「あらまあ、随分と余裕しゃくしゃくじゃない」
セイリアは盛大に眉をひそめて言った。シェーンは溜め息を落とす。
「そう言われると思った」
「だって、この時期よ? クロイツェル行きがあと半月に控えてるのに!」
「それでも、で・ん・と・う、です」
「そしてみすみす自分の首をさらすってわけね」
「安全対策は講じるってば。そんなの当然だろう」
「だからと言って安心するの? ……
ああ、危険が多過ぎて、みんな危機感が麻痺してるんだわ。物事には常に緊張感を持って臨むべきなのに」
「緊張感のカケラもなさそうな君には言われたくない台詞だな」
次の瞬間、シェーンはまた膝カックンを食らっていた。大分セイリアの奇襲攻撃には慣れて来たものの、やはり不意を突かれるとシェーンは弱い。思い切りバランスを崩しそうになったが、奇襲を仕掛けた本人のセイリアに受けとめられた。
「それで、とどのつまりは、爵位の貴族とその直系は全員出席しなければいけないのね?」
膝カックンについては一言も触れず、セイリアが言った。シェーンは非難がましい目付きでセイリアを見た後、溜め息を一つ吐いて、そうだよと言った。
「厄介な伝統だこと」
セイリアが思い切り嫌そうな顔をする。きついドレスを着てお上品に振る舞って、その上他の貴族の男にリードされながら踊る行事など、セイリアにとっては厄介以外の何物でもない。
そう、外国訪問準備で浮足立っているこの時期に、王宮でパーティーなんぞをやろうというのである。
これは伝統的な行事で、収穫の季節のこの頃に、民が豊作を祝う祭りと同時期に毎年行われるものだった。今年は処々の事情があって延期の方向で意見がまとまっていたのだが、親王――
現王の兄とその一派が頑固にこれに反対した。シェーンも王も、大きな行事が二つも続くこの忙しさの混乱に乗じて、彼が何かやらかすのではないかと分かっていたのだが、あまりに相手の影響力が大きい故に、これを退けることができなったのである。
しかし、シェーンはこんなことをセイリアに言うつもりなどなかった。いくら彼女は肝がすわっているからと言っても、こんなことを聞いたらとても心配するに違いない。
それはさせたくなかった。
「それで、本物のアースの方はどうするつもりだい?」
シェーンは、セイリアの例の双子の弟を思い出して言った。
「あら、本人が何を言おうとも、馬に縛り付けてでも連れて行くわよ」
「……
・かわいそうに、こんな姉を持ってしまって」
「仕方ないでしょ。おてんば弟が欠席で、大人しい姉が出席なんて、どう考えてもおかしいもの」
「髪はどうするつもり?」
「その時だけは切ったんだって言い訳できても、翌日出勤したら元に戻ってた、なんて自分からバラすようなもんじゃない。カツラを被ってもらうしかないわね」
シェーンはため息をついた。
「……
ほんとに哀れだ」
実際にセイリアも哀れだと思わざるを得なくなった。このことを聞いたアースが、今にも倒れんばかりに青くなったからである。
「ご、後生だからそれだけは勘弁して! そんな人でいっぱいの所に放り込まれたら、僕死んじゃう」
可哀相だと思いつつも、セイリアは叱り飛ばすしかなかった。
「15歳以上は絶対出席。あんたも知ってるでしょ」
「そこをなん……
」
「とかなりはしないわよ。まったく、その対人恐怖症をどうにかしなさい」
「やれと言われてできることじゃないよ」
「だからこうしてチャンスをあげてるんじゃないの。さ、いい加減諦める!」
しゅんとうなだれたアースは、しばらく口をもぐもぐさせた後、ようやく屈服した。
「やっぱり説得はお嬢様に任せるに限りますねぇ」
メアリーはほっとしたようにいった。
「あら、珍しい。メアリーが褒めてくれるの?」
セイリアはパジャマ姿でベッドに飛び乗る。柔らかい布団がそれを受け止めた。
「だって、お嬢様のそのドスの効いた声で迫られて尚首を横に振れる人なんて、私くらいのもんですよ」
さらりと言ったメアリーは反撃を予想した。案の定セイリアはムッとした顔をしたが、思い付いたように言った。
「でしょ。それも外に出て肝っ玉を身に付けたお陰なのよ。だから、もう私が外で跳ね回ることに反対するのは止め……
」
「それとこれとは別ですっ!」
メアリーがぴしゃりと言った。セイリアは不服そうにしたが、反論はしなかった。
「まったく、お嬢様ったら日に日に屁理屈をこねるのが上手になっていくんですから」
ぶつぶつと言って、メアリーはセイリアの脱ぎ捨てた服を小脇に抱え、灯りを消してセイリアにお休みなさいませと言うと、部屋を後にした。
セイリアは布団に潜り込んだ。秋も深まってきて、窓を閉じていても虫の音が聞こえてくる。目を閉じて思うのはパーティーのことばかりだった。やはり、誰かとダンスをせねばならないのだろうか。誰と踊ることになるのだろう。
何故か真っ先にシェーンの顔が浮かんだ。セイリアはそれを振り払う。あんなに運動神経なさそうなんだから、ダンスだって下手に決まってるわ……
。
無理にそう考えて、セイリアは今更シェーンが王子であることを思い出した。
―― まあ、多少は踊れるのかもね。
それより自分だ、とセイリアは気付いた。ダンスの経験など皆無だ。基本すら何も知らない。アースなら知っているだろうか。パーティーの前にちょっと教わっていこう、と思っていると、何時の間にか眠りに落ちていて、気が付いたら朝だった。
寝坊気味のセイリアを、いつものようにメアリーが起こしに来る。それでも布団でごろごろしていると、ついにセイリアは布団をひっぺがされた。
いつもの朝の始まり……
のはずだったのだが。
数十分後には、セイリアの怒声が聞こえて、驚いたメアリーが、抱えていた布団を取り落とすこととなった。
いつになくしょんぼりしているセイリアを見て、シェーンはぎょっとしたようだった。
「な、何があったの?」
「うーん? あのね、アースのおバカが熱出した」
何を言うのかと思えばこれである。シェーンの「ぎょっ」は「ぽかん」に変わった。
「何だ、それだけか」
「あたしにとっては一大事なの!!」
「どうして?」
セイリアは何故かシェーンを睨む。
「絶対言わない」
ダンスの仕方がわからないなどと言って、笑わせてなるものか。笑わなかったとしても、呆れるか馬鹿にするかのどれかだろう。とりあえず、どれもゴメンだ。
「でも、パーティーは明日だ」
運良くシェーンの方から話題を逸らしてくれた。
「わかってるわ。でも……
」
「馬にくくりつけてでも連れて来るんじゃなかったの?」
「それはアースが元気なときの話よ。しかもあの子ったら、パーティーを休む絶好のチャンスだとか言って薬は要らないって言ったの。腹が立ったから、侍従を手伝って、口をこじ開けて薬を流し込んでやったわ」
「おいおい……
」
シェーンは心底、この姉を持ったアースが気の毒になった。一方セイリアは一向に悪びれる様子はない。ダンスのレッスンがおじゃんになってしまった方が問題なのである。
腐っても貴族なので、セイリアにはそれなりに自尊心もある。下手くそと笑われやしないかと思うとどうしても気が滅入った。
またセイリアがしょんぼりして、らしくないその姿にシェーンは再びぎょっとした。
「そういえばさ、明日は男の格好で来るの、女の格好で来るの?」
とりあえず、セイリアの気持ちをしょんぼりから逸らしてみようと試みる。
「女の格好で。お父様がそうしなさいって。あるべき姿で居たほうが、何かがあったときのためにいいし、そういう公共の場なら私も変なことはしないだろうから、だってさ」
「……
どうだか」
「何よ、それ」
「“どたどたと走り込んで『腹減った〜』”なんてことにならないといいけどね」
セイリアは真っ赤になる。
「どこで聞いたのよ、それ」
シェーンがにやりと笑って言った。
「父上から」
恨むよ陛下、とセイリアは密かに毒づいた。
そして、パーティーのことを思ってまたため息をつく。
「パーティーなんて窮屈な所でじゃ、そんなことしたくても動きがままならないわよ。ドレスもダンスも嫌だわ。しきたりなんてバカバカしくって。ほんと、皆よく我慢できるわね、って感心しちゃうわ」
「僕は逆に、どうしてそんなに嫌がるのかわからないな。縛られるからこそ成り立つものだってあるのに」
「例えば、国そのもの、とか?」
「何だ、よく解ってるじゃないか」
シェーンの言葉に、セイリアは得意そうに顎を上げる。だが、熱を込めて言い放った。
「それでも、私はやっぱり自由がいいわ」
本当に貴族なんだろうか、とシェーンは思わずじっとセイリアを観察してしまった。
|