At Royal Palace
王宮にて

 

 シェーンは窓枠に腰掛けたまま足をぷらぷらさせていた。侍女たちが見たら肝をつぶすだろうが、こうしないと、せっかくの窓からの景色がよく見えない。彼はよくこうして、朝の陽光に当たっているのだ。
 昨日出会った少女のことを、彼は思い出していた。とにもかくにも、ああいう子に出会ったのは初めてだった。封建制の下では仕方ないことだが、お世辞や心にもない褒め言葉にすっかり慣れてしまった彼は、セイリアの勝気な様子に、正直目を剥いた。ただ、その驚きを気取られては悔しいので、表情はしっかり隠したが。
 とりあえず、彼女に対する印象は悪くなかった。少々腹が立つ態度だが(それはお互い様である)、「どうしたの?不満?だったら辞める?」と挑発したときに、彼女が答えた「不満は今ここで大声でぶちまけてやりたい気分です」という真正直な言葉は、いっそ耳に心地よく響いた。
 それに、はっきり言って、からかうのが楽しい。彼女はすぐに本心が表情に出るから、いろいろな反応が見れる。その子供っぽいまでの素直さは、腹の探り合いで演技ばかり目に付く宮廷の中で育ったシェーンにとって、新鮮さは殊更だった。
「新しい護衛なんて、また退屈でゴマ擂りばっかりする人だと思ってたんだけど……」
 女だと聞いたときは呆れた。しかも、一つ年下。すっかり馬鹿にしていたが、護衛として役に立たなくても、とりあえず傍においてみる価値はあるかもしれない。
 今日はどうやってからかってやろうか、とまさに楽しい空想に入ろうとしたそのとき、怒声は轟いた。

「ちょっと、何やってんのぉっ!!!」

 ぎょっとした拍子にバランスを崩して、気が付くと体が宙に浮いていた。
「あ」
 何もできず、引力に引っ張られて体は落下する。シェーンはおとなしく、下の草むらと仲良く戯れる瞬間を覚悟した。
 が、体は大きな衝撃もなく、何かぶにゃっという感触を脳に伝えただけ。同時にぐう、という呻き声。よく見れば、茶髪の誰かをしっかりと尻に敷いていた。二度目、ぎょっとして、慌ててどいた。その誰かは、腹を押さえながら身を起こした。端正な顔には苦痛と怒りが表れている。
「あんた、バカ?」
 シェーンは思わず「は?」といった。父親以外で彼にこんな口の利き方をした人はいない。
「あんな所に座ってちゃ危ないじゃないのよ! バカにも程があるわ!!」
「口を慎みなさい。僕の立場を忘れたかい? それにあんたがあんなふうに叫ばなきゃ、落ちなかった」
「あんな所に座ってたからよ!」
「注意にもし方があるだろう。父上から聞いたとおりのおてんばだね。あんなすごい声、初めて聞いた」
 セイリアは口を尖らせた。
「あら、そう。悪うござんしたね」
 呆れて笑い出しそうなのを、シェーンは必死にこらえた。これは……楽しい。
 セイリアは腹を押さえながら立ち上がった。
「いたた……内臓破裂したらどうするのよ。か弱い乙女を尻に敷くなんて!」
「へー、決勝まで行くような人がか弱いのか。それにあんたが自分から僕を助けに来たんじゃなかったか?」
「せめて心配ぐらいしなさいよ。あんたのせいでこうなったのよ!」
「命令する立場にあるのはどっち? それに、あんたは僕を守るのが仕事だろう」
 セイリアは口を尖らせたまま、さらに頬もぷっくりと膨らませた。なんとなくそのぷっくりを突っついてみたくなったが、騒ぎに気付いた侍女やら衛兵やらが集まってきたので、やめておいた。
「王子様!!」
「シェーン王子、今のはなんですか!」
「そこの君! 一体王子に何があったんだ!」
 壁につかまって腹を押さえている新任の護衛騎士と草むらに座り込んでいる王子と。とりあえず、侍女が肝をつぶすような事件が起こったことだけはわかる。
 セイリアは、駆けつけた人たちの中に大尉を見つけてドキッとした。大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。昨日のように頬紅をさしているわけでもなし、この化けっぷりなら何とかなるかもしれない。
「あなたは大丈夫ですか」
 衛兵の一人がセイリアに声をかけてくる。とりあえず王子付きの護衛ということで敬意を払っているらしい。
「大丈夫です」
 セイリアは慌てて言う。医者のところに運ばれて、体を調べられたら終わりだ。王子の前ではタメ口だったのが、何故か急に敬語に入れかわったので、王子は思わずというようにため息を付いていた。
「怪我はありません、ご心配なく」
 セイリアが繰り返すと、そうか、と衛兵たちは言ってセイリアから離れた。

 シェーン王子は「怪我はない、大丈夫」としきりに繰り返していたが、過保護の侍女たちはそれでは気が納まらず、担ぐようにして王子を連れ去ってしまった。
 運ばれながら、困ったようにセイリアに対してぺろりと舌を出した王子を見て、セイリアは「あれっ、意外とお茶目?」と首を傾げた。
 ただ、大尉とセイリアだけが残る。立ち去る様子がないので、ばれたのか、と冷や汗が浮いたとき、大尉はにっこり笑って言った。
「医者のところまで案内しよう。王宮の地理には不慣れだろう?」
「あの、いいえ! 結構です!大丈夫ですから!」
 大尉は首を傾げる。
「君は王子のお付だろう?護衛というのは常時主の傍にいるものだが」
「あ、なんだ、そういうことですか……」
 大尉は苦笑し、こっちだよ、といって歩き出した。


「先日、手合わせをしたね」
 行く道、大尉が突然言い出した。
「ええ……」
「なかなかの腕前だった。驚いたよ。君のような人材が埋もれていたとは」
「どうも、ありがとうございます……」
「どうだい、王子は」
「……は」
「どんな印象を持った?」
 意地悪で聞いているのか、と思った。セイリアはむすっとする。
「なぜそういう事を聞くんです?」
「いや、ね。初めて王子に会う人は、たいてい誤解をするから」
「誤解、ですか?」
「生意気だ、と思ったろう?」
「…………」
「無言は肯定の意だね。まあ、私も初めはそうだった」
 そういって、大尉は少しだけ苦笑する。
「口がお達者であられる。そのくせ見ていると、ぼんやりしていて階段を踏み外すとか、変なところで間が抜けていらっしゃったり」
 これは昨日、セイリアがメアリーに言った言葉と似たようなものだった。それで、思わずしっかりとうなずいてしまう。
「そんな王子が、どうして太子にすえられたか、だ」
 セイリアは思わず大尉を見る。大尉は視線に気付いて、悪戯っぽくウインクした。この人も意外とお茶目だ、とセイリアは思った。
「あんまり侮ると痛い目に会うよ、あの王子は。なかなかの策士だから」
 あの王子と策士という言葉がどこでどう繋がるのか、セイリアには皆目見当も付かない。そう言うと、大尉は目を白黒させてセイリアを見つめた。たとえ友人の前でも、王子のことを悪く言うなどありえないのだ。……常識人なら。
 しかし、大尉はむしろ大胆な子だ、と好意を持ったようだ。ちっとも「不謹慎な」という顔をしなかったし、むしろますます興味を持ったような目でセイリアを見ている。
「私を尻に敷いたのに、大丈夫の一言もねぎらいの言葉もありませんでした」
 セイリアが不服そうに言うと、大尉は大笑いした。
「あの王子にそんな言葉を期待しても無駄だよ。彼は矜持が高いから」
「はあ……」
「本当に親しくて、本当に信頼している人だけだろうね、王子が素直になるのは」
 でも、と大尉は言う。
「表面に優しさを見せないだけなのですよ、あの方は」
「……なんか、随分と語っていますね」
「いやはや君が気に入ったもので、ついつい」
「はあ……」
「王子にあんな口をきく人がいるとは思わなかったよ。あの声は君のだろう? 『何やってんのぉっ!!』っていう」
 セイリアは思わず赤くなった。聞いていたのか。

 大尉が足を止めて、この中だよ、と言った。医者がいるのはここらしい。
「ありがとうございました、大尉」
 セイリアは頭を下げる。
「いや。そういえば、名を聞いていなかったね」
「アースです」
 とっさに弟の名を言った。セイリアなどと名乗ったら、ちょっと調べればそれが子爵家の息子ではなく娘であることがわかってしまう。
「では、アース。がんばりたまえよ」
 朗らかに手を振って立ち去る大尉を、セイリアはなんだか変な気分で見送った。


2004.08.05