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「この前は公爵家、今日はうちんち。全く、お忙しいことね」
ティーカップの中身をかき回しながら、セイリアはぼやく。シェーンに今日はセイリアの家に行くのだと言われ、再び彼を馬に乗せてわが家に帰って来たところなのだ。事情を知らない者と話す時には、さすがに男言葉は慣れないので、男言葉よりは使いやすい、敬語を使うようにしているのだが、今は自宅にいるので、セイリアは気兼ねなく女言葉を使える。
「そりゃあ、王子様はお嬢様のように、外を駆け回ったあげく騎士隊に入隊してしまうほど暇ではありませんよ」
セイリアにケーキを一切れ差し出しながら、メアリーが言った。ケーキを乗せていたトレイを胸の前に抱え、メアリーは少し頬を膨らます。
「それにしても、お嬢様。王子様、かなりイイ顔してるじゃないですか。そうでも無いって聞いていたものですから、お会いした時びっくりしてしまいましたよ」
少し、とがめるような声色だ。一緒に席についていたアースは、くすくすと笑う。
「そーお?」
セイリアはケーキを頬張りながら首を傾げて、シェーンの顔を思い浮かべた。
「まあ、確かに悪かぁないと思うけど」
「かなりイイです」
きっぱり言ったメアリーを、セイリアはにまにま笑いながら面白そうに見つめた。
「あらあら、メアリー。今度はあなたが王太子妃発言?」
メアリーは真っ赤になる。感情が顔に出るという面では、主に引けを取らず素直なのだ。アースは今度は大笑いした。常々あまりこのような豪快な笑い方はしない子だが、セイリアと一緒にいるときに限ってよく笑う。
そのアースを困惑気味に見て、メアリーは上ずった声で叫んだ。
「変なことおっしゃらないでください!お嬢様ならともかく、私では身分不相応ですっ」
ふふ、とセイリアは笑った。
「シェーンは未来の王様よ? 王様の命令は絶対なんだから、メアリーが気に入られて王様が嫁げと言えば身分も何も無いわ」
「ですから、王太子妃なんてなりたいとは言ってませんてば!」
「姉さん、それくらいにしてあげなよ」
アースがおなかを抑えながら、途切れ途切れに言った。
「はいはいわかりました。……それにしても遅いわね。うちの父親なんかに頼めることなんてそんなに無いのに」
「お嬢様ってば……」
父のことさえ平気で悪く言うセイリアに、メアリーはため息をついた。
セイリアは立ち上がる。ケーキの最後の一切れを口に押し込んで、もぐもぐと言った。
「ちょっと、見てくるわ」
「え……お嬢様!?」
「平気よ。お父様に教えられるような極秘事項なら、私が聞いてしまっても大したことないわよ」
「お嬢様ったら……」
何度目かわからない溜息をついているうちに、セイリアは部屋を出て行っていた。
「放っておきなよ。姉さんは元からあんなんだから、止めても無駄、無駄」
「恐れ入りますが、若様。お嬢様のことは私のほうがよく知ってますよ」
「それはどうかな、僕らは双子だよ」
にこっと笑うと、アースは本当にセイリアそっくりになる。……つまりは、かなり綺麗な笑顔なのだ。家の中に閉じ込めておくのはもったいない、とメアリーは常々思う。セイリアとは反対で、運動神経こそあまりよくないが、たくさんの本を読んでいる分、彼は恐ろしく博識で、宮中に入れば有能な臣になるだろうと思われた。セイリアにできなかった分、子爵は礼儀作法を弟に叩き込んだ。おかげでアースの動作は本当にしなやかで優雅である。セイリアよりもずっと貴族らしかった。
少しは若様を見習っていただきたいものだわ、とメアリーは大きく息を吐いた。
「お嬢様を追いかけてきます。またいつかのように『腹減った〜』では困りますから」
噴出し損ねて、アースは茶をのどに詰まらせた。何とか踏みとどまってお茶を噴出さずに済み、慌ててハンカチを出して口に当てる。セイリアなら遠慮なしに、豪快に噴出す所だろう。本当に若様を見習ってもらいたいわ、とメアリーは天を仰いだ。
きっちりと閉ざされた戸を、セイリアは勢いよくあけた。「大したことない機密事項」にしては、密室で話し合いが行われていることには気づかない。
「おっそーいっ! いつまで話してるのよ。私は昼間の勤務なのよ、もう五時じゃないの!!」
シェーンはちょうど図面を広げて、それを見ながら、子爵と共に唇に手を添えて考え込んでいるところだった。その姿を見て、セイリアは一瞬呆ける。
シェーンは今まで見たこともない、真剣で凛々しい表情をしていた。
(…………)
確かに、かなりイイ顔かも、とセイリアは我知らず見とれる。
乱入に気づいて、シェーンと子爵は顔を上げた。シェーンはもう慣れた感じで、子爵は慣れているとはいえ王子の前なのでかなり青くなって。
一瞬、沈黙があった後。
「……喉が渇いた。何か飲み物ちょうだい」
シェーンはそれだけ言うと、再び書物に目を落とす。セイリアはブチッときれた。
「あたしはあんたの召使いじゃないわよ!!」
このわがまま王子め、とセイリアは眉を吊り上げる。
「わ、私がお持ちいたしましょう」
セイリアの後を追ってきていたメアリーが言って、そそくさと消えた。
セイリアはすう、と息を吸って、一気に言った。
「いつになったら終わるの? 私、これからまだあんたを王宮まで送らなきゃいけないのよ? そろそろ日が暮れるわ。いつもの夕食の時間に帰ってこれないじゃないのよ。それともあんたが夕食をおごってくれるの? 残業手当、出るんでしょうね?」
つらづらと不平を並べるのを見て、さすがにシェーンも唖然とした。
「わかった、わかったから。帰るよ。どうせ今日中に結論は出なさそうだから」
さっさと書類をまとめて、シェーンは、どうして王子の自分がセイリアに振り回されているのだろう、とふと首を傾げた。
「それじゃ、子爵。今度またお邪魔するよ。続きはその時にね。そろそろ父上からも声がかかると思うから、そのつもりで」
子爵はうなずいた。子爵が何か言いたそうにしているのを見て、シェーンはああ、という。
「このじゃじゃ馬さんにはもう慣れたから、謝罪は不要だよ。あなたもいちいち謝っていたんじゃ大変だろう」
はあ、と困惑気味に、子爵は頭を下げる。
シェーンは行こう、とセイリアに声をかけて、メアリーの運んで来たお茶を飲み干し、軽くメアリーに微笑んで、部屋を出て行った。セイリアはぼーっとシェーンの後ろ姿を見送るメアリーの肩を、ばしっと叩いて正気に戻し、シェーンの後に続いた。
シェーンはちらりと振り返るとセイリアを見つめて、笑い含みに言う。
「口の周りに、何かついてるよ」
セイリアは真っ赤になって、急いで袖で口の周りをごしごしと拭いた。
「ねえ、シェーン。あなた、せめて馬にくらいは乗れるようになった方がいいわよ」
セイリアは馬上でそうきり出した。シェーンは「またその話かい?」と呆れた顔をする。
「言ったろう。興味ないってば」
「いつでも護衛が側に居るとは限らないじゃないの。いざとなったらあんた、おとなしく殺されるか攫われるかするしかないわよ」
シェーンは眉をひそめる。
「物騒なことを言うな」
「だって、王族ってそんなもんでしょ?」
はあ、とシェーンはため息をつく。本当に、この少女は遠慮がない。良くも悪くも、歯に衣着せぬ物言いをする。
それに、とセイリアは言った。
「一度、シェーンと並んで馬に乗ってみたいのよね」
は、と思わずシェーンはセイリアを振り返る。
「ほれほれ、前見て無いと落ちるわよ」
セイリアはシェーンの頭を掴んで、正面に戻した。
「……それ、本気?」
シェーンは尋ねる。
「はい?」
「僕と、並んで馬に乗ってみたいの?」
「うん、まあね。まずひとつ、王子ともあろう者が、馬に乗れないなんておかしい。ふたつ、あんたの安全を考えると、乗れた方がいい。みっつ、あたしがシェーンを乗せる手間が省けるし、馬も楽。それから、きっとあんたと二人で並んで乗った方が楽しい。お互いの顔が見えるし、シェーンが馬に乗った姿もみてみたいし。それに……」
言いかけた言葉を、セイリアは飲み込んだ。
「なに?」
「なんでもないわ」
「なんだよ、気になるじゃないか」
「いいの。あんたが聞いたら、笑うわ」
「……なに、それ」
シェーンは首を傾げながらも、言った。
「……でも、考えてみるよ。乗馬のこと」
君のためだからね、という言葉は飲み込んでおく。
「そう? よかった」
セイリアは馬を駆った。
王都の街並みの向こう、王宮の塔が見えていた。黄昏の色が国中を包んでいる。それをぼんやり眺めながら、セイリアはさっき飲み込んだ言葉を思い出した。
――それにね、シェーン。
あんたとこうやってぴったりくっついてると、
いやにドキドキするのよ。
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