外国訪問の準備に追われてシェーンが忙しくなると、護衛のセイリアも必然的に忙しくなった。王宮の外に出ることが多くなって、狙い易くなったのだろう、セイリアは怪しげな連中が時々周りをうろついていることに気付いた。どうやらシェーンが狙われているというのはまんざら嘘でもないらしい。お陰で剣の柄には必ず手を置いておくことが習慣になってしまった。
「また、いる」
ひそりとシェーンに耳打ちするが、狙われている当人は至極冷静だった。
「いつものことさ。本当に一人きりにならない限りは心配ない」
それより、とシェーンは言う。
「早く馬を片付けてよ。これ以上中に馬を入れると失礼に当たることもわからない?」
相変わらずの口の悪さである。フン、と鼻を鳴らして、つんつんしながらセイリアは門番に馬を預けにいった。
シェーンはちらりと、先ほどセイリアが指差した方を見る。屈強そうな男が一人、民衆に紛れてこちらを伺っていた。
――最近、心なしか、相手が見張りに来ているのを以前よりも頻繁に目撃する。ちらりとこちらを見た相手と一瞬視線が交わり、気付いた男はぱっと群衆の中に紛れ込んでしまった。
その時、背後でフンと鼻を鳴らす音がした。シェーンも見ていたらしい。
「何よ、やっぱり気にしてるじゃない。なのに平気そうにしちゃって。ほんと、素直じゃないわね」
シェーンは無視した。
「遅い。ただでさえ遅刻してるのに」
セイリアは、シェーンがこっそり予想した通りの反応を返した。
「こらっ! 話を逸らすんじゃないの! ちょっとシェーン、聞いてる!?」
セイリアの罵声攻撃をかわしながら、シェーンは城の中へと入った。
シェーンは、今日はオストール伯爵と会談らしい。伯爵家に今まで訪れたことがあるのは片手で数えられるほどの回数だったが、セイリアは伯爵のふわふわした人格はよく覚えていた。
伯爵は老齢で、ふわふわ笑いながらシェーンを招き入れ、セイリアにも「護衛の方もどうかお気を楽になさってください」とふわふわと言った。この人に会うと本当に和む。
先程怪しい男を見かけたせいで尖っていた神経が一気にほぐれた。シェーンによれば、和みすぎて会議の時に緊張感を持てなくなってしまって困るのだそうだが別段それを嫌がっている様子はない。
セイリアはいつものように会議部屋から締め出され、隣の部屋をふらふらしていた。細部に至るまで美しく繊細な刺繍の施されたソファ、それに合わせたクッション。暖炉の火は消えていたが、暖炉自体には見事な模様が彫刻されていた。その暖炉の上には大きな伯爵の肖像画が飾られている。やはり、ふわふわと笑っていた。
その時、廊下を駆けてくる軽やかな足音がした。勢いよく開いた扉から飛び込んできたのは黒い髪の少女、興奮に顔を上気させている。彼女はつかつかとセイリアに近づいてきた。
「ねえ、シェーン王子が来たってほんと!?」
突然のことにセイリアは目を白黒させ、やっとのことで頷いた。少女は「わあっ」と嬉しそうに言って、すぐさま会議の部屋へ駆け込もうとする。セイリアはあわててそれを呼び止めた。
「あ、今は会議中で……」
少女は立ち止まり、むっとしたような顔をする。
「あら。一介の護衛がわたくしのすることに口出ししないで欲しいわ。シェーン王子が、この伯爵家に来たのよ?わたくしを訪ねる他に何か御用があると思って?」
セイリアは口をあんぐり開ける。何を言っているのかわからなかった。
「何か……
意味がよく……」
「もう、頭の回転が遅いのね。いちいち説明してあげるいわれはないから、自分でお考えなさい」
セイリアの手先がぴくりと震えた。初めてシェーンと話した時と同じようなむかつきを覚えた。
「何を偉そうに! ちょっとは人の迷惑も考えなさい!」
怒鳴ったセイリアに少女は一瞬怯んだ。それから見下すようにセイリアを一瞥し、高慢そうな態度で言った。
「あんた、どこの誰? このわたくしが誰だか分かっておいで?」
セイリアは吐き捨てる。
「私はシェーン王子のお付きの護衛騎士、アース。貴女がどこの誰かなんてのは別に知りたくないので御気にせずに」
予想と裏腹に、少女は嬉しそうに顔を輝かせた。
「あら、じゃあ、あんた王子様に顔がきくのね。なら早速取り次いでちょうだい。あなたが会いたがっている乙女が扉の外で待っています、と」
「私はシェーンの事務官じゃない! だいたい、それが人にモノを頼む態度?」
少女は蒼白になった。こんな風に言われたのは生まれて初めてだという顔をしている。
「うるさいわね! さっさと行けばいいのよ。このわたくしの命に逆らう気?」
「命? 誰の命? このわたくしの命! そりゃ結構だこと! 誰が大人しくあんたなんかの命令をほいほい聞くもんですか!」
少女が更に蒼くなり、息を荒げた時、部屋の両側にある扉が二つ同時に開いた。
「何を騒いでるんだ? お陰で会議に集中できない」
「アマリリス、いい加減にしなさい!」
両方から、知っている声が飛んでくる。前者はシェーンの発した言葉、そして後者はハウエル大尉だった。
セイリアはハウエル大尉を見てぽかんとし、少女の方はいかにもシェーンに話しかけたそうにしながら、苦々しげに大尉をちらちら見ていた。
そのシェーンは少女ではなく大尉を見つけて、ああ、と呟いた。
「お邪魔しているよ、オストール大尉」
大尉も礼を返した。
「御機嫌麗しく、王太子殿下。妹はまだ何も変なことを言っていませんね?」
シェーンはやっと少女に気付いたようだった。少し顔をしかめて「ああ、大丈夫」という。
「あら、兄様。変なことってどういう意味かしら?」
少女は不機嫌そうな顔をして大尉に食ってかかる。セイリアは、大尉と兄妹だったのか、と目を丸くしていた。
「ハウエル、アマリリス、自室に戻りなさい。大事な話をしている最中なのだ。中断されては困る」
言葉とは裏腹にふわふわした口調で言ったのは伯爵、それに対して大尉は、はい、と歯切れ良く返事をして頭を下げた。
「仰せのとおりに、父上」
え、とセイリアは首をかしげた。一方アマリリスと呼ばれた少女は不満たらたらな様子だったが、それでも気のない声で、はい、といって軽く礼をとった。そして、挑むように伯爵を見る。
「でも、お父様。次こそはゆっくりシェーン王子とお話をさせてちょうだい」
「それは、シェーン王子の気持ちも考えるべきだろう」
大尉が口を挟んで、少女を抱き上げた。
「今日はおとなしくしていなさい、アマリリス。みんなの邪魔をするんじゃない」
アマリリスは口を尖らせて兄を睨んだ。大尉はそれにはかまわずに、セイリアに目を向ける。
「アース、妹が何か失礼なことを言わなかったかい?」
セイリアは少し責めるような調子で言った。
「それは本人に聞いてください」
大尉はアマリリスに再び目を向ける。
「だって……
だって、あの護衛の方が先に無礼なことを言ったのよ!」
アマリリスが抗議する。大尉は苦笑した。
「そりゃ、妥当だったんじゃないのかい? 彼だって貴族だ。……
ヴェルハント子爵のご子息だよ」
アマリリスは口をあんぐりと開け、セイリアを凝視した。セイリアはフン、と鼻を鳴らして胸を張って見せる。アマリリスはむっとしたような表情になり、セイリアに向かって思い切り舌を出した。
それを見ていたシェーンは、もう沢山だと言わんばかりに、うるさそうに手を振った。
「喧嘩はよそでやってくれ。君たちの茶番に付き合ってる暇はないよ。セイ……
いや、アース。もう絶対誰も部屋に入れるな。そして君も入ってくるな」
「別に入りたいとは思ってません。あんまり長引くようなら別だけど」
「長引いたとしても、だ。ちょっと自分がいらいらしただけでこの国を傾けたくないなら、僕が出てくるまでおとなしく待っていなさい」
セイリアは思い切り非難の目でシェーンを睨んでやったが、当のシェーンは涼しい顔をしている。「何か文句ある?」と目で言っているのがはっきりとわかった。
「はいはい、わかった」
諦めてセイリアが言うと、シェーンは少し満足したように微笑んだ。
「聞き分けがよろしい」
未練いっぱいの目をしたアマリリスには目もくれず、シェーンは大尉に軽く会釈をして、伯爵と部屋に戻って行った。
帰る道々のおしゃべりは習慣となっていた。時々派手に馬上で喧嘩をして馬から落ちかけたこともあるが、今日はそんなことにはならなそうである。
「ほんと、あんなに似てない兄妹、初めてだわ」
セイリアが首を傾げると、前にいるシェーンはくすくすと笑う。
「僕はもう一組知っているけどね」
シェーンは少し振り返り、にやりとしてまた正面を向いた。
「君とアースも、本当に似てないよ……
顔以外は」
「そうねぇ……
あの子は私と、ほとんど正反対ね。それにしても、大尉って伯爵の息子さんだったのね。今までそんなこと、一度も言ってなかったわ」
「まあね……
三男だし。位を継ぐことはないだろうから、知らせる必要はないと思ったんじゃない?」
「それにしても、あのアマリリスって子」
王宮に馬がついて、門をくぐりながらシェーンが突然言い出した。
「君と似てるだろう? あのお転婆な所がなんとも」
「あら、私、あそこまで高慢じゃないわ」
「まあね……
君でも勝てないだろうね。口喧嘩は勝ってたみたいだけど」
セイリアはそれを聞いて、また腹が立ってシェーンに膝カックンを仕掛けてやった。
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