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「ねえ、シェーン、これって……」
馬上、セイリアは思わずもらした。
「ものすっごく立場逆だと思うんだけど」
今、セイリアとシェーンは馬に二人乗りしている状態になっている。シェーンがセイリアの前に座り、セイリアはシェーンを抱え込むような形で手綱を握っているのである。要は、シェーンがセイリアの馬に乗せてもらっている状態なのだ。普通、男の子のほうが女の子をエスコートしてくれるものなのではないのだろうか。
「いーの」
シェーンは言う。
「しょうがないだろ、馬になんて乗ったことないんだから」
「王子なのに? 白馬の王子様、って言うじゃないのよ」
「……あんた、夢見過ぎ」
「夢見ることはいいことよ」
やれやれ、とシェーンは首を振った。ここ数日一緒にいて、シェーンはあまり突っ込みすぎるとセイリアの機嫌が悪くなることを学んだ。それはそれでからかっていて楽しいのだが、機嫌を取り戻させるには少し骨が折れる。
「それはともかく、シェーン、どうして護衛を私一人しか連れて行かないの?仮にも王子なんだから」
「これは極秘事項なんだよ」
言って、シェーンは書類をちらつかせる。
「ふーん」
興味なさそうにつぶやいて、セイリアは馬の足を速めた。
「やっぱ馬車にすればよかったかも」
腰をさすりながら、シェーンはぼやいた。ほんの三、四十分しか馬に乗っていなかったのだが、体中が痛いらしい。
「もう少し体を鍛えなさいよ。ひょろっちいったらありゃしない」
セイリアは疲れた様子も見せず、さっさと門番に馬を預けた。
「あんたが会議中の間は、私はどこにいればいいの?」
「僕に聞くな。まずはとりあえず中に入らないと」
使いが先に知らせに走ったのだろう、入り口にたどり着かないうちに、公爵本人がお出ましとなった。
「よくいらっしゃいました、シェーン王子」
そういって礼をとる。シェーンは頭を上げるよう、軽く手で合図をした。
「なるべく人払いをしなさい。部屋はいつもの奥の部屋を頼む」
セイリアはシェーンが他人にこんなにも威厳のある様子を示し、命令するのを初めて見たので、思わずしげしげとシェーンの横顔を眺めてしまった。
「そちらの方は……?」
公爵がセイリアに目を留める。セイリアははっとしてシェーンから目をそらした。
「私は……」
「僕つきの護衛だ。信用が置けるのはこの者だけだったから、つれてきた。ヴェルハント子爵家のご子息だ。おさおさ疎かにすることのないように」
シェーンがセイリアの言葉を遮って言う。公爵は頷いた。
「お噂はかねがね。中庭に娘が居ります。お相手になるでしょう」
要は、席をはずしてくれ、ということだ。極秘事項が何だろうが、あまり興味のなかったセイリアは、あまり気にせずに勧めに従って、中庭へと案内されて行った。
その後姿を見送るシェーンに、公爵が声をかける。
「それで……殿下。今日はどのような御用で」
視線を公爵に戻した王子の目は、鋭い光を帯びていた。
「クロイツェルの動きに新展開があった。公爵殿の意見を伺いたい」
「随分と綺麗な庭……」
セイリアは思わず感嘆の声を漏らす。
色とりどりの花が咲き誇り、歩く道々、頭上にはこんもりと木が葉を茂らせ、木漏れ日が優しい。
公爵は子爵より三位上、住居となる城もその分大きい。自分の家の庭より大きいのは当たり前だったが、予想以上の美しさに感嘆の声が漏れた。
その時、ふと、歌声が聞こえた。透き通った綺麗な声で、踊るように、軽やかで楽しげで、優しい歌声。綺麗な声だ、とセイリアは思った。
そこで待つように、と侍女がセイリアに合図をする。侍女は、花園の中、花壇の淵に座って花を摘んでいた少女の傍へ行き、声を掛けた。ふつり、と歌声がやむ。もう少し聞いていたかったのに、とセイリアは少し残念に思った。
侍女が話しかけた相手の少女は、顔は髪に隠れて見えない。陽光をそのまま写し取ったかのような、優雅で上品な金の髪だった。話し声がして、少女が振り返る。かちりとセイリアと視線が合い、少女はおっとりと微笑んだ。
その愛らしさに、白百合の花が咲いた、とセイリアは思った。あるいは彼女自身が花の精なのかもしれない。白い肌は本当に透き通るようで、思わずじっと見入ってしまう。遠目にも、余程の美少女であることがはっきりとわかる。
ぼんやりと見とれていると、侍女が戻ってきた。
「お嬢様がお相手なさるそうです」
「そう。ありがとう」
セイリアはそういって侍女に微笑みかけた。侍女はぱっと頬を赤く染めて、逃げるようにその場を立ち去った。何か変なことを言っただろうか、と首を傾げつつも、セイリアはその美少女の傍へ近寄ってみる。再び微笑んだ彼女の目は、綺麗な青色をしていた。この色、好きだな、とセイリアは思った。シェーンの瞳もこんな色だった。
「ヴェルハント子爵殿のご子息ですね」
美少女は言った。妖精が口を利いたような印象を受けた。優しく、どこか儚げな声だった。
「ええ……はい」
「どうぞ、お座りになってくださいな」
優雅な動きで、自分の隣を示して見せる。こういうのを、理想的なご令嬢って言うのかしら、と思いながらセイリアは示された場所に腰掛けた。自分とは程遠い人種だが、好感が持てた。
「お名前を聞いてもよろしいかしら」
少女が小首を傾げて尋ねる。金の髪が肩から滑り落ちて、金の炎のように揺れた。
「セイ……いいえ、アースと申します」
「素敵なお名前ね」
お世辞ではなく、本心でそういっているのがわかる。
「お嬢様は、なんとおっしゃるのですか」
「セレスティアと申します。セレスとお呼びください」
セイリアは微笑む。
「あなたこそ、素敵な名前ですね。豊穣の女神もセレスという名前です。女神も人前に出ることがあったら、あなたのように綺麗なんでしょうね」
本当に綺麗な子だと思っていたとは言え、すらりと出てきた社交辞令に、セイリアは自分で驚いた。どうやら自分は腐っても貴族らしい。
一方のセレスは、ぽっと頬を赤らめて、わずかに顔をそらした。
「お上手ですわね。そのような天使のようなお顔で言われてしまっては、もしやと思ってしまうというもの。抑えていても思い上がってしまいそうで怖いですわ」
この子は根っからの貴族だ、とセイリアは思った。こんな台詞がこうもすらすら出てくるとは。しかも、お世辞臭くない。
セレスは、視線をセイリアに戻した。
「アース殿は、シェーン王子様の護衛騎士なのですよね……王子様は、どんな方ですの?」
セイリアはほとほと困り果てた。真っ正直な感想を言ってはいけないような気がしていた。目の前の美少女は、それだけ純粋で汚れのないように見えた。この少女には、世界中のなにもかもが美しく見えているのではないかと思ってしまう。
セイリアは考え、あたり差しさわりのない返事をした。
「人によって、相手のことをどう思うかは違ってきます。ご自身でお会いになったほうがよろしいでしょう。私の感じた王子とあなたが感じた王子が違うものであれば、私はあなたに恨まれてしまいます」
セレスはくすり、と笑う。青の目が、少しだけ細められた。
「あら、わたくし、そんなにひどい人ではなくってよ」
セイリアは、この子はモテるだろうなあ、と思っていた。可憐という言葉がこれ程似合う子に、セイリアは出会ったことがない。
そして、、セレスはふわりと立ち上がった。薄紅色のドレスが翻って、花びらが舞ったような錯覚がした。軽く、裾の汚れを払ってから、セレスは花のように笑って見せる。
「外にばかり引き留めておいたのでは失礼ですわね。よろしければ、城の中をご案内致しますわ」
言われるまま、セイリアも立って、セレスについていった。
「後はよろしくお願いするよ、公爵。何か新しい情報があったら連絡してくれ」
書類を抱えて、シェーンは言った。思ったよりも話し合いが早く終わったので、内心ほっとしている。いつ、セイリアが退屈して「おっそーいっ!!」と怒鳴り込んで来るか分からないからだ。
「かしこまりました」
言って公爵は頭を下げる。
公爵は真面目で厳格、セイリアとは正反対の性格なので、公爵の娘らしい美少女を伴って廊下の向こう側からやってきた緊張感のない彼女の顔を見て、シェーンは気が緩み、緊張気味だった口元が緩んだのを感じた。
「終わったの? ……ええと、終わったのですか?」
セイリアが尋ねる。
「うん。もう帰るから、馬の準備に行ってほしい」
「うん、わかった。……じゃなくて、はい、わかりました」
公爵の前だから、ちゃんとした敬語を使おうとしているのだろうか、慣れない言葉遣いにセイリアがしどろもどろになっているのを見て、本当にどうして、自分にだけはタメ口なんだろう、とシェーンは首を傾げた。
「それでは、失礼する」
言って、護衛の後を追って行った王子の後ろ姿を、公爵は娘と共に見送った。
公爵はそっと息を吐く。会う度に、見た目に反して侮れぬ王子だと再認識させられる。数人いる王子の中で、王が彼を太子に据えた理由が納得できる。それに、顔の面から言っても申し分ない。なにしろ、王子が来る度に侍女達は黄色い声を上げているのだ。 「どうだ、シェーン王子は」
娘もそろそろ年頃だ。公爵令嬢という身分なら、王子に似合わないなどということはあるまい。親ばかを除いても、娘はかなりの美女だ。王子と釣り合いが取れないなどということもないだろう。
「お父様の話を聞いただけでも、申し分のない、立派な方だと思います」
従順な娘は頬を赤く染めて、おっとりとそう答えた。父親の方は、それを、王子に対する好意と受け取った。
だが、セレスティアの方は、あの護衛の少年の方で頭が一杯だった。礼儀正しいけれども堅苦しくもなく、どこか親しみやすく、自由奔放なにおいのする、朗らかで明るい少年。セレスには少なくともそう映った。
「あの騎士のお方も、素敵な方でしたわ……」
馬上のセイリアは、そんなセレスティアの熱い視線など、知る由もない……。
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