側妃の子なんだよ、と大尉は教えてくれた。 「シェーンが……じゃなくて、シェーン王子が、ですか?」 セイリアは聞き返す。結構衝撃的事実だったので、目が真ん丸になった。 「そう。これは、王族か貴族、もしくはそれに近い人しか知らないことだけれどね。私は本当にたまたま知っているんだ」 他の人には言わないように、と言って、大尉は悪戯っぽくウインクした。どうやらセイリアは本当に大尉に気に入られているらしい。外を跳ね回っていたせいで宮中の噂や情報に疎かったセイリアは、貴族にもかかわらずこの事実を知らなかった。その旨を言うと、大尉は声を立てて笑った。 「そうか。そういえば君はヴェルハント子爵のご子息なんだったね。しかし、君らしいことだ」
宮中で仕事をするようになって、何かと大尉とばったり会うようになった。シェーンはまた極秘会議だとかで、追い出されたセイリアにはすることがない。そこへ大尉が通りかかり、声をかけられ、今に至るというわけである。
大尉は話を続けた。
「そもそもは、陛下がどこかへお出掛けになった時に見初めた女性を、宮中の反対を押し切って側妃に召し上げたのが始まりなんだけど。結局、宮廷の反感を極力抑えるために側妃は王宮の奥深くに隠されたんだ」 「そんな、どこかへお出掛けになった時に見初めた、って……」 「うん。多分、どこかの農家の娘だろうね」 「そんな……それじゃ……」 大尉は苦笑した。 「シェーン王子の立太子に対する反対勢力は、歴史にも例を見ないほど多いね」 はー、とセイリアは驚きの溜め息を漏らした。 「正妃の王子達とのこともいろいろあるだろうし。実は、あの王子は大変なんだよ」 セイリアは再びはー、と言った。 「本当に、あの王子はいつ命を狙われてもおかしくない立場なんだ。もちろん、武術の稽古をつけようという話もあったけど、当時、信用に足る適当な先生がいなかったらしい」 「大尉はどうなんですか」 「私が兵に入ったころ、一度声をかけられたことがあったけど、王子はその時には既に陛下の手助けに奔走する身だったから」 そうか、とセイリアはうなずいた。大尉の年齢なら、兵に入ったのもここ最近だろう。見た目にも好青年といった感じの大尉は、まだ20代前半だった。 その大尉はやれやれと首を振って、笑う。 「アース、王子に仕えているんだから、もう少し王子のことを知った方がいいよ」 はあ、とセイリアは呟いた。 「でしたらどうぞ、いろいろ教えてくださいね。本当に宮中には疎いものですから」 本当に困ったような顔をして、セイリアが言う。 「ああ。喜んで」 大尉はそう言ってにっこり笑った。 セイリアはふと思い出す。 「そういえば、大尉のお名前、伺っていませんでしたね」 「ああ、そうだね。ハウエルだよ、ハウエル・オストール」 「いい名ですね」 本当に、そう思った。 「ありがとう」 大尉は本当に、嬉しそうに笑う。気持ちのいい人柄だ、とセイリアは思った。
「そういえば、君、今度王子に付いてクロイツェルに行くんだって?」 「ええ」 「私も付いて行くことになっているんだ。君、国外は初めてかい?」 「ええ」 「緊張する?」 「いいえ」 セイリアがきっぱり言ったので、大尉は思わずほほ笑んだ。 「本当に、大胆で勇敢な子だね」 「どうしてです? なにも危いことなんて無いでしょう」 「いや。こことクロイツェルの国境付近は、最近治安が悪いんだ。人狩りや強盗はあって当たり前、気をつけた方がいいよ」 「人なんか狩ってどうするんです?」 首を傾げて問うセイリアを見て、大尉は少し呆れた。 「売るんだろう、勿論」 「どうして人なんか買うんです?」 これは大層な世間知らずだ、と大尉は目を丸くした。 「それは、妓楼に入れたり自分の奴隷にしたり、妻にしたり小姓にしたり……」 「妓楼って?」 「だから、男が行って女を買って、一晩女と遊ぶ場所だよ」 「ええと、それはつまり、そういうこと?」 「分かったのか分かって無いのか、分からないんだが」 「……たぶん、わかりました」 「よろしい」 「……何の話でしたっけ」 「だから、クロイツェルの国境付近が危い、と……。心配だな。君は宮中どころか世間にも疎いみたいじゃないか」 「……そうみたい」 よく、近くの村に降りてたんだけどな、とセイリアは首を傾げた。子爵の領地付近は治安がいいので、セイリアは世の中の裏の世界に触れる機会が無かったのである。 「今回のクロイツェル行きには、非公式とは言え、多くの騎士、ああ、それと公爵のたっての願いで公爵のお嬢さんも同行する」 「セレスが?」 「おや、知り合いかい?」 大尉は意外そうな顔をした。
「前にシェーンにくっついて公爵家に行った時に会いました。あ、いえ、シェーン王子、です」 「へえ。とにかく、たまには娘に世の中を見せてやりたいだとかで、そのセレスさんが一緒に行くそうだよ。私としては、これを機にシェーン王子とくっつけるのが狙いのように感じるけれど」 セイリアはふーん、と呟いた。これはあまり嬉しくない情報だ。 「どうやら君、随分王子と親しくなったようだね」 大尉にニコニコと言われて、セイリアは思わず赤くなった。 「王子は結構矜持が高い子だよ。でも、君には直接名前で呼ぶことを許してる。それが、王子が君に心を許してる証拠」 「はあ……」 「噂をすれば。ご主人がお迎えに来たようだよ、アース」 ふと視線を転じると、書類を抱えたシェーンが出て来た。 「セイ……じゃない、アース、終わったよ」 「今行く! では、ハウエル大尉、失礼します」 礼をして、セイリアはシェーンに駆け寄った。
「随分大尉と親しくなったようだね」 さっきの大尉と似たような台詞をシェーンは言う。しかし、さんさんと日の当たる屋外の回廊は暖かかったが、シェーンの言葉にはほんの少し棘があった。 「何よ、妬いてるの?」 「そんなんじゃないよ」
シェーンは慌てて否定する。それを笑って見過ごし、セイリアは足元を見つめた。偶然にも、シェーンと歩調がまったく一緒になっている。
「そういえばね、よくよく考えてみれば、同じ年頃の子でこんなに仲良くなったの、アースを除いたらシェーンがはじめてかも。城下に友達はいっぱいいるけど、みんな私の身分を知ってたから、なんだか恭しかったし。こんな会話ができるの、本当にアースを除いたらシェーンだけだわ」 シェーンは思わず横を見る。少しうつむき加減の、微笑んだセイリアの横顔があった。それがすごく綺麗に見えて、シェーンは一瞬どきりとする。 「皮肉よね、その相手は王子なんだもの。おまけに太子。会いたいと思ってもすぐ会える相手じゃないし。私は運良く護衛になれたからいいけど」 「……・どうしたの、急に。いやに素直じゃないか」 「あら、私はいつでも素直よ。あんたと違ってね」 セイリアはぱっと顔を上げて、シェーンに向かって舌を出した。シェーンは思わず微笑む。ふと、セイリアがとても純粋な子なんだと気がついた。権力闘争やいろいろな思惑が錯綜する、息苦しい王宮の中、本当にセイリアは輝いて見える。
突然セイリアは、シェーンの頬をつかむと、口の両端を指でぐいっと押し上げた。驚いたシェーンはあわてて飛びのいて、頬を押さえる。 「な、何をするんだよ!」 「なんかね。シェーンがにこっとしたの、見たことないなと思って」 目を白黒させるシェーンにはかまわず、セイリアは小首を傾げて続ける。 「微笑み、って言う表情は最近よく見るのよ。でも、にっこりはまだ。だからさ」 セイリアはまたシェーンに近づいて、ほっぺを軽くつねった。 「笑い方を教えてあげよーかなぁ、って」 膨れっ面でセイリアの手をぺしっとたたき、シェーンは叫んだ。 「余計なお世話!」 言いながらも、シェーンは頬がほころんで仕方がない。こんなことをされたのは初めてで驚いてもいたが、なんて楽しい子なんだろうと、笑い出しそうにすらなった。
「そういえば、シェーン。シェーンって側妃の子供なんですって?」 シェーンの表情が強張った。しかし、すぐに「ああ」といって、シェーンは元の柔らかい表情に戻る。 「そうだよ。……何だ、知ってたんだ。セイリアって体力はあるくせにあまり物を知らないから、てっきり知らないんだと思ってたけど」 「何よ、それ」 「誰から聞いた?」 「秘密。内緒にしてって言われてるの。安心して。あなたも知ってる人だし、信頼できる人だから」 「……そう。まあ、信じてあげる」 「いろいろと大変なのね、王子業も。私、ちょっと見直したわ」 シェーンは押し黙る。見上げた空は、もくもくと雲が多かった。
「……王宮を歩いているとね、十人に一人は必ず僕の敵とすれ違う。兄上、あるいは伯父の手の者だ。兵や騎士隊には味方が多いから、いろいろと世話になってるけど。はっきり言って、今まで僕はよく何事もなく過ごして来れたと思うよ」 「……いやに物騒ね」 「そういう人たちから僕を守るのが、君なんだよ?」 「わかってるわよ」 セイリアはにっこり笑う。自信たっぷりに胸を張った。 「今度のクロイツェル行きは任せなさい。きっちり守ってあげるわよ」 シェーンは微笑む。見た目に反して頼れる護衛かもしれない、と思った。
正直、初めはどうなるかと思っていたけれど。
……セイリアとなら、うまくやれそうだ。
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