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「全く、とんだことになったよ」
ため息混じりにシェーンが言う。自分でも痛い程それを感じていたので、セイリアは憮然として黙っていた。
一番の問題は、セイリア達とビアトリスの護衛達、どちらも間違ってはいないということだ。あの状況では、双方勘違いをして当然だった。また、人々の様子から察するに、この国の人々はオーカストに良い感情は持っていない。それは明らかで、だから護衛達がセイリア達の言い分を信じないのも不思議ではなかった。
そういうわけで、セイリア達オーカスト代表団の運命はビアトリスにかかっているといっても過言ではなかったが、当の彼女はヒースの袖に掴まったまま、ふてくされた様子で、セイリア達の弁護をする気は全くなさそうである。
そのことにも腹が立って、とにかく酷い気分だった。
「裁きの間」
セイリアは低く呟く。
「まるで裁判所みたいな名前。それも秘密裏にやるやつ」
シェーンは何も言わなかった。セイリアの機嫌が最悪なのも、何か言えばさらにセイリアが反論するだけなのもわかっているのだろう。またシェーンが上手だったことにもいらいらして、それは圧迫感絶大な裁きの間の扉を見ても収まらなかった。
ご機嫌最悪なセイリアと、怯えて口をつぐんでしまったセレスに代わって、ハウエルは誤解の起きた事の次第を事細かに説明した。だが決着はどっちつかずで、口達者なシェーンに助けを求めようにも、現場にいなかったので彼には口添えのしようがない。
セイリアが不機嫌に呟いた「どうしてビアトリス皇女本人に聞かないの?」の一言で、一同はふてくされて沈黙を続けるビアトリスに視線を集中させた。
ビアトリス皇女は急に話を振られて戸惑い、ヒースを見上げたが、彼女は助け船を出さなかった。
「だって……だって」
ふてくされた顔で言い、ビアトリスは視線を泳がせる。
「だって、ビンスがいけないのよ!」
「……は」
不意を突かれてとぼけた声を出したのは、ビアトリス護衛隊の頭だった。セイリアは「それ見たことか」とそいつを睨む。彼は困惑していた。
「ビアトリス様、なぜ……」
ビアトリスはまたふてくされて頬を膨らませる。その隣で、ヒースが「クシュンッ」とくしゃみをした。そして、どこからともなく「にゃー」と言う弱々しい鳴き声が聞こえた。
ビアトリスはハッとしたような顔をすると、突然「にゃー、にゃー」と猫の鳴き真似を始める。ヒースはさらに一つクシュンとくしゃみをすると、ビアトリスの肩を掴んで自分に向き直らせた。ビアトリスは自信無さげに「に、にゃー……」と言った。
「ふざけるのはよしなさい、ビアトリス」
言いながらも、くしゃみを堪えるように鼻の下に指を添えている。
「何を隠しているの」
ビアトリスはぽつりと「何も」と言った。それに別の「にゃー」が重なって、ビアトリスは顔を真っ赤にした。急にすがるような顔になって、ヒースを見上げる。
「取り上げたりしないって約束する?」
ヒースは容赦無く言った。
「モノによるわ」
「じゃあ、嫌!」
逃げようとするビアトリスの腕を、ヒースが掴んで止める。
「ビアトリス!」
ひとしきり抵抗して無茶だと分かり、ビアトリスはようやく大人しくなり、降参した。
「これよ」
胸の中に手を突っ込んでビアトリスが取り出したのは、真っ白い子猫だった。
「……ビアトリス様! 道端に捨てられていたあの猫ですか!? あれ程いけないと申しましたのに!」
ビンス護衛隊長が声をあげた。
「だって、見捨てて置けないじゃない!」
「ヘクシュン」
「ヒース様は猫アレルギーなのですぞ!?」
「子猫の命より姉様のくしゃみが大事なのっ!?」
「クシュンッ……ビアトリス、とにかくその猫をどこか遠くにやりなさい」
言い終わって、ヒースはまた一つくしゃみをした。
「嫌! この子を飼うの!」
「犬なら飼ってあげるわ。猫は駄目よ。……つまりあなた、ビンスにその猫を連れて帰るのを反対されて、それでその猫と一緒に逃げるつもりだったの?」
ビアトリスは頬を膨らませたまま小さく頷く。
セイリア達はあまりの展開に声も出ず、唖然として彼らを見つめていた。……そんなくだらないことで、こんな裁判所に引っ張り込まれたのか!
「もう十分ではないか?」
静かな声でシェーンが言う。
「お互い誤解だった。それでよいではないか。子猫一匹で我々は牢屋に送り込まれるのか?」
「そうそう、あのお兄ちゃん達は悪くないの。あたしを守ろうとしただけよ」
ようやくビアトリスが言って、クロイツェル側はしんとなった。日はもう既に暮れていて、窓の外には星が瞬いている。
ヒース皇女は疲れたように溜意をつき、「迷惑をかけた」と一言言って、オーカスト側を解放した。
もう、呆然とするしかなかった。
「あーあ、最悪! 猫一匹にこんなに振り回されるなんて」
「そうだな、他国に来てこんなに波瀾万丈な日は初めてだ」
ぐったりと疲れて回廊を渡り、セイリアはシェーンの後についていく。護衛ということで賜った部屋は、シェーンの隣室だった。なので、一緒に部屋に向かうしかないのである。
「それに、あのヒース皇女の態度! 散々巻き込んで「迷惑をかけた」の一言でおしまい?」
「あの皇女にしては妥協した方だよ」
セイリアは軽蔑したようにフン、と鼻を鳴らした。
「よく落ち着いていられるわね」
「イライラと仰天事は君のお蔭で鍛えられてる」
反撃しようと口を開く前に、シェーンが「ストップ」と言ってセイリアの口を塞いだ。
「たまには黙ってろよ。その癖、直した方がいい」
セイリアはシェーンの手の下で口をもごもごさせる。
「あんたも、いちいち減らず口を叩く癖を直すことね。手をどけなさいよ、噛むわよ」
シェーンは少し怯んだように手をどけた。
そして、部屋の扉を開けようとする。
――
が、鍵がかかっていた。シェーンは溜息を落とす。
「客扱いが悪いな、クロイツェルは。鍵ぐらい開けておくのが当然だろうに……」
「蹴破ろうか?」
シェーンはぎょっとしてセイリアを見た。
「……ちょっと久々だ、セイリアの爆弾発言。ストレス発散ならよそでやれ。ヒース皇女に睨まれる」
「じゃあどうするの? あんたと相部屋なんて願い下げよ」
「こっちこそ願い下げだ。どっちにしろ君の部屋も閉まってる。鍵、取りに行ってきてよ」
「何で私が行かなきゃいけないの?」
「主人はどっち?」
いつもの調子で言い合いが始まったとき、セイリアの裾を誰かが引っ張った。ビアトリスだった。
「どうしたの?」
急なことでうっかり敬語を忘れたセイリアは慌てて「ですか」と付け加えた。ビアトリスは黙って鍵を差し出す。
「え、届けてくれたの? ……ですか」
ビアトリスはこっくり頷く。
「猫を連れ込んだ罰なの。あたしが届けて来いって、姉様が」
ビアトリス様、と余計なことまでしゃべったビアトリスを、ビンスという、例の護衛隊長がたしなめた。
「あのね、あの猫捨てなくてもいいって!」
セイリアに鍵を渡しながら、ビアトリスはそう言って笑った。
「でも、誰か信用できる人にあげなきゃいけないの」
「そう、よかったね。あ、ビアトリス皇女!」
セイリアは戻りかけたビアトリスを呼び止める。ビアトリスは立ち止まって「うん?」と聞いた。
「今度からは絶対に、知らない人について行っちゃだめ。良い人だったとしてもね」
ビアトリスはきょとんとする。
「……心配してくれるの?」
「いや、また誰かが誤解で、あの秘密裏裁判にかけられたら可哀相だから」
唖然とした一同の中、くすくす笑いが広がり、やがて爆笑になる。シェーンは恥ずかしさで、手を額に当てて俯いていた。ビアトリスも笑っていた。
「お兄ちゃんって面白い人ね」
「……はい?」
きょとんとするのは、セイリア一人である。
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