Visit Kreutzer 1
クロイツェル訪問1

 


「……あらあら、着替えもなさらずに」
 メアリーはベッドに沈んでいるセイリアを見て、困ったように微笑んだ。セイリアはぐっすりと眠り込んでいて、寝息が聞こえる。困りましたね、と独りごちて、メアリーはそっとセイリアを抱き起こし、起こさぬように彼女をパジャマに着替えさせる。せっかくのドレスが皺になる前に、ドレスを助け出すのに成功した。
「姉さん? いるの?」
 かすれた声がして、アースが顔を出した。メアリーは唇に人差し指を当て、静かにするよう伝える。
「若様、あまりベッドからお出にならないでくださいまし。何か有ったら、叱られるのは私たち下々の者なんですから」
 アースは苦笑した。
「大分良くなったから、平気。……姉さん、寝ちゃったんだ?」
「ええ、帰って来てからまだ十分も経って無いんですけどね」
 アースはくすりと笑った。
「姉さんらしいや。……僕のこと、怒ってた?」
 どうやら、これが一番聞きたかったらしい。
「いいえ。見違えるようにご機嫌でしたよ。誰か素敵な人にダンスでも申し込まれたんじゃないですか?」
 アースは目をパチクリさせた。
「……あの姉さんがそんなことで喜ぶかなあ」
「そりゃ、お嬢様だって女の子ですから」
 メアリーは言って、セイリアをそっとベッドに戻した。
「姉さんの侍女をやるのって大変だね」
 メアリーは遠慮無く頷く。
「でも、楽しいですよ。スリルがあって」
 アースはくすくすと笑った。何も知らないセイリアは、気持ち良さそうに寝返りを打って、むにゃむにゃと寝言を言った。
「今日パーティーでドレスを着て踊ってた女の子が、明日には王子様の騎士だなんて、誰も思わないだろうな」
「思う人がいたら、困るのは若様達ですよ。さあ、お戻りください。私まで叱られてしまいます」
「うん。……クロイツェル行き、無事に済むといいな」
 そういえば、もうすぐだ。アースが出て行ったが、メアリーは不安に少し眉をひそめた。
「……クロイツェル、ですか。最近良い噂を聞きませんよね」
 だか、あまり深く考えると頭がパンクしそうになったので、メアリーは洗濯物だけ抱えて部屋をあとにした。


 そのクロイツェル行きは、非公式のはずなのに、何故か物々しい儀式で出発した。
「随分派手にやるんですね」
 セイリアは声をひそめて隣の大尉に囁いた。
「まあ、儀礼に則った方がいいってことたろう」
 大尉も少し不安そうに、遠ざかる宮門を振り返る。
「君は前に行かなくていいのか? 王子お付きの護衛なんだろう?」
 セイリアは前方の馬車をちらりと見やって、首を横に振った。
「他の護衛がもう王子を固めてますから。馬一頭入る隙間すらありません」
 ああ確かに、と大尉は馬の大群を見て笑った。
「そう言う大尉こそ、後ろにいなくていいんですか?他の軍関係者は皆後ろに控えてますけど」
「うん。直々にオーディエン公爵令嬢の護衛を頼まれているから」
 二人が控えているのはセレスの乗った馬車の隣だった。すぐ前に公爵本人の馬車があって、その更に前にシェーンの馬車がある。
「アース殿、どのくらいの道程なのでしょうか」
 セレスが馬車から顔を覗かせて尋ねた。
「この国はあまり広くないから、5日ぐらいで王都に入れると思います。国境を超えるのは二日目の夕方、かな」
 セイリアが説明すると、大尉も頷いた。
「今日は日が沈むまで進む予定だ。お嬢さん、退屈なら言ってください。私らでお相手しますよ」
 大尉の言葉に、セレスは花のように微笑んで、ありがとうございますと言った。ハウエルは再びセイリアを振り返る。
「そういえば、君のお姉さんに会ったよ、パーティーで」
 ああ、と言ってセイリアは曖昧に笑った。
「わたくしも、お会い致しましたわ」
 セレスもにっこりと笑う。
「お姉様はお元気ですの?」
「あ、ええ」
「そういや君、体調不良でパーティーを休んだね? もうすっかりいいのかい?」
「平気です、この通り」
「いつも元気な君のことだ、外に出られないのは辛かったろう」
「は、はあ……」
 実は、休んでた本人にとってはとっても好都合でした。
「アマリリスが悔しがっていた。今度こそ口喧嘩の決着をつけてやろうと意気込んでいたよ」
「シェーンの追っかけで、そんなのままならなかったでしょうが」
 思わす皮肉って、大尉の懸念を誘ってしまった。
「何故、知ってるんだい?」
「あ、いえ、ほら、ただの推測ですよ! この前お会いした時はとてもシェーンに会いたそうにしていたので。だから、パーティーの時も振り向いてもらおうとしてシェーンを追いかけていたんじゃなかったかなぁって」
 大尉は笑った。
「君は男にしては、そういうことによく気が付くんだね」
 取り敢えず、えへへと笑っておこう。最近自分は言い訳が上達したようだ。嘘を付くのはやはり良い気がしないが、ここは仕方ない、と自分の良心を騙すしかない。

「あら、あそこはなんですの?」
 セレスが突然前方を指差した。遠くに、村らしい影がある。
「小さな村ですね。でも、通り過ぎるだけです」
 大尉が言った。
「まあ、では、庶民の生活を見る事ができるのですね」
 セイリアはセレスを仰ぐ。いくら貴族とは言ったって、普通外に出たときに庶民の暮らしくらい見えるものではないのだろうか。
「見たこと無いのですか?」
 セレスはこくんと頷く。
「下々の者には関わるなといわれているのです。それに、外に出るときはいつも馬車で、カーテンが引かれていてろくに外も見えませんでしたから」
 根っからの箱入り娘のお嬢様というわけだ。
「だから、こうしてカーテンを開けて外を眺めたりしていただなんて、お父様には言わないでくださいね?」
 可愛らしく首を傾げられてしまっては、断れやしない。しかし、貴族の令嬢とは窮屈なものだなと思った。
「見に行きたかったら、家の門番を蹴散らして、強行突破で見に行けばいいのに」
 ぽつりと言ったセイリアに、セレス嬢とハウエル大尉は、ぽかんと口を開いた。
 ヴェルハント子爵家のお嬢さんは、やはりどこかずれている。



 何はともあれ、行きは順調だった。予定通りに二日目の夕方に国境を超え、五日目には王都入りした。何せ非公式な訪問だから、王都の人々は他国の王子の一行だとも知らずに、物珍しそうに隊列を眺めたり、中には「何か恵んでくだされ」と物乞いまでしたりする。
 一人にあげたら他の者にも追いかけられて、有り金を全部せびられてしまうよと大尉に忠告され、セイリアは仕方なく巾着をしまった。

 クロイツェルは大きな国だ。周りを特産物が豊富な国々に囲まれていて、物資中継地点として栄える商業大国である。一方、セイリアたちの祖国、いずれシェーンが治めることになるはずのオーカスト王国は、はっきり言って特に何も取り柄の無い国だ。わずかに玉石が取れるくらいで、あとは牧畜をやって農業をやって、という平凡な小国。昔からクロイツェルとは同盟関係にあることが、多分唯一の強味。
 と、言うわけなので、何だか皇宮の迎えの官達の態度が妙に大きく、セイリアには見下した態度に見えた。
 案内人に連れられ廊下を歩きながら不機嫌に周囲の護衛兵を見て、セイリアはシェーンに呟いた。
「私、あんたの護衛をするべきなの?この取り巻き達に任せるべきなの?」
「傍にいろ。こいつらの事は気にするな。どうせ、刺客の一人や二人が僕を襲って、ちょっと助けて手柄とご褒美をもらえたらいいなって腹の奴等ばかりさ」
 あ、そうと曖昧に返事を返して、セイリアはシェーンの後ろについた。急に護衛としての責任感がわいてきた。
 そうだ、ここは異国なのだ。味方は少ない。

 案内人が荘厳な扉の前で足を止める。玉座の間を守る警備官二人が、槍を交差させて行く手を遮った。
「申し訳ありませんが、警備の都合上、シェーン王子とオーディエン公爵、それと、お二方にそれぞれに護衛二人までしかお入れすることはできません」
 案内人が職業口調で言う。すぐに護衛の二人が動いて、公爵の周りを固める。公爵専属の護衛だろう。シェーンはセイリアとハウエルを振り返り、手招きをした。ハウエルは素早く動いててシェーンの傍につく。セイリアも慌ててそれに倣った。
「これでよいか」
 シェーンの問いに案内人は深々と礼をし、警備員が槍をどけた。ぎい、と厳かな音がして、扉が開く。
 真っ白な大理石の広間がそこにあった。オーカストの玉座の間より、かなり広い。一番奥に階段があり、その最上部に黄金の玉座が据えられている。その玉座に、十人程の護衛に囲まれて、真紅のドレスをまとった若い女が座っていた。
 妙な緊張感にさいなまれながら、セイリアはシェーンに続いて階段の下に向かう。ちらりと盗み見たシェーンは凜と顔を上げて、一国の王子らしく威風堂々としていた。
 足が止まった。少し後ろから付いてきていた公爵もぴたりと止まる。
 シェーンが壇上の女に礼をした。残りの者も続く。
「クロイツェル帝国第一皇女のヒース殿であらせられるか」
 歳のわりには高めのシェーンの声に対して、上段からは静かな落ち着いた声が振ってきた。少しだけ色気を含み始めたばかりの、はっきりとよく通る声。
「さよう。一路ご苦労であった、オーカスト王国王太子、シェーン王子」
 クロイツェル帝国第一皇女はにこり、と静かに笑った。


2004.11.23