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帰ってくるなり自室のベッドにバタンキューをした主に、メアリーはまた「お嬢様ったら!!」と怒鳴りつけなければならなかった。怒鳴ったところで直りはしないことはメアリーもよく知っているのだが、放っておいては示しがつかない。少なくともメアリーはセイリアに一番近い侍女だから、他の侍女達のお手本とならなければならないのだ。 「勘弁してよぉ。今日は疲れてるんだから」
もぞもぞと布団に潜り込もうとしたセイリアの首根っこを、メアリーはつかんだ。
「いけません!きちんと着替える習慣をつけていただかないと」
言って、メアリーはセイリアを力ずくで無理やりベッドから引きずり下ろして、鏡の前に立たせた。
どこからどう見ても、鏡の中の人物は、優男の少年にしか見えない。元がいいのでついでにかなりの美少年に見えるが、セイリアは美とかそういうものにかなり無頓着なので気が付いていない。だが、束ねた髪を下ろして、男物の服から簡単な室内着に着替えると、噂が立たないのが不思議なほどの見事な令嬢がそこにいた。
しかし、まじまじと鏡の中の自分を見て、セイリアはため息をつく。
「やっぱりセレスのほうが美人ね」
メアリーはきょとんとした。
「セレス? そりゃあ、女神様と比べてしまったら、いくらお嬢様でも負けてしまっても文句は言えませんよ」
「違うのよ。公爵のお嬢さんのこと。ほんっとうに可愛いのよ」
セイリアの髪に櫛を通しながら、メアリーは内心、お嬢様に勝てる方など、と思っていたが、敢えて口には出さなかった。
「私、セレスみたいな金髪か、メアリーみたいな真っ黒い髪がよかったな」
セイリアはそういって自分の髪をつまんだ。薄い茶髪。少し、金の色が混じっているようにもみえる。
「私は、お嬢様のような髪がよかったと思いますけれど」
メアリーは少し恨めしげにそう言った。メアリーは常々、セイリアの髪に憧れを抱いている。
そしてものの数分もしないうちにセイリアは大きくあくびをした。
「もう終わった? 私、夕食まで少し休むわよ。その時になったら起こしてね」
言うや否や、セイリアはメアリーを振りほどいてベッドに飛び乗る。メアリーが再び「お嬢様ったら!!」と怒鳴らないうちに、セイリアは寝息を立てていた。
メアリーはため息をつきつつ、窓のカーテンを閉めてあげた。世話が焼けるのは確かだが、何だかんだ言って、メアリーはこんなセイリアの性格が好きなのだった。
メアリーがお使いのためにバスケットを下げて出て行くと、入れ替わりになるように一人の少年が子爵城に入ろうとするところだった。見慣れない顔だったので、不審に思って、裾を引いて引き止める。 「あの、どちらさまですか」 少し驚いたようにメアリーを見つめた少年は、15、6歳ぐらいで銀の髪をしていた。眸は綺麗な、薄い青。その色はほんの少しだけ緑がかっていて、海の色を思わせる。思わず心臓の鼓動が跳ね上がったくらい、綺麗……というより愛らしい顔立ちをしていた。その彼がふと微笑んだものだから、メアリーは頬が熱くなるのを感じた。 「失礼。僕はシェーン。セイリアを探して来たんだけれど」 メアリーははっとする。シェーンというのは、ここ数日、主が何度も話していた名だった。 「し、失礼しました、王子様!!」 バスケットも放り出す勢いで、メアリーは頭を下げた。同時に、少しだけ主を恨む。 何が綺麗で何が醜いか、そういうことに疎い主の話など、はなから当てにしてはいけなかったのだ。確かに格好いいという形容は似合わないが、それでも普通の女の子がときめくに値する程の顔立ちである。ということは、その主が「ほんっとうに可愛い」と感じたくらいなら、そのセレスとやらは相当の美少女なのだろうかとメアリーは考えた。 王子は、顔をあげて、と侍女に声をかける。 「君、セイリアの部屋がどこか知ってる?」 「知っています。あ、私はお嬢様おつきの侍女で、メアリーと申します。私の名を出せば、中の者が案内してくださるかと」 ちゃっかり、名乗っておくことも忘れない。 「そう。どうも」 行きかけた王子を、メアリーはおずおずと呼び止める。 「あ、あのぅ」 「なに?」 「お嬢様はお疲れだとかで、今お休みになっているんです」 王子は困ったような顔をした。 「……そうか。珍しく暇ができたから、相手になってもらおうと思って来たんだけど」 ここで帰られては惜しい、とばかりにメアリーは言った。 「夕飯には起きていらっしゃると思います。ご一緒されてはいかがでしょうか」 少し考えてから、王子はうなずいた。 「うん。そうさせてもらう」 メアリーは王子に気づかれぬよう、密かにガッツポーズをした。
シェーンが通された部屋は、公爵家よりはさすがに少し劣るとはしても、見事な調度品がそろえられたものだった。暖炉では、薪がパチパチという威勢のいい音を立てている。待っているだけでは退屈な上、なんとなく気になって、シェーンはいけないとは思いながらもセイリアの部屋の扉を開けてみた。
純白のカーテンに縁取られた天蓋つきの豪華なベッドの上、静かな寝息を立てて、少女が一人、眠っていた。シェーンは静かに近付いて行き、軽くベッドに腰掛けて、まじまじとセイリアを見つめた。
騎士の格好をしていると普通の少年にしか見えないが、こうやって見て見ると本当に見事な令嬢だった。本当に、どうやったらこんなに化けられるのだろう、と思う。
顔は確かにセイリアの顔なのだが、女の格好をしているというだけで別人に見える。確かにこれだけの化けっぷりなら、さすがの大尉でも気づかないわけだ、と思った。
口を閉じていればこの子は美人だな、とシェーン思う。肌だって外を駆け回っているにしては白いし、今は開いていない目も、鮮やかではっとさせられるようなグリーンだ。枕やシーツに無造作に散っている髪は明るい茶色で、特に毛先がふわふわとウェーブしている。
シェーンは思わず手を伸ばしてそれに触れ、少し梳いてみた。細くて柔らかい感触がした。
その時、バタンとドアの開く音がした。
「姉さん。夕食の支度ができたって……」
入ってきたのはセイリアに瓜二つの少年、シェーンの姿を見て固まった。シェーンは驚いてぎくりとし、慌てて手を引っ込める。
「あ」
「あ……」
声が重なる。さらに、シェーンのとなりでセイリアがもぞもぞと動き出した。
「アース? もう夕飯?」
寝ぼけ眼で起き上がって、焦点の合わない目でシェーンを見つめた。 「なんだ、夢の中か。シェーンがこんなところにいるわけ……」 セイリアは言葉を途切らせ、ぱちぱちと目を瞬いた。目が覚めたようだ。 「ちょっとちょっとシェーン、なんでここにいるの!?」 急に目を見開いて、セイリアが叫んだ。 シェーンが答えるまもなく、さらには、メアリーが顔を出してくる。 「お嬢様、王子様を見かけません……」 セイリアの寝室にいるのを見て、アースと共に並んで固まる。 「あ、ここでしたか……」 意味もなくこくこくと頷いて、メアリーは再び言葉を失った。 少しの間沈黙が続き、最初に口を開いたのはセイリアだった。 「ええと、とりあえず男性陣、支度をするから、はずしてもらえる?」 大きくうなずいたアースとシェーンは、先を争うようにして部屋を出て行った。
気まずい雰囲気が、部屋を出された男二人の間に漂っていた。ちらちらと見られる視線に気が付いて先に言葉を発したのは、人と接するのが苦手なアースのほうだった。 「あの、なにか……」 「いや……本当にセイリアによく似ているな、と思って」 「それは、双子ですから」 でも、とシェーンは少し首を傾ける。 「少しだけ、目の色が違うね。君の方がちょっとだけ薄い」 アースは驚いて、王子を見つめた。見つめられた方は、不審そうに眉をひそめる。 「なにか?」 「いえ……身内の者でなければ気づかないことなので、驚いて……」 「そうなの?」 「ええ……」 王子は少し満足げな表情をした。
アースはそこで、思い切って切り出す。 「あの……シェーン王子。先ほどは姉の部屋で何を?」 姉の寝室に男がいるのを見たのだから、怪しむのは当然である。しかしシェーンは不快そうな顔をした。 「誤解するな。別に下心があったわけじゃない」 なおジト目で見られて、シェーンはため息をついた。 「君の姉さんなら、手出しされる前に相手を張り倒すさ」 アースは思わずぷっと噴出す。 「確かに……そうでしょうね」 シェーンも、少し苦笑した。一瞬で、緊張が緩んだ。 打ち解けてしまえば、お互い聞きたいことはいろいろある。どれも、セイリアがらみのことだった。 「本当に、お転婆……まあ、よく言えば自由奔放な人だね」 呆れ半分でシェーンが言えば、アースがくすくすと笑う。元来人と接するのは苦手だが、アースにとってこの王子は親しみ易かった。 「ええ、まあ」 「外で跳ね回っているのは弟のほうで、姉はおとなしくて家にこもってるって、ずっとそう思っていたんだけど」 「世間が僕と姉を取り違えているんです。僕は人と接するのが苦手で、いつも家にこもっているから・・・お陰で姉は好きなだけ跳ね回れたという訳です」 「あれだけ元気では、世話が焼けそうだな」 アースはまた、くすくすと笑った。豪快なセイリアよりも随分と控えめな笑い方だ。 そして、「でもね」と言う。
「僕もみんなも、そんな姉が好きなんですよ」
「……うん」
シェーンは窓の外を見る。ぽつり、と言った。
「うん……僕も、嫌いじゃない」
裏を返せば、それは「好き」……。
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