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緊張と不安で、セイリアはいつもの彼女に似合わず縮こまっていた。大尉といえば、興味深そうにセイリアをちらちらと見ている。二十代半ばぐらいの、気持ちの良さそうな青年だが、セイリアは相手を気にしているどころではなかった。
「食べないのか、セイリア?」
父に言われて、フォークを手に取ったまま動かなくなっていたセイリアの手がぴくっと痙攣した。
「あ、はい……」
「そんなに硬くならなくてもよろしいのですよ」
大尉が気を使う。緊張していると思っているのだろう。
封建社会のこの世の中、弓矢を背負って森を駆けずり回っている姫君などいないので、父親はむしろセイリアに男装を勧めた。おかげで、とりあえずセイリアがおてんばだという評判は世間には伝わっていない。大尉の目にセイリアがごく普通のお嬢様に映ったのは無理もないことだった。まさか、王子の護衛などというとんでもない職業についているとは思っていない。
「わたくしのことは、どうかお気遣いなく」
控えめに微笑んで、セイリアは言った。社交辞令はとりあえず心得ている。緊張でがちがちに固まっていて、逆に羽目をはずす機会がないのが、怪我の功名というところだった。
「ところで子爵殿。ご子息はいかがです?」
セイリアには双子の弟がいる。とりあえず外で駆けずり回っているのは弟の方だと、世間は信じきっている。わずかに子爵の額に冷や汗が浮いたが、人のいい大尉は気がつかなかった。
「はい、元気ですよ。時には元気すぎて手がつけられません」
実は弟は、女のようにおとなしい性格だった。というより、あまり人と接するのが得意ではない。姉が自分の代わりになってくれるのをこれ幸いと、毎日のように書斎に閉じこもって、大好きな本に埋もれて暮らしている。今日も、夕餉に一緒に、と誘われたのだが、本人は出てくるのを嫌がって丁重にお断りした。アレでは世間に出たらもちません、と随従が嘆くのを聞いている。できればこの席は弟に代わって欲しかったが、ばっさりと男らしく髪を短くしているので、セイリアが弟の代わりを務めることはできても、逆は無理だった。
そして、大尉が突然言った。
「そうそう、実はですね。シェーン王子御付の護衛騎士が新しい人になったんです」
口に入れた食べ物を噴き出さなかったのは、我ながら感心に値する、と思った。
「先日の討ち合い大会で、決勝で手を合わせたのですが、なかなかの腕前の少年でした。ちょうどあなたと同じくらいの歳ですね」
言って、大尉はセイリアに笑顔を向ける。その少年とセイリアを全く結び付けていないのだと知って、少し胸をなでおろす。おかげで、少しましな笑顔を返すことができた。
「あの歳であれだけの腕前なら、将来有望です。部下に欲しいと思ったのですが、陛下に先を越されてしまいました」
笑って少し舌を出した大尉に、はあ、と親子は引きつった笑いを浮かべた。心の中で、陛下ありがとう、と思う。少なくとも王は子爵家の事情を知っている。
「どこの子供かはわかりませんけれど。どこか気品のある子供でした。もしかしたら良い家のご子息かもしれません」
いよいよ冷や汗が浮いて、セイリアは気が気ではなかった。いまさら遅いと思いつつも、夕餉に大尉を招待した父を恨む。
「……とっ、ところで!」
父があわてて話題を振る。これ以上、王子の新しい護衛の話が続いては体がもたなそうだった。
話題が外れていき、セイリアはだんだんと手の感覚が戻ってきたのを感じた。これからもばれそうになるたびにこんなにびくびくしなければならないのだろうか。頭が痛いわ、と思いつつ、フォークを口に運んだ。
「もう行った?」
ひょっこり弟が顔を出したのは、大尉が帰ってすぐだった。
「行ったわよ」
安心してしまって、またいつもの様子に戻ったセイリアは、思い切りソファに身を預けて足を組んでいる。
「本当はあんたが出てくれたほうがよかったのに。多少はばれる可能性が少なくなったと思うのに」
「ばれたの?」
「まさか。ばれてたまるもんですか。でも、あんた、たまには社交界に出て慣れないと将来苦労するわよ」
「そんなことはいっても……」
「今度、もし私がいない間に誰か私を探しに来たら、代わりに出てね。自宅に閉じこもりっきりのはずの姫君が急に留守になったらおかしいもの」
「無理だよ。いくら双子で似てるからって、僕は髪が短いもん」
「じゃ、かつらでもかぶって」
「女装なんていやだ」
「うちが世間の笑いものになってもいいの?」
「……。いいじゃないか、客に顔を合わせるのも恥ずかしがるおとなしいお嬢さんだ、ってなるから」
「そうやって逃げてばっかりいないで、たまには外に出なさい」
パシ、と背中を叩かれて、弟は少し前につんのめった。呆れたような視線を、セイリアは弟に送る。
「弱っちいわねえ。運動しないからよ。王子と良い勝負だわ」
背中をなでながら、弟は姉を睨んだ。
「武芸よりも本の方がずっと楽しいよ。それに、王子様をそんなふうに言うものじゃない。仮にもセイリアの雇い主、言い換えればご主人、ってとこなんだから」
「ああ、そうだね……あんなのがご主人か」
「……姉さんってつくづく口が悪い」
「王子ほどじゃないわよ。まあ、反撃を考えるのは楽しいけど」
いつもあんな態度で人に接しているのだろうか、とセイリアは王子の生意気な態度を思い出した。王子というご身分だからできることね、と心の中で皮肉る。
「明日も仕事?」
「そう。あんた、かわる?」
「とんっでもない!」
弟はフルフルと首を振った。
「意気地なし」
「セイリアの仕事は護衛だろう? 僕がいざとなったら王子様を守れると思う?」
「無理ね」
さらりと言って、セイリアは軽く追い出すようなしぐさをした。
「もう着替えて寝るわ。明日は早めに来いって言われてるの。あんたも私を見習って、名前に似合うような、しっかりした人間になりなさい」
弟は頬を膨らませる。アース、というのが彼の名だ。大地、とか地球、とかの意味があるが、大地どころか、それに生える草のようだとセイリアは思う。
「わかりました。姉さんの邪魔はしません。これでいい?」
「どうも。安心しました」
立ち去る弟の背中を見送り、セイリアはパジャマに着替えた。そして、明日会うはずの王子のことを考えた。一度でいいから口で勝ってみたい、と負けず嫌い精神が働いた。
一緒にいて退屈しないのは確かだ。多少むかつくけれど。
もう少しあの王子の生意気に付き合ってやるか、と、また不遜なことを考えた。
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