All happy
オールハッピー

 

「疲れていますね」
 セレスの言葉にセイリアは頷いて、小さくあくびをした。
「稽古のほうがずっと楽。立ってるだけっていうのが一番退屈なんです……」
 午前中から昼にかけて、ここ数日シェーンは会議ばかりしている。午後になるとセイリアを連れ出して、街や施設の見物にでかけるのだが、会議中の時間はセイリアにとって退屈極まりなかった。
 だいたい、今まで自分の出番が必要になったことなんてなかった。いなくていいなら、さっさとどこかの林に行って狩りでもやりたい。
「セレスは暇な時、何しているんです?」
 そうですね、と頬に指を当てて、セレスは微笑んだ。
「本、でしょうか。時々中庭に出て花を見ているときもあります」
「初めて会った時みたいに?」
 セレスは頬を染める。
「ええ」
「へえ……そうですね、すごく綺麗な庭だった。本って、どんな本が好き?」
「何でも。本が側にあると安心するんです」
 セイリアは目を丸くした。
「セレスって、あの子と気が合いそう……」
「え?」
「ああ、うちのおと……姉さんのこと。本の虫なんです」
「まあ、パーティーでお会いしたあの方ですね。今度、是非もっとお話ししたいですわ」
 セイリアは苦笑した。それはご勘弁。あれは私ですから。
「アース殿は何をなさるんです?」
「大抵外を駆け回って、狩りをしたり川で泳いだり、騎士隊の友人と討ち合いしたり。それで疲れきって、家に帰って夕飯を食べたらすぐ寝てしまうというのが常です」
 セレスはまあ、と漏らしてくすくすと笑った。
「お元気なのですね」
「それでよく、父にしかられます」
 心底困ったように溜め息をついたセイリアを見て、セレスはまたくすくすと笑った。
「それより、いいんですか、私なんかとこんな所でおしゃべりなんかしてて」
「大丈夫です。今日は予定がありませんから。お父様は忙しいので、なかなかお相手していただけないのです」
 にっこり笑うセレスに笑い返し、セイリアはちらりと横を見た。会議室前を守る騎士がもう一人、回廊の向こうから恨めしそうにこっちを見ている。美人の話し相手がいるセイリアが羨ましいのだろう。

 シェーンが出てくるまでずっと、セレスはセイリアの側についていた。

「あの皇女を相手にするのは大変だ」
 会議から開放されたシェーンはそうこぼした。
「てこでも妥協しない交渉相手No.1だな。うちからの輸入品の関税を上げると言ってきかない。これじゃあ貿易摩擦が大きくなる一方だ」
「あたしにそういう難しい話をしないでよ」
 セイリアは口を尖らせる。
「こういう話ができないと、貴族社会でやっていけないぞ?」
「べつに政治に参加するわけじゃないんだから、いいじゃない」
「だって君、女の子が好きそうな、ドレスとか宝石の話もしないんだろう?どっちかできなきゃ苦労するぞ」
 セイリアはむぅっと膨れた。
「話の種がそれだけしかないわけじゃないでしょ。現に、シェーンと喋ってて話題に尽きたことはなかったわ」
「それは僕がきちんと君に合わせてるからだ。それに、そういう話の方が、教養を持っているように聞こえて受けがいい」
「受けだけの問題ならどうでもいいわよ。それにあなたは、合わせるも何も、突っ込み返してるだけじゃない」
 会議が終わって二人になった途端にこれだから、言い合いだけで午後が終わったこともあった。

「ところで、わざわざクロイツェルまで来て、あなたたちは一体どんな大事なことを議論してるの?」
 シェーンは言うか言うまいか迷う風にした。
「あ、もしかして聞いちゃいけないこと?」
「いや、かまわないだろ。君なら明日の朝には忘れてる」
「何よそれ!」
 シェーンは無視した。
「一番の論点は、クロイツェルの一方的な輸出押しつけ。まあ、他にも色々あるけど」
「ふーん」
「それと、その一方での、鉄の買い占め。うちのが足りなくなって困ってる」
 シェーンは苦々しそうな顔をした。
「それにね、なぜかクロイツェルは国境を固め始めてるんだ」
「……本当? 同盟を破って戦争するつもりかしら」
 違う、とシェーンは首を振った。
「オーカストとの国境じゃない。ヌーヴェルバーグとの国境だよ」
「ヌーヴェルバーグ? ああ、北の島国?」
 うん、とシェーンは頷く。
「なんだ、地理はよく知ってるじゃないか」
「ふーんだ、騎士の一般教養よ。地理を知らないと大変だもの」
 あ、そうと軽く流して、シェーンは続けた。
「ヌーヴェルバーグも、うちとは同盟関係にある。クロィツェルよりも長く友好を保ってきたんだ」
「そうね、今のオーカストとクロィツェルじゃぁ友好からは程遠いものね」
 シェーンは膨れてセイリアに振り向いた。
「いちいち皮肉るのはやめられないのか?」
「やめられない」
 挑発的なセイリアの答えに、シェーンは逆に怒りが萎むのを感じた。やはり、こういう態度は新鮮だった。
「まあ、確かに御互いあまり友好的じゃないけどね」
「全くよ。妥協という言葉は御存じ?って聞きたくなるわ。頑固なんだから」
「……そういう発言を聞いてると、君がどっちの味方なんだかよくわからない」
「どっちにも味方しない」
 きっぱり答えて、セイリアはシェーンに向かって舌を出した。
「皆仲良く、オールハッピーが一番じゃない」
 シェーンは目をぱちくりしてセイリアを見つめた。いかにもセイリアらしい考え方で、思わず笑みがこぼれる。その笑みをどう解釈したのか、セイリアは「何よ、私、変なこと言った?」と口をとがらせた。
「いや。ところで、今日はどこに行きたい?」
「私が決めていいの?」
「うん。僕はもう行きたいところは行き尽くした」
「じゃあ、静かなところがいいな。どこかの公園とか、草原とか。最近どこにいっても人がいるんだもの、疲れちゃった。いつ女だってバレるかとビクビクしなきゃならないし」
 切実そうに言うので、シェーンは苦笑した。
「そりゃ、おもしろ半分に騎士隊なんかに入った君の自業自得だ」
「何よ、メアリーみたいなこと言って」
「単に僕が正論だから反撃できないだけだろう」
 言われてみればその通りなので、セイリアはぷいっと横を向いた。口にこそ出さなかったが、シェーンはそんなセイリアを見て、可愛いと思った。



 その夜、突然の知らせが舞い込んだ。セイリアは退屈のため、シェーンの部屋に押しかけて無理やりチェスに付き合わせている真っ最中だった。自分からしかけたくせに、セイリアは大苦戦している。考え抜いてポーンを動かしたら、シェーンはしたり顔になった。
「本当にそこで良いの?」
 その言葉に、セイリアは慌てる。
「えっ!? ち、ちょっと待って!」
「駄目だよ、もう動かしたんだから。さてと、チェックメイ……」
「わ っ!! だめだめ、お願い、やり直しさせて!」
「その手はさっきも使ったじゃないか」
「今度こそ最後、お願い!」
「その手もさっき使った」
「じゃあ、今回は負けてあげるから、もう一回やろう!」
 シェーンは声を立てて大笑いし、仕方ないなというように駒を最初の位置に並べ始めた。

 その時、ノックがあった。さっきまで子供っぽく笑い声を立てていたシェーンはさっと表情を変えた。公用事用の、王子の顔だ。何とも切り替えが早いものである。
「失礼いたします」
 入ってきたのはハウエル大尉だった。彼らしくなく血相が変わっていて、いつもの笑みはない。ただならぬ様子に、シェーンは思わず立ち上がった。
「緊急です、シェーン王子。たった今速報が入りました」
「どうした」
 一瞬で張り詰めた空気に、セイリアも顔をこわばらせた。

「クロイツェルが今夜、ヌーヴェルバーグに奇襲を仕掛けました。国境で戦火が上がっています」

「なんだと!?」
 怒りの相に顔をゆがめ、シェーンは部屋を飛び出した。



2005.04.08