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勝利の女神はアースに微笑んだ。「あんたのためよ!」と銘を打って食後毎に薬を飲ませたが、熱は下がらなかった。アースがほっとしている一方で、セイリアは至極不機嫌だ。不機嫌になるとセイリアは口数が少なくなる傾向があるので、子爵は敢えて娘を慰めなかった。メアリーも同意見で、むしろ出掛けざまに満面の笑みで「楽しんで来てくださいねー」と言い、わざとセイリアの不機嫌さを増やした。
お陰で、シェーンは難なくセイリアを見つけた。浮かれたような顔の群れの中、セイリア一人が膨れっ面だったからである。
あまり親し過ぎるようには見えないように、他の人にも話しかけながら、シェーンはゆっくりとセイリアに近づいた。セイリアは相変わらず不機嫌そうな顔をしていたが、シェーンが近付いてくるのを見ても逃げはしなかった。
シェーンは聞き取れなくはないほどの小さな声で言う。
「不機嫌だね。アースが結局来れなかったから?」
セイリアは少しだけシェーンを見つめて、俯いて顔を逸らした。
「笑いなよ。目立つよ」
シェーンが咎めると、セイリアはやっと少し、つっていた目尻を下げた。よし、とシェーンは微笑む。
「君ばかりと話してると怪しまれるから、行くよ」
こくりとセイリアはうなずく。シェーンはそれを確認すると、セイリアから離れて行った。
ほとんど間を置かずして、大尉がやってきた。青い色の軍服姿がとても凜々しい。いつもの人懐っこい笑顔を浮かべながら、セイリアにお辞儀をした。セイリアも、できる限り礼儀正しく宮廷風の礼をする。
「しばらくですね。赤いドレスがよくお似合いですよ。とても綺麗だ」
ハウエルはふんわり笑って言った。
セイリアはまだ完全に機嫌が直ってはいなかったので、ええ、とだけ言った。
「前に言った、王子の新しい護衛、貴女の弟さんだったのですね。後になって知りましたよ」
大尉はちらりとシェーンを見た。
「そういえば、アース君は?」
「体調不良で来られないんです」
そうか、とハウエルは心底残念そうな顔をした。セイリアは、自分から話しかけないのは失礼かな、と思って口を開く。
「弟が大変お世話になっているそうで、ありがとうございます」
大尉は破顔していいえ、と言った。
「いつも楽しく話をさせてもらって、私こそ礼を言いたいですよ。なかなか面白い子ですね」
はあ、とセイリアは曖昧に返事をする。
セイリアの傾げた首の前に、優雅に手が差し出された。
「一曲、踊っていただけますか」
セイリアはその笑顔に誘われて、彼の手を握った。
知らない人とも数人踊ったが、大尉と踊った回数が一番多かったと思う。一曲、と言っていたくせに、3、4曲は踊った。する話といえば、セイリアが普通の令嬢なら喜んでするようなお洒落や恋の話を嫌ったため、自然と外交や政治の話になった。
ハウエルは本当に情報収集に長けているのだろう、怪しまれない程度に一線は守って話していたが、宮廷内部のかなり機密の情報まで知っているような印象を受けた。
踊り疲れ、セイリアが人混みを離れて広間の隅に寄ると、何故か大尉もお供してきて話し相手になってくれた。一通り談笑して、機嫌が直って生き生きしてきたセイリアを見て、ハウエル大尉が呟いた。
「君たち姉弟は性格が正反対だと思っていたけど、君もアースと同じ位に社交的だなんて意外だったな」
家族の話題に触れる度、セイリアは乾いた笑いを漏らすしかない。
「今日は少し上がっているんです」
苦し紛れに言った言い訳だったが、大尉はあっさり納得してくれた。
「でも、双子とは言え、一卵性でもないのに、本当に君達はそっくりだね。声までそっくりだ」
そりゃ、私が本人ですもん、などとは口が裂けても言えない。今度は言い訳が見つからないのでセイリアは焦った。
「え、ええ……
」
もはや、肯定するしかない。
運良く話し掛けてきた人がいたので、セイリアはありがたくそちらに気を向けた。
「失礼いたします。子爵のお嬢様でいらっしゃいますか?」
一瞬、妖精かと思った相手はセレスだった。
「あ、はい」
セイリアが頷くと、セレスは慎ましくお辞儀をした。
「無礼をお許しくださいませ。わたくしはオーディエン公爵の娘のセレスティアと申す者です。あの、アース殿はいらしていないのでしょうか」
何でそんなに完璧なまでの礼儀作法を身につけられるのか、セイリアは不思議でならない。セレスは本当に多少上がっているのだろう、頬にわずかに朱が差していた。
「残念ながら、弟は体調不良で来れないんです」
まあ、とセレスは軽く口元を押さえた。
「お加減がよろしくないのですか」
「ご心配なく。弟ならすぐに直りますよ。ただの風邪ですし」
セレスは心底ほっとした顔をして、それから残念そうに俯いた。セイリアは今更ながら、そう言えば皆がアースと呼んでいるのは自分なのだと気付く。そんなに自分に会いたいのか、と思うと些か照れた。
「あの、弟に何か言いたいことでもあるのですか? 私が伝えておきますよ」
大丈夫です、とセレスはふんわりと微笑んだ。
「ただ、もう一度お会いしたかっただけなのです。この前お相手していただいてとても楽しかったから……
。ありがとうございました、と」
失礼します、と残し、セイリアとハウエルに笑いかけてセレスは彼女の父のところへ戻って行った。
公爵はシェーンと話していて、セイリアが見ていると、戻ってきたセレスをシェーンに紹介していた。シェーンとセレスはおたがい愛想良く礼をした。
「ほほう」
同じ様に二人を目で追っていた大尉が興味深げに呟く。
「公爵はセレスティア嬢をシェーン王子とくっつけたいらしいな」
「王太子だから、かしら」
セイリアはなんとなく不安になった。
「いや、純粋に王子様を評価してのことだと思うよ。公爵は身分と財産だけで娘の将来を決めてしまう人じゃない。厳格な人だが、その分娘さんをとても大事にしているから」
逆に不安が増した気がした。
「そう言えば、大尉。妹さんは来てないんですか?」
いや、とハウエルは少し困ったような顔をした。
「来てはいるんだけど、今は不機嫌だから話し掛けない方がいいよ」
「え?」
セイリアは首を傾げる。ハウエルは苦笑した。
「まだ一度もシェーン王子にダンスを申し込まれていないんだ。本人は自信満々だったからね、今頃必死に王子の気を引こうと頑張っているでしょうよ」
セイリアは小首を傾げて大尉を見上げた。
「助太刀してあげないの?」
大尉は笑う。
「いや、王子としても、あの妹とくっつかされるのは可哀相というものでしょう」
セイリアは目を白黒させた。
「あら。御自分の妹なのに」
「なに、いつもあのわがままには散々手を焼かされてますから、これ位は言わせてもらわないとね」
ハウエル大尉って面白い人だわと思いつつ、前回派手に喧嘩したはずの、あのアマリリスという少女に、セイリアはほんの少しだけ憐れみの情を覚えた。彼女はシェーンに振り向いてもらおうと必死に彼を追い回しているようだが、ことごとくのらりくらりとかわされていた。
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