Assailants
襲撃者

 

 夜になって、雨は止んだ。出発は翌朝早朝に決まった。
 セイリアはびしょ濡れになった服を、覚えたての洗濯法で洗った。洗ったはよかったものの、翌朝までに乾くかどうかが問題だということに、洗った後で気がついた。大尉はそれを聞いてけらけら楽しそうな笑い声をあげて、君らしいねと言った。嘲笑う調子ではなく、むしろいつもの好意的な言い方だったが、少しむっとしたので、シェーンに対するように突っ掛かっていったのだが、あっさり笑顔を返され、かわされた。

 翌日は、前日の雨が嘘のように晴れ渡った。
「おお、良い天気」
 セイリアは空を見上げて満足そうに笑った。秋なり始めのこの頃は肌寒くなってきていて、晴れている方が暖かくてありがたい。
「風邪引いてないだろうね?」
 シェーンが不安そうに言った。
「あらあら、心配してくれるんだ? この通りよ。元気溌剌、風邪の2文字は我が辞書に無し」
「そのようだね」
 シェーンは微笑んで、馬車に乗り込んだ。セイリアは、なんとかだいぶ乾いた服を荷物に詰めて、馬に飛び乗った。ビアトリスにもらったオリーブの枝も、大事に詰める。大尉がそれを見て、また複雑そうな表情をした。
 前日の雨で、道はだいぶぬかるんでいた。徒歩の者が泥水を撥ね上げて進まなければならない隣で、馬に乗って、悠々と楽をしているのがどうもバツが悪かった。しかし、多少遅れたとはいえ国境の検問も難なく通り過ぎ、無事オーカストに入ってみんな胸をなで下ろした。
「ああ、我が祖国、だね」
 セイリアもいつに無く母国に対する愛着がわいて、溜め息混じりに呟いた。

 日が暮れ始めた頃、馬車が一台、ぬかるみにはまって出られなくなった。セレスの馬車だった。大尉が陣頭指揮を執って、騎士や兵たちや、セイリアも手伝って押したり引いたりしたが、ビクともしない。仕方がないのでセレスには降りてもらい、公爵の馬車に乗ってもらうことにした。ご令嬢を水溜まりの中に降ろすわけにもいかないので、セイリアが手を伸ばし、馬車から自分の馬に移ってもらう。セレスは馬そのものに乗るのは初めてなのか、セイリアにしっかり掴まって息を殺していた。
 彼女を公爵に渡して、ようやく旅の再開だった。

 その時、セイリアは微かに何かが風を切る音を聞いた。はっとして馬を止め、周りの気配に神経を集中させる。
「アース」
 後ろから大尉が声を掛けてきた。
「今の、君にも聞こえたかい?」
「ええ」
「進みなさい。こちらが相手に気付いたと知られると不利だ」
 セイリアは言われた通りにした。
「追剥ぎですかね?」
 セイリアがひそっと言うと、ハウエルは眉をひそめた。
「それならまだいいけどね」
「えっ……?」
 ハウエルは物問いたげなセイリアの呟きに答えることもせず、馬を前方に走らせて、シェーンに報告をした。報告が終わると、大尉は前から順に指示を伝えて回った。
「素知らぬ顔をして進みなさい。ただし、警戒は怠らぬよう」
 周りの騎士や兵士たちも、何かがあったのを察して、何も言わずに従った。ハウエルは一通り指示を伝え終えると何故かセイリアの側にやってきた。
「王子は、指示は私に任せるとおっしゃった」
「そうですか。……襲ってくると思います?」
「わからない。空耳かもしれないし、動物かもしれないし、あるいは単に偵察していただけかもしれないし」
「空耳と動物は絶対違う」
 セイリアがキパッと言った。
「あれは御互い連絡するために飛ばし合う矢の音です。間違いなく」
 ハウエルは目を細めてほう、と呟いた。
「根拠は」
「私の耳」
 大尉はますます面白そうな顔をした。
「自信満々だね」
「一度、家の近くの森の中で狩りをしていた時に襲われたことがあるんです。あの時聞こえた音と同じだった」
「なるほど。……残念だなあ。本当に君を部下に欲しかった。辞任してうちの隊に来ないかい?」
「残念ながら、今の仕事は気に入ってますので」
「おやおや。前はシェーン王子に文句たらたらだったのに」
「あー、それは……」
 ハウエルはにっと笑ってみせた。
「君なら王子の良いパートナーになるね」
「……」
 セイリアは思わず大尉を見つめた。……パートナーなんて考えたこともなかった。王様のパートナーってなにかしら。宰相? 政治がちんぷんかんぷんの私に務まるわけがないわ。ストレス発散のための喧嘩相手なら務まるけど。今だって護衛と言うより喧嘩友達だし。
「ほらほら、考えごとをしてると注意力散漫になるよ」
 大尉にやんわりと咎められたので、セイリアは考えるのをやめることにした。

 相変わらずあちこちのぬかるみにはまっては馬車を引っ張り出し、を何度か繰り返しているうちに、すっかり日が傾き始めた。
「次の街まで着きますかね?」
 聞くと、ハウエルは難しい顔をした。
「無理だろうね。王子と公爵とセレスティア嬢には申し訳ないけど、野宿になりそうだ」
 事実、次の街まではかなり遠かった。小さな村ならさっき通り過ぎたのだが、とてもこの大人数を泊められるだけの家と食料はないだろう。シェーンも公爵も別に野宿でいいと言ったものの、箱入り娘のセレスにとっては辛いだろうと思って、可哀想になった。彼女は気丈にも大丈夫ですと言って微笑んだのだが、その笑顔は不安で引きつっていて、公爵もそれを見て心配そうだった。
「みんなに体力があるなら、徹夜で進んだほうがいいと思うんだけど」
 シェーンは大尉を呼んでそう言った。
「早く街に着けるし、もし賊が近くにいるのなら、野宿している場面は格好の襲撃チャンスになるだろう」
「……そうですね。そうしましょう。体力面なら心配ご無用ですよ。皆鍛えられていますから」
「公爵とご令嬢には申し訳ないと」
「はい、伝えておきます」
 それを聞いて、また完全徹夜かぁ、とセイリアは思った。これは疲れそうだ。街に着いたらシェーンを脅してでも睡眠時間はたっぷり確保してもらおう。
 一方、賊の方はあれからうんともすんとも言ってきていなかった。さすがのセイリアも、気にし過ぎだったのかしらと思い始めた。まあ、何もないに越したことはない。そのうちすっかり暗くなって、夜も更けていった。シェーンはとうとう馬車の中で眠りこけてしまって、セイリアはそれを聞いて恨めしく思った。こういう時、臣下でいるのがつくづく嫌になる。眠いのはみんな同じなのに。

 そうして、そのうち半分眠ったまま馬に乗っている状態になった頃、セイリアは風を切る音で目が覚めた。
 騎士隊での訓練の賜物だ。はっとして伏せたら、頭上を何かが掠った。隣にいた騎士が、悲鳴をあげて馬から落ちた。
「奇襲ーっ!!」
 セイリアは叫んで剣を抜いた。回りが一斉に、抜刀する音で満ちる。
「あんた、大丈夫!?」
 問うと、相手はむくりと起き上がった。よくよく見てみれば、ヒース皇女と同じ歳くらいの、若い青年だった。
「俺ですか? 伊達に鍛えられてませんよ」
 セイリアは目を見開いた。彼は素手で矢を掴んで止めていた。
「あなたが伏せたおかげです。早めに反応できた」
「そりゃどうも」
 賊が初めて姿を現していた。森に住む者たちなのだろう、木の上にも数人いる。
「臨戦態勢に入れ!」
 大尉が高く叫んだ。大尉とセイリアが早々に彼らの気配に気付いていたので、装備も心も準備は万端だった。本来なら、貴人がどの馬に乗っているのか分かりにくくするためにみんな散るのだが、今回は馬車でバレバレなので一斉に馬車をかためる。
「はやく馬に乗って」
 セイリアは馬から落ちた彼に手を差し出した。掴んできた手を握って、馬の上に引き上げる。
「見掛けによらず力が強いですね」
 彼は手綱を操りながらそう言った。
「伊達に鍛えられてないから」
 彼と同じ台詞を返すと、二人はそれぞれ別方向に駆け出した。
 セイリアはあまり実戦は好きじゃない。なるべく武器を奪うだけにするように、
でなければ致命傷にならないように場所を選んで斬りつけた。思った以上に相手の人数は多かった。殺さないので、相手の動きを奪いきれず、他の相手と戦っているときに襲われる。それでも腕の差と数の差で勝っているので、じわじわと相手を圧倒していった。
 大尉をリーダーと見たらしい相手は、6、7人で彼を取り囲んでいた。さすがの大尉でも厄介そうだ。セイリアはそれに気付いて大尉の助けに行こうとしたのだが、セレスの悲鳴が聞こえて慌てて振り返った。
 馬車に賊が一人飛び込んだところで、公爵が剣を抜いていた。多少腕に覚えはあるらしく、応戦してはいるが、そろそろ五十を超える体では少しきつそうだ。
「アース! 手が空いてるなら公爵とセレスティア嬢を!」
 槍を幾つも受けて、半分羽交い絞めされた状態の大尉が歯を食いしばって叫んだ。
「了解!」
 セイリアは馬を飛ばし、馬車の手前で鞍の上に立ち、蹴って馬車に飛び乗った。そんな襲い方をしてくるとは思いもしなかった相手は、宙を舞って飛んでくるセイリアを防ごうともせず、体当りされるままに馬車の床に転がった。素早く相手が手に持っていた槍を奪い、喉元にそれを突き付ける。
「王手」
 わずかに切れた息の中、そう言ってセイリアは勝ち誇った笑みを浮かべた。少し体を離すと、相手はパッとセイリアから離れて逃げていった。立ち上がって、後ろの二人に問う。
「お怪我は」
「かすり傷だけだ。恩に着る、ヴェルハント殿」
 公爵は息を弾ませて言った。名字で呼ばれるのは妙にこそばゆかったが、気にしないことにした。
「お見事。さすが私が見込んだ騎士だ」
 すぐに大尉が駆けてきた。羽交い絞めから逃れられたらしい。それこそさすがと言うものだろう。
「馬乗りの技、見たよ」
「どうも」
「公爵たちは私に任せなさい。元は私の任務なのだし。王子の馬車の周りも危なくなっている、君はそちらへ」
 セイリアは頷いて、シェーンの馬車へ走った。
 あのひょろっちい王子のことだから、馬車に乗り込まれたら一発で終わりそう……。と、意外によく保っていた。周りの兵や騎士達は結構手一杯で、そこをついた賊が一人、案の定シェーンに迫っていたのだが、どうやらシェーンは逃げるのだけは得意らしい。馬車から少し離れた場所で、木を盾に馬の上の相手の斬撃をかわし、意外にも巧く逃げていた。素人の動きではない。セイリアは散々に言ってきたが、やはりそこは王子、少しは武芸をやったらしい。本人や大尉が「やらなかった」と申告しているのは、あくまでも「本格的に」の意味で言ったのだと、セイリアは知った。
 しかし、馬に三、四十分乗っただけで腰痛を訴える彼、ぼんやりしていて階段から落ちる彼だ。騎士や兵達のような訓練を受けていない賊とて相手にしたら危ない。セイリアは周りを見回した。近くを通った馬を、前に飛び出して止める。急ブレーキをかけて止まった馬の騎手は、真っ先に矢を受けて、それを素手で掴んだ彼だった。
「何なんだ、危ないですよ!」
 セイリアは問答無用で馬に飛び乗り、「はい、ちょいと失礼ねー」と言って、ヒョイと彼を持ち上げて馬から下ろした。
「あの、なんの真似で……」
 彼は慌てて手綱を掴んだが、セイリアは既に馬を駆っていた。彼は慌てて手綱を離した。
 その先ではいよいよシェーンが危なくなっていた。疲れが滲み、動きが鈍い。ついに賊の剣の切っ先がシェーンの足をえぐった。痛みに顔を歪めて崩れ落ちたシェーンに、馬の上から白刃のきらめきが襲いかかる。
 ……と、そこを何かが掠めた。セイリアが、白刃の下から、文字通りシェーンをかっさらった。切っ先は虚しく空を切って、地面を噛んだ。急に腰の辺りを掴まれてシェーンは呻いたが、すぐに馬上に下ろされ、目の前の人物が誰なのかに気付いた。
「セイリア!」
 自分でも驚くぐらい心底ほっとしたことに、シェーンは自分でギクリとして、いつもの減らず口を叩いてしまった。
「なんだ、職務を忘れたわけじゃなかったんだな」
「黙んなさい」
 尚も一心に馬を飛ばす彼女を訝んで後ろを見てみると、追っ手が三人、ついてきていた。
「がむしゃらに逃げるわよ、つかまってて」
 シェーンは頷き、全てを委ねてセイリアにしがみついた。




最終改訂 2005.07.16