのは決まりなんだから、僕の正体を言わないと始まらないだろう。……君たちに、祝福を」
「ありがとう……ございます」
 エヴァイルはわずかに微笑んだ。
「僕はご覧の通り、郷を失って落ちぶれた神だ」
 郷を奪われ、民を殺され、わずかに残った民も、郷神が存在する最低条件ギリギリの4人にまで減ってしまった。
「だから、畏まらずにいて欲しい」
 リーメルは頷き、エヴァイルを見上げた。
「でも、それでもあなたはまだ人ではないのでしょう?」
 エヴァイルは少しの間黙っていた。
「人と同じ性質を手に入れれば、人になれるけど……そう、僕はまだ人じゃない」
「……じゃあ、やっぱり明後日に祭に来て」
 リーメルはふらふらと立ち上がった。
「そこで明らかになるわ。……私はティーシェを追いかけなきゃ」
 エヴァイルは戸惑ったが、頷くしかなかった。

「……何がどうなっているんだ」
 仲間の一人が呟いたが、自分の民の問いにエヴァイルは答えられなかった。知りたいのは自分の方だ、と生まれて初めて正体の分からない不安と焦りに襲われながら、心の中で呟いた。



 降神祭というのは、巫女の婚礼に伴い、唯一巫女と郷神が民の前に姿を見せる行事だ。エヴァイルも何度も経験してきている。明日から始まると聞いているから、明後日ということは実際に神が顔を見せる日のことだ。明々後日にはエヴァイルたちは里を出なければならないというのに、なぜ二日もまたなければならないのだろうとエヴァイルは焦った。
 ティシェリに会えないのがこんなに不安だとは思わなかった。

 そして祭りが始まった。エヴァイルが覚えているよりずっと大きな祭りだった。祭りを聞きつけた近隣の郷から来た商人で通りはごった返し、本当のデイルの店は揃って休業した。それでも店の数は事足りるくらい、郷外からの商人は多かった。お祭りというものは絶好の商売の機会なのである。宿もいつになく賑やかで、一曲披露してみただけでかなり稼げた。エヴァイルは一日宿の近くを歩き回ってすごした。

 そして、約束の降神祭二日目。誰もかもが神殿前の広場に集まった。エヴァイルも路上演奏の帰りがけに、ルーベンや仲間たちと一緒に広間に行ってみた。どうせならティシェリと一緒に祭りを楽しみたかったのに、とエヴァイルは思った。初めて、楽しむ側として降神祭に来ているのに。
「おお、いらっしゃったぞ」
 周りがざわつき始めた。巫女姫の、郷神へ捧げる奉納の式だ。奉納するものは巫女の得意とするものによって違うが、エヴァイルはよく巫女の得意な楽器の演奏をしてもらったことを覚えている。
 壇上に上がり、人前に姿を見せた巫女の姿を見て、エヴァイルは我が目を疑った。
「……ティシェリ?」
 紺青の髪が風に舞って、さらさらと流れている。小柄な姿はどう見てもティシェリだった。
「……まさか。見間違いじゃないのか」
 信じられないというように仲間の一人が呟く。その声を、ルーベンが静かに制した。
「ティシェリだよ」
 エヴァイルは思わずルーベンを見上げた。
「リーメルから聞いた」
「でも、巫女ならどうして神殿の外に」
「ティシェリらしいじゃないか。お忍びはいつもしていたんだそうだ。……認めたくないのは分かるが、これが現実なんだ、エヴァイル」
 彼は言い、悲しそうにエヴァイルを見つめた。エヴァイルは呆然と、再び壇上に目を向けた。

 シャン、と鈴の音が鳴る。それは美しく勇壮な音楽の始まりだった。11人の踊り子が前に出て、一糸乱れぬ踊りを披露する。それはそれは美しく、いつものエヴァイルなら耳を傾けるのだが、エヴァイルはまったく音楽を聞いていなかった。どうして、という思いばかりが胸を占める。だからなのか。いつも彼女が一歩引いていたのは。あんなに悲しそうな顔をしていたのは。
 自分は、郷を失くしたとは言え元郷神。彼女は、自分ではない郷神の元に嫁ぐよう定められた巫女。
 一瞬、ティシェリがこちらを見た。エヴァイルは息を呑んだ。明らかにこちらに気が付いた。彼女は静かに目を閉じて、諦めきった表情をした。音楽の中であんな表情をするなんて、ティシェリには似合わないのに。

 そして、ティシェリが歌い始めた。
「我が郷に祝福を 幸あれと仰ぐ人々に
 天に照り輝く日の如く 御神の慈悲を、微笑を」

 エヴァイルはいたたまれなくなった。ティシェリが、デイルの元に嫁ごうとしている。彼のために歌を歌っている。彼のためだけに、歌っている。

「我らがつむぐ賛美歌を 現神称える祝詞を歌おう
 御神の加護に幸多かれと 祈りの歌の届かんことを」

「……やめてくれ」
 エヴァイルは呟き、手に持っていたフィドルをあごに挟んだ。そして、音楽に合わせて弾き始めた。
「お、おい、坊……」
 ルーベンが慌てて止めようとしたが、エヴァイルは有無を言わさない視線で彼を制した。邪魔されてなるものか。
 ティシェリは明らかに、飛び入りしたフィドルに気が付いた。一瞬、歌が途切れかけたのだ。
 さあ、このフィドルに、応えて。エヴァイルの念じた声に、だめ、と返事がある。だめ、できない。私はデイル様の巫女なのだから。

「春野に萌え出づ息吹を 夏がはぐくむ命を歌い
 秋がもたらす実りを 冬の抱く静寂を歌う」

 ――そうじゃないはずだ、ティシェリ。僕に応えて。
 ――できない。エヴァイルも分かったでしょう。私、巫女なのよ。

「我らが御神の英治が 永久にこの地にあらんことを……
 祈り、歌い、願い、踊る  な、流れの永久に絶えんことを
 ああ、我が郷に祝福を……」

 歌が揺れている。エヴァイルはティシェリに話しかけ続けた。
 ――どうしても巫女であるというなら、僕の巫女になって。
 ――そんなこと、できないわ。
 ――できるかどうかじゃない。なりたいかどうかだ。
 ――それは……。
 ――ティシェリは、僕が好きだと言った。
 ――そうだけれど。
 ――だったら、僕に応えて。


 その時、広場中に声が響いた。
「待ちたまえ」
 ティシェリがはっとしたように背後を振り返った。楽隊の音楽が止まり、踊り子の少女たちも戸惑いを隠せない様子で動きを止めた。ざわ、と広場が人々の囁きであふれる。しかし、一瞬の後には静まり返った。

 一人の青年が壇上に現れていた。人には到底持ち得ないような美貌の青年で、漲る力を感じる。もっとも、その力を感じられるような感覚の持ち主は、この場ではエヴァイル一人だろうが。エヴァイルは息を呑んだ。……あれは。
 ティシェリは一歩後ろに下がり、震えながら頭を下げていた。

「……デイル様」


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