Dance party 2
ダンスパーティー2

 

「遅い、来るのが」
 シェーンがセイリアを睨み付けた。
「あら、私が来るのを待ってたの?」
 シェーンは答えずにそっぽを向いた。セイリアは肯定の意味だと思った。

 パーティーも後半に入った。半数以上が目を向けていた食べ物からも人が遠のき始め、逆にフロアは人で溢れた。とはいっても国随一の広さを誇る王宮の広間、そう簡単にはぎゅうぎゅうになりはしないが。
 忙しい者は既に数人帰っている。最後に別れの挨拶を王と王子達にしていったので、顔がいくつか欠けたことを知っている者も少なくはなかった。
 その中、今度はセイリアの方からシェーンに近付いた。今まで相手をしてくれたハウエルが、アマリリスをなだめるのにかり出されてしまって退屈になったと言うのが主な原因である。
「だって、王子の方から話しかけたら目立つだろう。君の方から来るのを待たなきゃだめだったんだ」
 シェーンは飲み物のグラスを弄びながら呟く。
「そう言えば、シェーン、誰かと踊った?」
「いいや」
 シェーンは首を振った。
「オストール伯爵の娘さんが散々付きまとってきたけど、かわした」
「どうしてよ。相手してあげてもいいんじゃない?」
 シェーンは嫌そうな顔をした。
「あのねぇ、ちょっと女の子と仲良く話しただけで、やれ王太子妃候補だって騒がれるのが王子ってものなの。そんな噂が立つのはごめんだ」
…… ふーん」
 シェーンはちらりとセイリアを見た。
「そう言えば、機嫌直ったね」
「あら、そう?」
「大尉のお蔭?」
「多分ね。たくさん相手してもらっちゃった」
 セイリアもシェーンと同じ飲み物を、傍にいた使用人にグラスに注いでもらった。
…… たくさん踊っていたね」
「ええ。下手だからって笑われずには済んだわ」
「僕のお蔭」
「そうね。ありがと」
 言ってセイリアは飲み物をぐいっと飲み干した。シェーンは呆れた顔をする。
「相変わらず貴族の御令嬢らしくないな。飲み物っていうのはもっと小口で少しずつ、上品に飲まなきゃ」
 セイリアがムッとした。
「ここまで来てあんたのマナー講座を受けるはめになるとは思わなかったわ」
「ちょっとは僕の言うことも聞いたら?」
 言って、シェーンはお手本とばかりに真っ赤なジュースを口に含んだ。優雅な動作に、セイリアは反論の余地を奪われた。ただでさえ礼服を身につけているので、やはりシェーンは王子なのだと意識せずにはいられない。
「ああ、そうそう」
 一本取られて悔しそうなセイリアには気付かないふりをして、シェーンがホールの中央の方に顎をしゃくった。
「あそこにいるのが一番上の兄上だ。その奥で、誰だったかな…… 多分、エルトン侯爵のお嬢さんと踊ってるのが二番目の兄上」
「上座で陛下に甘えてるのは?」
 シェーンと同じ銀髪の、9、10歳くらいの男の子が、国王の膝に腰掛けて話し込んでいた。
「あ、あれは弟」
「あんた、お兄さんだったの!?」
 セイリアは思わずすごい勢いでシェーンを振り返った。
「すっごい、らしくない!」
 シェーンが不機嫌そうな顔をした。
「なんだよ、その言い方」
「あにうえっ」
 先程まで上座に居た弟君が、いつの間にかシェーンのお腹にパンチを入れていた。あまり力は込めていなかったのか、シェーンはうめき声一つ漏らさずに済んだ。散々ひょろっちいとシェーンを評してきたセイリアには、それが少し驚きだった。
「大人しくするか出てこないか、どっちかにしろよ」
 シェーンが弟を咎めた。弟君はセイリアの目を、下から覗き込む。
「この人誰? ガールフレンド? 将来の奥さん?」
「ああ、お前のな」
 シェーンが茶化すと弟君はきょとんとして、シェーンと同じ海色の瞳をくりくりっとさせた。
「ぼく嫌だよ、こんなの」
 ……きっぱり言いやがった。
 セイリアは固まって、シェーンの頬は笑いを堪えるようにひくひくした。
「ぼくはね、もっともっと可愛くて頭の良さそうな人とケッコンするんだもん」
 大真面目に言う少年を、何をこのマセ餓鬼が、と怒鳴りたい衝動にセイリアはかられた。
「ほら、父上が呼んでるみたいだよ。行きな」
 シェーンの言葉にはーいと言って、彼はぱたぱたと上座に駆け戻って行った。
「あんたそっくりで生意気ね!」
 セイリアが語気荒く言った。
「あんなに子供じゃないよ」
 さらっと答え、シェーンは最後の一口を飲み干した。
「ちょっと外に出て風に当たろう。顔が真っ赤だよ」
 それはあんたの弟に腹を立ててるからだ、とセイリアは内心突っ込みを入れた。


…… 笛の音がするわ」
 テラスは存外寒かった。ショールをぴったりと体に巻き付けて、セイリアは遠くに耳を済ます。
「城下でも収穫祭をやってるからね」
 シェーンが手すりに腰掛けた。
「あたし、収穫祭の方に出たかったわ。絶対あっちの方が性に合うのに」
「そんなことを言ってる時点で、既に貴族失格だよ」
 セイリアはフンと鼻を鳴らした。
「結構よ。そんな資格、いらないもの」
 冷たい風が、吹き抜ける。シェーンの髪もセイリアの髪もなびいた。
「どう? 頭は冷えた?」
 シェーンが聞いてくる。
…… まあ、むかつきは収まったわよ」
 セイリアは腰掛けているシェーンの隣で、頬杖をついて城下の灯りを見つめた。
「あそこにいる人達はいいわね。騒ぎたいだけ騒げるし、はしゃぎたいだけはしゃいで、一晩踊り明かすんだわ」
「社交ダンスはダメでも、フォークダンスなら平気なんだ?」
「だって、みんな踊り方なんてわかってないもの。手を組んでくるくる回ってればいいんだから」
 セイリアは灯りを見つめたままで言う。
「そのかわり、食べ物は粗末だし、使用人も居ないよ」
 シェーンが呟いた。誰もテラスには居ないし、テラスの方を見ようとする者もいないので、シェーンは思い切りラフに姿勢を崩している。
「そんなの、無くても暮らしていけるわ。現に民はそうしてるんだもの。あたしは貴族じゃなくて、農民に産まれたかった」
「でも農民はきっと、貴族に産まれたかったと思ってるよ」
「そうなのよねぇ」
 セイリアは溜息をつく。
「そうやってすれ違って、決して交わりはしないのよ。貴族と民は」
…… 嫌なことを言うなよ、未来の王に向かって」
 シェーンが沈んだ声で言った。
「ああ、そう言えば太子って未来の王様なのね」
 今更気が付いたように言って、セイリアは頬杖をついたまま隣のシェーンを見た。
「そうだよ。少しは敬う気になった?」
 シェーンの言葉に、セイリアはべーっと舌を出す。
「いや、全然。なるわけない、ない」
 シェーンは溜め息をついた。
「全く、君って人は」
 沈黙が流れた。
 二人はしばらく秋の虫の音と、風に揺られてそよぐ梢の触れ合う音、そして遠いようで近い、決して入れない民の賑わいの音に聞き入っていた。
 下の階でシェーン王子、と呼ばわる声がする。誰かが探しているようだ。
「行かなくていいの?」
 セイリアが腕に顔をうずめながら聞いた。
「いいよ。もう少し、ここに居る」
 シェーンが答えたとき、下で中庭に出る扉の開く音がした。
「いませんね」
 あの声は大尉だ。大尉が中に入った気配がしたが、扉が閉まる音はしない。開いたままの扉から、ダンスの曲が流れて聞こえる。
 シェーンがセイリアの方を向いた。
「一曲踊ろうか」
「シェーンと?」
 セイリアは少し驚く。
「他に誰がいる?」
…… そうねぇ、きちんと紳士的に申し込んでくれるならいいわよ」
 シェーンは眉をひそめる。
「淑女的要素の持ち合わせの無い人からいわれる筋合いはないよ」
 言いながらも、シェーンはセイリアの前で膝を折る。片膝で跪き、セイリアの手を取って、その甲に口づけをした。
 ただ礼儀正しく申し込んでくれればいいと思っていたので、セイリアは面食らい、同時に恥ずかしくなって頬を染めた。
「レディ=セイリア=ヴェルハント、一曲踊っていただけませんか」
 完璧な王子様である。本当に王子として教育されているのだな、とセイリアは思う。見上げてくるシェーンの海色の瞳を、セイリアは直視できなかった。きっとシェーンは、今セイリアの心臓が激しく鼓動を打っているのに気付いているだろう。それが悔しいし、恥ずかしかった。
 かろうじて微笑を返し、セイリアはドレスの裾を持ち上げ、足を引いてお辞儀をした。
「喜んでお受けいたしますわ」
 シェーンが微笑んだ。立ち上がって、セイリアの手を握る。
 開いた扉からは、それに合わせたように新しい曲が流れ出した。

 ―― 静かな夜だった。
 墨を流したような夜空で瞬く星の傍、月は淡く真珠色に輝きながら、微笑んでいるように見えた。


2004.11.01