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その夜、シェーンは結局ずっと起きていた。情報集めに奔走していたのだ。クロイツェル側にも直接問い合わせた。クロイツェルは回答を渋っていたらしいが、結局シェーンは例の知らせが事実であることをつき止めた。
シェーンは激怒した。彼についていたセイリアが寝不足でウトウトしている一方で、シェーンは会議室の外にまで聞こえるほどの大声で、溢れんばかりの怒りと不満をヒース皇女に叩き付けた。
ビアトリスまでもが会議室の外で、心配そうにウロウロしていた。朝だから、また護衛から逃げてきたのだろう。
「アースがいつもくっついてた、あのお兄ちゃん、姉様と喧嘩してるの?」
「くっついてるって表現はやめてよ」
セイリアは眠そうに言ってあくびをする。
「喧嘩でしょうねぇ、たぶん。言っとくけど、うちのせいじゃないよ」
「うちのせいでもないよ」
ビアトリスは懸命に抗議した。
「姉様はいつも国を思ってるんだから」
純真無垢って可愛い。
「……じゃあ、国を思ってこその喧嘩じゃない?」
ビアトリスは言い返そうとして言葉が見つからず、口をつぐんだ。
その時、会議室の戸が開いた。シェーンは最悪だ、と言う顔をしていて、ヒース皇女も落ち着いてはいたがご機嫌斜めである。御互い国を預かるもの同士、同じような、威圧感を持つ独特のオーラを発しながら、そっぽを向いて出てきた。
……いやな雰囲気。
ヒース皇女はビアトリスの手を取り、行きましょ、と短く言って、足早に立ち去った。それを確認し、大尉がセイリアに耳打ちをした。
「クロイツェルの皇女なんかと仲良くするのは、やめた方がいい」
セイリアは思わず大尉を見上げた。
「君のためにも、ね」
彼は厳しい目をしていた。セイリアは眉をひそめた。
「セ……いや、アース」
シェーンが呼び掛けてくる。
「行こう、出かける支度だ」
「またどこか行くの? 悪いけど、私寝たいんだよね」
「違う、帰るんだ」
「部屋に戻るのにどんな支度が必要なの?」
「違うってば、国に帰るんだよ」
これには大尉も一瞬動けなかった。
「シェーン王子……しかし」
「これ以上の交渉は時間の無駄だ。あろうことか他国の代表団が訪問している時に、その同盟国に戦争をけしかけるなんて……まったく信じられない! 抗議の意味も含めて、これ以上この国には居られない」
相当ご立腹のようだ。
「わかりました。早急に準備をしましょう。下々の者にも知らせてきます」
大尉はあっさり了解して、礼をすると行ってしまった。
「いいの? 何も言わずにとんずらして。今度こそクロイツェルに見切りをつけられちゃうわ」
「大丈夫だろう。ヒース皇女の前で帰る、って怒鳴ってやったから」
セイリアは目をパチクリさせた。
「……時々、あんたを尊敬するわ」
シェーンはギョッとしたようにセイリアを見つめた。
「急にどうしたの」
セイリアは首を傾げた。
「率直に感想を述べたまでよ? だってヒース皇女って恐いじゃない。ちょっと褒めたからってそんな気持ち悪そうな顔しないでよ。私はあんたみたいにひねくれちゃいないのよ」
「随分言ってくれるな。普段から減らず口ばかりたたくから、急にそういうこと言い出されると気色悪いんだよ」
「失礼ね!」
セイリアはプリプリしながら部屋に戻り、荷物をまとめ始めた。
幸い荷物は少なかったため、すぐにそれは終わって、他の者が急な帰国にてんやわんやしている間、セイリアはシェーンの部屋に押しかけてぶらぶらしていた。ビアトリスから預かった、もとい押しつけられた子猫は、籠の中に閉じ込められているのが不満そうに、にゃーにゃー鳴いていた。
「ちょっと静かにさせてくれよ、その猫」
あちこちに指示を飛ばさなければならないシェーンは困った顔で言った。
「猫は気ままなものなのよ」
セイリアは素っ気なく答えた。退屈は世界で一番嫌いだ。その退屈が襲ってきている以上、まともに返事を返す気力はない。
「そういえば、猫、猫って、その子に名前はないの?」
え、とセイリアは目を丸くして、うーんと唸った。
「考えてなかったわ。あんたがつけて」
「僕?」
シェーンが驚いた顔をする。
「ええと、それじゃあ、クレオ」
「クレオ?」
「うん。セイリア、って神話のミューズの中の、喜劇の女神の名前だろう? だから、同じミューズの歴史の女神のクレオ」
セイリアは目をパチクリした。
「……しゃれた事するじゃない。あなたが神話を知ってるなんて、驚いた」
「馬鹿にしてるのか? 一般教養だよ」
「そうなの?」
シェーンはそれを聞いて、やれやれと首を振った。既に、こういうことに対して驚くという行為はしなくなっていた。
「で、どうするの、名前」
セイリアは指を頬に当て、考えるようなしぐさをする。
「クレオにするわ。ありがと。これであんたはこの子の名付け親になったんだから、
なにかあったらこの子をよろしくね」
「げ、まさか……」
「あ、別に始めからそれを狙ってたわけじゃないよ?」
「わかってるよ、そこまで頭が回ってるとは思わないから」
「またそうやって皮肉を言う!」
「君相手だと、どうもそれが癖らしくてね」
「しかも、めちゃくちゃ楽しんでない?」
「いちいち反応がかえってくるからなぁ」
「……夫婦漫才みたいですね」
わずかに笑ったような声がして、見てみると、大尉だった。
「扉が開いたままですよ、殿下。不用心に過ぎましょう」
「ああ、すまない」
「君も君だ、アース。そういう所には気を配らなきゃ。王子専任の護衛は君一人なんだぞ」
言葉とは裏腹に表情は穏やかだったが、痛い所を突かれたセイリアはバツが悪くなった。
「……すみません」
大尉はうん、と頷いて目配せをしてきたので、これから話し合いだから出ていけと言ってるのだろうと思い、クレオをつれて部屋を後にした。
結局、出発は夜になった。星空の下、人目をはばかるように、裏の門に馬が集められた。無論、クロイツェル側の見送りはない。完璧に交渉決裂ね、とセイリアは思った。オールハッピーは難しいらしい。
シェーンの乗り込んだ馬車の少し後ろで、セイリアも馬に騎乗した。見上げれば、月光に照らされた王宮が、淡く浮かんで綺麗で、なんだか物悲しい気分になる。
そのとき、制止の声を振り切って、赤毛の少女が駆けてきた。
「ビアトリス皇女、いけません!」
「姉様の使いよ!」
怒鳴られ、門番は彼女を引き止め損なった。彼女は息を切らし、セイリアの足下で止まって見上げてくる。異変に気付いたシェーンも馬車の窓から顔を出した。
「ビアトリス皇女!」
「どうしたの、ビアトリス? 戻ったほうが……」
ビアトリスはセイリアの言葉を遮る。
「……ほんとは姉様、こんなこと言ってないけど、きっと、言い忘れただけだと思うの」
早口にそう言って、息を整えた。
「もう帰ってしまうなんて残念だわ。もう少しいてくれたら、もっと分かり合えたはずなのに」
シェーンもセイリアも、言葉を失った。少女の目は真摯だった。
「私、アースが好きよ。オーカストの人たちは、あたしを守ろうとしてくれた良い人達だった。あたしオーカストが好き。だから、戦争なんて嫌だからね」
キッと見上げる視線に、シェーンは言葉が出ない。ビアトリスは叫ぶように言った。
「今度会う時は敵、なんて絶対嫌だからね」
言って、セイリアの手に何かを押しつけて、くるりと身を翻すと、走り去ってしまった。少しの間、沈黙が降り、シェーンが吹っ切るように、行こう、と言って馬車の中に引っ込んだ。
ビアトリスの後姿を見送っていたセイリアは、渡されたものに目を落とす。オリーブの枝だった。
「オリーブか。花言葉は『平和』だね」
大尉が言った。
「……あの子もしゃれた事するじゃない」
セイリアは小さく呟いた。
列が動きだす。枝を大切にしまって、セイリアも手綱を握った。
「ハウエル大尉」
「なんだい?」
「そりゃあ大層振り回してくれましたけど、良い子でしょ、あの子」
大尉は驚いたように目を丸くする。そして、きゅっと唇を結ぶと、何も答えずに公爵の馬車の方へと馬を走らせていった。
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