The Smiling Face
笑顔

 

「治療が必要なのはあんたの方だったろうに」
 歩きながら、シェーンが言う。セイリアは少し遅れて歩いていた。
 とりあえず一日中シェーンにくっついて回ったが、衛兵のうじゃうじゃいる王宮の中で何か特別な事件が起こるわけもなく。護衛としては何もすることなく、平和に過ぎた。今はシェーンも暇なので庭園に散歩に出ているのだが、勤務終了時間が来ないと帰れないセイリアは、まだシェーンにくっついている他ない。
「医者に体調べられたら女だってばれるじゃない」
「ああ、そうだね」
 それにしても、と王子は振り返る。少し不機嫌そうな表情だった。
「衛兵には敬語なのに、僕にはタメ口なのはどうして?」
 確か、最初の最初は敬語だった。敬意は全く含まれていなかったにしても。
「いいじゃない。民と対等に話してくれるいい王子様だって評判になるわよ」
 言って、セイリアは花壇の縁に飛び乗った。流石準優勝するだけのことはあり、バランス感覚はいい。手を広げてバランス をとったりしなくても、すいすいと身軽に歩いていく。
 シェーンは反論しようと思ったのだが、万が一落ちたら大変だと思って彼女を刺激するのは控えること にした。代わりに、ふと思い出して聞いた。
「そうだ。あんた、馬は乗れる?」
 シェーンの質問にセイリアは眉をひそめる。
「馬鹿にしてるの? 騎士隊の入隊試験には乗馬の項目があるのよ」
「へぇ、そう」
 しかも、とセイリアは胸を張った。
「全科目一位で合格したんだから」
 これだけの気迫とド根性があれば、それも当然だろう、という言葉はシェーンの喉の奥で飲み込まれた。
「そりゃよかった。馬車で出かけたら目立つし、物々しいからね」
「どこかへいくの?」
「まあね。いろいろと相談事を持ってオーディエン公爵家に行く予定」
 オーディエン公爵、とセイリアは口の中でつぶやく。公爵は五爵のなかで最高位の爵位。オーディエンの家は確か、王族の血を引いている家系だ。とはいってもそれは何代か前の王と血のつながりがあったに過ぎない。今の王家とは、交流が特別深いわけでもない。相談事、というのは個人的な用事ではないだろう。だとすれば、国政関係だ。
「王子でも政治にかかわったりするんだ……」
「あと二年だからね。慣れておけ、って話だよ」
 この国の制度では、どんなに王が元気でも太子が十八になると王位を譲る。シェーンは今年十六歳だから、あと二年で王位に就くことになるのだ。
 ところで、とシェーンが言った。
「あんた、騎士隊では何て名乗ってるの?」
「アース」
「……それ、弟の名前?」
「うん」
「じゃあ、しょうがないからアースって呼ぶよ。人前では」
「別にいいわよ」
 というより、そうしてくれないとセイリアが困るのだが。
「私はあんたのことなんて呼べばいい?」
「そりゃ、普通に」
「シェーン、って?」
 シェーンはまじまじとセイリアを見た。そうか、この子にはそれが普通なのか、と苦笑した。
「あのねぇ、あんたを除いては、僕のことを名で呼ぶのは父上と兄弟だけだよ」
「あら、そう?」
 セイリアは逆に驚いたような声を出した。シェーンはやれやれとため息をつく。これは、超級の世間知らずだ。一体今までどうやって他の貴族と付き合ってきたのやら、疑いたくなる。
「それじゃあ、他の人たちはなんて呼んでいるの?」
 セイリアが聞いた。
「ふつうに王子様、だよ。たいていは。僕だけに仕えてる人ならご主人様とか、
他の王子と区別してシェーン王子、って呼ぶ人もいるけど」
「ご主人様ぁ!?」
 気持ち悪、とセイリアはつぶやいた。そんなふうに呼ばれたら、寒気がするとでも言いたそうな顔だ。
 その隣で、シェーンはいよいよ呆れ果てていた。よくもまあ、こんな娘に育てられたものだ、と子爵に感心してしまう。
「良いよ良いよ、王子様、で」
「ええと、じゃあ、王子様」
 シェーンは首をかしげた。どうもしっくり来ない。ため息をついて、言った。
「やっぱりシェーンでいい。あんたがそういう言い方をしたら気持ち悪い」
「どういう意味よ!?」
 また口を尖らせて、セイリアはシェーンを睨んだ。彼に対してこういう表情をするのも、きっと彼女だけだろう。

「……君って、いつもそんなに不機嫌なの?」
 突然の質問に、セイリアは一瞬呆けた。
「別にそんなんじゃないわよ」
「だって、ちっとも笑わないじゃないか」
「あんたの口が悪いからよ」
 さらりと言われて、シェーンは今日何度目か分からないが、目を丸くした。
「私は感情がストレートなんですっ。挑発されれば怒るし、ほめられれば照れるし嬉しいし、楽しければ笑うわ」
「そう……か……」
「それに、笑わないのはシェーンも一緒」
「そう?」
「とりあえず笑ったことはあったけど、馬鹿にした笑い方だった」
 責めるような口調で言われ、シェーンは少し困ったような顔をする。ぴょん、と花壇の縁から飛び降りたセイリアは、さらにシェーンの腕をぺちぺちと叩いた。
「それに、運動不足。武芸は習わなかったの?」
「興味ないね」
 シェーンはつん、と顔を背ける。
「そもそも、練習する時間なんてなかったし。剣は性に合わない」
「剣ばかりが武芸じゃないわよ。あんた、木に登ったことある? 誰かと喧嘩してみたことは? 川で遊んだことは?」
 木登りや川遊びなんてしたら侍女は真っ青になるだろうし、王子などと喧嘩して見ようなどという大胆な人間はいない。少し昔の法律なら、首をはねられるところだ。
「あるわけないだろう」
 この答えは当然のことだったが、セイリアはそういう事情など知らない。
「やっぱりね。いかにもそんな感じだもの」
 セイリアが言ったとき、王宮の正門に続く階段にさしかかった。二人でそこを降りていたが、ぴかぴかの石の階段は掃除したばかりで濡れていたらしく、シェーンは滑って転びそうになった。セイリアはその両脇を抱えるようにしてシェーンを受け止め、「ほらね。武芸をやらないからこんなことになるのよ」と言った。

 その時ちょうど、ゴォンという鐘の音が響いて、セイリアがぱっと表情を輝かせた。
「よっしゃ、今日の勤務、終わり!」
 あまりにも嬉しそう声にシェーンは不機嫌そうにそのセイリアの横顔を睨む。
「そんなにこの仕事、つまんない?」
「えっ……いや……だって、何にもすることないもの」
「一緒にいっぱいしゃべっただろう」
 そうか、つまんないんだ、といってシェーンは一人でずんずんと階段を下りて行った。
「そういうわけじゃないってば。あんた口が達者なんだもの、反撃を考えるのは楽しいわよ」
 言いながら、セイリアはシェーンを追いかける。そして、自分はどうして彼のご機嫌取りをしているんだろう、と思った。シェーンは振り向く。セイリアの額を指で突っついた。
「無駄、無駄。口げんかで僕に勝とうだなんて、一億年早い」
 機嫌を直したことが分かって、セイリアはほっとして笑った。
「あ、笑った」
 シェーンは我知らずつぶやいた。



 セイリアが乗った馬が遠ざかっていくのを自室の窓からぼんやり眺めていると、すぐ後ろで声がした。
「どうだ、あのお嬢さんは」
 父王の声だ。
「どうもこうもないです。ただ、驚かされてばかりです。あんなにハチャメチャなお転婆がいるとは思わなかった」
 父はけらけらと笑った。
「私も初めて会った時は驚いた。夕食をと誘われて席に付こうとしたら『腹減った〜』と叫んで飛び込んできたんだよ」
 シェーンは思わずぷっと噴出した。あの少女なら、やりかねない。
 一方の王は、久々に息子が笑ったのを見て驚いたようだった。最近、国内も国外もいろいろあったから、息子も随分政治に狩り出してしまって、疲れたのか、シェーンはずっと笑顔を見せていなかったのだ。
「シェーン」
「何です?」
「私は聞いてしまったぞ。あの子、帰る時に『また明日ね、シェーン』と言っていただろう」
 あ、と小さく言って、シェーンは父を見上げた。
「おまえが名を呼ばれることを許すとはな」
 ニヤニヤと楽しそうな父に、シェーンはため息を落とす。
「あんな性格の子に敬語使われたり王子様って呼ばれるのを想像したら、寒気がしたんです」
「……だろうなぁ。あの子がそんな事をしたら、きっと翌日には空から槍が降ってくる」
「縁起でもない事言わないでください。場合によっては本当になりかねません」
 シェーンの声は、急に真剣な声になった。
「クロイツェルの動きはどうなんです?」
 シェーンは隣国の名を上げた。
「あそこは大丈夫だろう。長年同盟関係にある」
「だからと言って侮ったりはできません」
 窓の外から視線をはずした王子は、体の向きを変えて王と真正面から向き合った。また、硬い表情に戻っている。
「それに」
 声色には、父さえはっとするような冷たさがにじんでいた。
「あの人がどう動くか、僕ですら分かりません。そのように護衛も付けずに歩き回ったりしない方が身のためですよ、父上」
 軽く礼をとって、シェーンは部屋を去った。



2004.08.06