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クロイツェルの王都はハイゼンコールという。ハイゼンコールは周辺諸国随一を誇る大都市だった。商業国の王都らしく、様々な店が軒を連ねている。皇宮の近くはさすがに大きな老舗ばかりだったが、少し歩くと露店ばかりの市場のようになった。
珍しい異国の品がたくさんあって、どうにも目移りしてしまう。市場など初めてのセレスなどはおっかなびっくり、セイリアの袖を掴みながら一つ一つの店を覗いていた。中にはかなり強引な商人もいて、少しでも油断すると、いかにもお供を連れて外出中な雰囲気のセレスに目をつけ、彼女の腕を掴んで引き留めて、その商品がいかに珍しくて価値のある物かの大演説を始めるので、セイリアとハウエルはその度に相手をうまく丸め込んで、セレス救出に向かわねばならなくなった。
「ごめんなさい、ありがとうごさいます」
その度に花の妖精ことセレスが恥ずかしそうに頬を染めてこう言った。その愛らしさにセイリアは大いに照れて、南国風の首飾りを買って、セレスにプレゼントしてあげた。セレスは大層喜んで、すぐにそれを首にかけた。青い石がはめ込んであって、それがセレスの薄い金髪によく映える。
「君、あのお嬢さんに気があるのかい?」
大尉がそれを見て、笑い含みにセイリアに囁く。
「まさか」
セイリアは驚いて返事をした。女同士だし。まあ、可愛いなと思ったことは否定しないが。
「そういう大尉こそ、私がセレスと仲良くするから妬いてるんじゃないですか?」
大尉はそれを笑い飛ばした。
「残念ながら、私にはもう想う人がいるんだよ。まあ、セレスティア嬢もなかなか可愛いけど」
へえっ、とセイリアは目を丸くして大尉を見つめた。あまりに爽やかで真っ白い印象があるので、恋愛沙汰とハウエルとは縁がないように思えていたのだ。
「殿方で何をお話しなさってますの?」
「いや、何でもないよ」
セレスが二人の顔を覗き込んできたので、恋愛話はそこで打ち切りとなった。
その時だった。
赤毛の小さな女の子が、セレスの腕の中に飛び込んで来たのだ。セレスはよろけ、それをさらにセイリアが受け止める羽目になる。
「まあ!」
セレスは目を丸くして少女を見つめた。七、八歳ぐらいだろうか。女の子は顔を上げてまじまじとセレスを見つめると、セレスのの背後に回って、彼女の腰にしがみついた。
「どうしたの?」
セイリアが尋ねても少女はただ首を横に振るだけ。
「何かあったの? お母様やお父様はどうしたの?」
セレスがやさしく尋ねても、無言で首を振るばかりだ。
「アース!」
ハウエルが人混みの向こうを指差す。屈強そうな男たちが大慌てで誰かを探しているのが見えた。それを見た少女はぎゅっと目を瞑って、さらにきつくセレスにしがみ付く。セイリアは瞬時に誘拐だ、と思った。大尉もそう思ったのだろう、さっと、セレスと少女を背後に庇うように立ちふさがった。
「その子を連れて帰ろう」
大尉がセイリアに囁く。
「そうすれば、あいつらも入っては来れまい」
「でも、異国の王宮に関係ない子を連れ込むなんて、今度こそヒース皇女がかんかんになっちゃう」
セイリアが弱々しく反論した。いかにも「私が女帝よ」な皇女に睨まれたら、間違いなく酷いことが起きそうな気がする。
「大丈夫。ほら、その子、身なりがとても良いだろう? どんなに身分が低くても下級貴族ぐらいはあるだろう。お咎めはないさ」
セイリアは納得して頷いた。すぐセレスの手をとる。
「帰ろう。その子を安全なところに連れていかなきゃ」
セレスは頷いて、少女の手を握った。気付かれないように、ゆっくりとその場を離れる。商店の間を縫って歩き、王宮へと歩いていった。少女が不安そうに見上げてくるので、セイリアは「平気、もう大丈夫だよ」と、できるだけ人懐こい笑みを浮かべて言ってみた。
もう一つ角を曲がれば王宮前の大通りだ。自然早足になって、少女が少し息を切らし始めたので、セイリアが彼女を抱き上げる。
角を曲がった途端、一同ぎくりとして一瞬足を止めた。向かいに例の男たちが見えた。ちょうど向かい合う格好だったため、相手もこちらに気付く。
大通りの端と端、空気が張りつめた。
「いたぞ! 追え!」
相手が大きく叫んだ。
「走れ!」
ほぼ同時に大尉も声を張り上げる。自身は一番後ろで皆を庇いながら、あまり走るのが速くないセレスをサポートしていた。
セイリアは日頃の騎士隊で重い荷物を持った訓練は散々やっていたので、少女を抱いたまま一番前を全速力で駆けて行った。それでも、ハンデのない追っ手が着実に追いついてくる。
ハウエルが剣に手をかけた。少女はセイリアに抱かれて揺れながら、自分がどこに連れて行かれようとしているのかを振り返って確かめていた。
もう王宮の門目前だ。それを確認した途端、少女が金切り声を上げた。
「いやああ! 王宮はいやああ!」
ついでにじたばた暴れる。
「いやだああああ!」
セイリアは仰天して、立ち止まらざるを得なくなった。
「どうしたの―― あそこは安全だよ」
言っても、効き目はない。
「いやだってばああああ!」
門番がその悲鳴にに気付いた。
「ビアトリス皇女!」
一声叫んで迷うことなく駆け寄って来たのは、他でもない少女の元。
「いやだああ!」
しかし、少女はさらに悲鳴を上げてセイリアにしがみつくばかりだ。
「皇女、何があったんですか!?」
門番がおろおろと少女に尋ねた。もう何がどうなっているのかわからない。
呆気にとられていた所に、驚くことに追っ手が走りながら堂々とセイリアたちに指を突きつけて、喚き立てていた。
「皇女をさらった! そいつらは誘拐犯だ! 捕まえろ!」
門番がぎょっとしたようにセイリア達を見つめる。
「違う!」
セイリアも相当ぎょっとして叫んだ。
「誘拐犯はあの方達です!」
セレスも青ざめて、震え声で言った。
「わたくしたちはこの子を助けようとしただけで……
」
やっと追いついた男たちも息を切らしながら反論した。
「何を言うか! 私達は皇女の護衛だ!」
「そうなの!?」
思わずセイリアが目を丸くする。まずいことになった、と思うと同時に冷や汗が出た。
「とぼけても無駄だ! 皆の者、ひっ捕らえい!」
「待て! 我々はオーカストから来た訪問団の一員だ!」
ハウエルが急いでそれを制した。
「ならば余計に怪しいぞ。皇女を人質に取って、交渉をオーカストに有利に進める気だったのだろう!」
「バカバカしい!」
さすがのハウエルも気が立ったようだ。
「相手の領地の、しかも王宮でその様な愚かしいことをするはずがなかろう!」
セイリアも怒って加勢した。
「大体ね、やるんだったら普通もっと人目に付かない所に皇女を隠すでしょ! それに私達、皇女の顔なんて知らなかったんだから!」
「口で言うは易しだ。皇女を知らなかったという証拠はあるのか!」
「ったく、聞き分けの無いこと、子供みたい! だから、やるんだったら普通もっと人目に付かない所に皇女を隠すでしょってば!」
護衛の頭らしい相手も、子供に子供みたいと言われて憤慨し、かんかんになって口を開いたが、その時、静かな声が振ってきた。
「何事だ?」
真紅のドレスの女。ヒース皇女だ。
護衛は慌てて口をつぐんで叩頭した。セレスもハウエルも礼をする。セイリアもしぶしぶ倣った。ビアトリス皇女も、ずっと喚いていたのが静かになる。
「ビアトリス、おいで」
ヒース皇女は今まで聞いたことの無い優しい声で呼びかけた。セイリアは思わず顔を上げ、ビアトリスがしぶしぶといった様子で歩いて行くのを見た。
「もう一度聞く。何があったのだ」
再び冷たい声に戻った皇女が聞いた。
「一体何の騒ぎだ?」
そこへ、挙げ句の果てにシェーンまでが公爵を連れて現れる。護衛の頭が答えた。
「はい、皇女様。市井見学の途中、ビアトリス様のお姿が突然消えたのでお探し申し上げていたところ、この者達が皇女を連れてこそこそ逃げ出すのが見えたのです。皇女をさらうつもりだろうと思いまして、後を追って来ました」
セイリアは反論しようとしたが、口を開くより先に大尉に「しっ」と囁かれた。
「ここじゃ、皇女が何か聞かない限り、何も喋ってはいけないことになってる」
セイリアはしぶしぶ諦めた。
皇女はしばらく無表情でセイリア達を見つめる。
やがて、こう言った。
「裁きの間に集まれ。そち方の言い分を聞こうぞ」
そしてヒースはシェーンに冷たい笑みを向けた。シェーンは挑むような視線でそれを受け止めている。セイリアは眩暈がした。
本当にめちゃくちゃなことになってしまった。
……ああ、もういや!
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