The change of feeling
気持ちの変化

 


「アース!」
 さわやかな声がして、セイリアは振り返る。
「また、会議から閉め出されてるのかい?」
 ハウエル大尉だった。
「余計なお世話ですっ」
 セイリアが膨れっ面で返す。大尉はただくすくすと笑っただけだった。セイリアはハウエルを見上げ、首を傾げた。
「何で入っちゃいけないのか、未だによくわからないんですけれど。私、貴族ですし、別に口が軽い方ではありません。なのに閉め出されるのは、なんだか信用されてないみたいで不快なんです」
 いきなり言われて、ハウエル大尉は少しの間硬直した。
「相談しているのは国家機密事項なのだから、中枢しか入ってはいけないのは当然だろう。現に、私だって、中枢のみの会議で話し合われた内容については一切知らされていないよ。知らされるのは、いつも結果のみさ」
「何だ、皆そうなんですか」
「私がかかわっているのは軍事で、政治ではないからね。それとも、アース……
 ハウエルが少しだけ、厳しい表情になる。
「中で話し合われていることが、そんなにも知りたいのかい?」
 セイリアはきょとんとした。
「別に知りたいわけじゃないですけれど。だって、今まで知りたくなかったことでも、隠されると気になりません?」
 真っ正直に言われ、ハウエルは返答につまり、そして徐々に笑いをこらえる顔になって、ついに噴出した。職務は黙って執行、が当たり前の世の中、こんな素直で直球なことを言い出すのはセイリアぐらいのものだろう。おまけに、ハウエルの言葉に暗に込められた、少し感じられる程度の探りと棘に、全く気付いてはいない。それが、ハウエルにはたまらなく可笑しかったのだ。
「いつもいつも、何か言うたびに笑わないでくださいよ!」
 セイリアが赤くなって叫ぶ。
「いや、ね、本当に面白いね、君は」
 途切れ途切れに言って、大尉はセイリアににっこりと笑った。
「それじゃ君が知りたいだろうことを、特別に一つだけ教えてあげるよ。耳を貸して」
 セイリアは興味津々の表情をして、背伸びをするために爪先立ちになった。ハウエルとセイリアの身長差は歴然としていて、こうしないと背をかがめるハウエルはちょっと辛い体勢になる。
 額にかかる前髪を煩そうに払って、ハウエルはセイリアの耳元に口を寄せた。
「王子を狙っている最右翼は、親王だ」
 耳元で、ハウエルはこう囁いた。セイリアは目を丸くしてハウエルを見つめ、急いで囁き返した。
「親王、って陛下のお兄さんの?」
 うん、と大尉は小声で言う。耳元で囁き合う体勢を続けるには少しきつすぎた。
「ほら、うちは変わった世襲制をとってるだろう。長子でも末子でもなく、王子の中から次王として相応しい一人を選んで太子につける。制度上では王女を太子にたててもいいそうだけど、その例は少ないね。それで、親王は弟に太子の座を取られたことを未だに根に持ってると言う話だ」
「へえ…… 初耳です」
 ハウエルはセイリアの反応に満足したように笑って、おまけだよとこんな事も教えてくれた。
「正妃の王子達を唆しているのも親王さ。王妃はどちらかというと側妃には友好的だったし。もともと内気で権力闘争は避ける人だから、何かを王子達に吹き込んでいるとしたら親王しかいない」
 色々なびっくり情報が飛び込んできて目をぱちくりしていたセイリアは、唐突にある事に気付いた。
「大尉、随分と詳しいですね」
 彼は悪戯っぽく笑う。
「情報網だけは整えてあるんだよ」
 その言葉に何か引っかかりを感じたが、別のことがふと頭に浮かんだ。

「そうだ、ハウエル大尉。ダンスってできます?」
 突然の質問に、大尉はきょとんとした。大尉の位に居るのだから、軍人として冷静さは欠かせないものだが、流石の大尉でもセイリアの行動パターンは読めないらしい。少し間を置いて、ハウエルは答えた。
「もちろん、できるよ。パーティーに出るのは初めてじゃないし、ダンスは貴族のたしなみだ」
 それを聞いて、セイリアは深々と溜息を吐いた。
「やっぱり…… そういうものなんでしょうか」
 大尉は怪訝そうにセイリアを見た。
「もしかして、ダンスができないのかい?」
 図星だったことで観念して、セイリアは途方にくれた顔で大尉を見上げた。
「どういう仕組みで何がどうなっているのか、全然解らないんです」
 大尉は呆気に取られた。セイリアがそれを見て少しムッとする。それに気付いてハウエルは急いで言った。
…… 剣はともかく、ダンスはどうやって教えるのかわからないよ。ゴメンね」
 セイリアは表情を緩めて、今日何度目かわからない溜息を吐いた。
「いいんです。どうにか頑張ります」
「幸運を祈るよ。…… そろそろ軍会議で呼び出される時間だ。それじゃ、パーティーで会おう」
「はい。では」
 セイリアはにこやかに手を振って去っていくハウエルの後姿を見送って、また溜息をついてシェーンを待った。

 少しして、大尉と入れ替わりになるようにシェーンがやってくるのが見えた。シェーンは笑いを堪えるような、それでいてどこか不機嫌そうな、複雑な表情をしている。
「何かあったの?」
 セイリアが聞くと、シェーンは単刀直入に言った。
「今、ハウエル大尉から聞いたんだけど。君、ダンスができないのかい?」
 セイリアは口をぽかんと開け、赤くなって叫んだ。
「大尉ってば、ひどいわ! 早速告げ口したのね」
 シェーンは笑い含みの声で言った。
「朝から溜息ばかり吐いてたのは、このためだったのか?」
「余計なお世話!」
「強がりだな」
「あんたに言われたくない」
 吐き捨て、まだ怒りの残る表情でシェーンを見据える。
「そういうあんたは、ダンスできるの?」
 一瞬、シェーンが得意そうにした。
「もちろんだよ。僕が王子だってこと、お忘れかい?」
…… そうよねえ」
 セイリアはまた急に物憂げな表情に戻り、さらに深く溜息をついた。
「普通そうよね。ダンスのできない貴族なんて、きっとあたし一人だわ」
 もう日が暮れ始めている。明日までにダンスの先生が見つかるような気配はない。幾千回目の溜息をついたとき、シェーンが突然セイリアに手を差し出した。
「ほら、手を握って」
「なに?」
「手を握って。左手はこう。もうちょっと背筋を伸ばす。そう……
 わけがわからず指示に従っていたセイリアは、突然気が付いて思わず飛び退いた。
「何やってんのよ!」
「何って、ダンスのレッスン」
 けろりと言うので、セイリアは逆に頭に血が上った。
「そんなの、結構よ!」
「僕からは何も教わりたくないわけだ? 例え明日恥をかくことになっても?」
 不機嫌に言われ、セイリアはぶすっとする。
「わかったわよ。教えて」
「よろしい」
 シェーンが高飛車に言って、二人はさっきの体形に戻る。
「違う、左手はそこじゃない。こっち。相手がリードするから、君は上手くそれに合わせるんだ」
「他の人に主導権を握られるのは嫌いよ。支配されてるみたいで嫌だわ」
「文句言うな。ダンスと言うのはそういうものだ」
 セイリアは精一杯、言い返したい気持ちを抑えた。その代わり、シェーンに合わせて足を踏み出す。1、2、3、1、2、3、とリズムを取って、シェーンに導かれながら前に出たり下がったりした。
…… なんだ、意外と簡単ね」
「うん、貴族かどうか疑いたくなる程下手ではないな」
「嫌味っぽー」
「嫌味だもん」
 ダンス中にはとても似合わない会話である。

 一瞬、緊張気味に、足元にやっていた視線を上げたセイリアと、シェーンの目が合った。合った瞬間、お互い目を逸らす。
 なんだか不思議な気持ちだった。
 端から見れば王子と護衛のナイトが踊っているという何とも奇妙な光景だが、まるで、大きなホールで二人きりで踊っているような気分だ。

 不思議、とセイリアは相変わらず目を合わせないように逸らされたシェーンの顔を見つめる。
 …… いつまでもこうして踊っていたかった。


2004.10.12