Princes
王子達

 

「お金持ってないの!?」
 セイリアは思わず叫んだ。
「一ギトも? あたしでも300ギト持ってるよ! あんたそれでも王太子?」
「王太子だからこそだよ。いつもは誰かが払っておいてくれる」
「のんきに説明してる場合じゃないでしょ!?それじゃあ今夜は野宿じゃない! ねえ、レン、あんたは? あんたも一文無し?」
 レナードは自分の荷物の中を検めた。
「……100ギトほどありますけど……」
「全然足りないじゃん」
 セイリアはがっくりと肩を落とした。全員貴族なのに、情けないったらありゃしない。
「野宿でいいのね? 狼出てきたら知らないわよ」
「護衛にあるまじき発言」
 さらっとシェーンに返され、セイリアはうっと呻いた。
「じゃあどうすんのよ? 400ギトじゃとても足りないわよ。目の前に宿があるのにさ」
 シェーンは黙る。これでも一応贅沢して暮らしてきたはずだから、野宿は間違いなくつらいだろう。
「金目のものも持ってないしなぁ……あたし、普段から何の装飾品もつけてないし」
「君らしいよ。ダンスパーティーの時も、すっごいぎこちなかったから」
「初々しいって言ってよ」
 レナードが少し驚いたように目を見開いた。
「ダンスパーティーに出ていたんですか?」
「うん。本当は弟と一緒のはずだったんだけど、あのお馬鹿は風邪引いてお休みだったの」
 お馬鹿、とレナードは呟いて目をぱちくりさせた。この少女はつくづく、遠慮がない。
「そういえば、レンは出てなかったの? ダンスパーティー」
「ええ……」
「えと、レンは今いくつ?」
「18です」
「じゃあ、絶対出席してたはずじゃない」
 レナードは少し目をそらした。
「出席を拒否されましたので」
 きょとん、とセイリアはレナードを見つめた。シェーンはレナードのしぐさに、立ち入ってはいけないものを感じて、セイリアの気をそらそうと試みた。
「しょうがないから、もう一度、そこらの家をたたいて、泊めてくれる親切な人を探そうか?」
「言うのは簡単ですけど、そうはいかないじゃ……」
 半信半疑のレナードに、セイリアが言った。
「だって、あたしたちは騎士隊の制服だし、シェーンだって明らかに良い家ってわかる服を着てるじゃない。すぐ見つかるわよ」

 ずっと疑いの目をしていたレナードも、一軒目で見事OKが出たので大いに満足した。それも、やはりいい家の子達だということが分かったのか、ものすごく丁重な待遇を受けた。しかし寝床はひとつしかなかったので、三人のうち二人は床に布団を敷く羽目になった。
「明日には王都ね」
 シェーンにベッドを譲って床で寝ているセイリアが、ぽつんと呟いた。
「久しぶりだなあ、家」
「……二、三週間ぶり?」
「そうかも。アースはどうしてるかな」
「あれ、珍しいね、弟くんを気にかけてるなんて」
「あら、いつも気にかけてるわよ。表に出さないだけ」
「へー。ふーん。」
 棒読みの調子で言ったシェーンに、セイリアは膨れて見せた。
「すっごい疑い深そうね……。あたしだって、あんたが弟くんを気にかけてるようには見えないけど、ホントはちゃんと大切な弟なんでしょ? それと同じ」
「…………」
 シェーンは答えなかった。この少女は、時々読心術かと思うほど、的確に自分の気持ちをつく。
「あーあ、やっぱり、家が一番だな。早く帰りたいよ」
 そういって寝返りを打ったセイリアは、そのまますうっと寝入った。
「どうですか、殿下」
 レナードがぽつんと言った。
「何がだ?」
「殿下も……家が一番、ですか?」
 シェーンもベッドの上で寝返りを打った。
「どうだかな。君は?」
「俺は……外が一番です。だから騎士になりました」
 そうか、とシェーンは呟いた。
「殿下は、いつが一番幸せでしたか。どこか一番幸せですか。どこが……殿下の居場所ですか」
 シェーンは目を閉じた。
「……今、かな」
 呟きの小ささに、シェーンはレナードに聞こえたかどうかわからなかった。ただ、反応がないのでそのままにさせておいた。
 ―― 自分は、今が一番幸せだ。華やかで、不自由ないどころかいつも最高級のものを与えられる生活はないけれど、そんなもの、自分から求めて欲しがったことなど一度もない。今は、気を遣わなくていい仲間がそばにいる。自分を邪魔に思う人も、わざとらしく嫌味を言う者もいない。静かで、気の緩められる生活ほど、渇望したものはなかった。
 しかし、別に王になることは嫌ではない。いまさらだが、未来の王としての自分にしか、存在意義がないように思えるのだ。しかし、恨みやねたみ、陰謀、時には殺意さえ平気で渦巻く王宮に一生閉じこもっていなければならないのかと思うと、時折息が詰まる。
  ―― やっとみつけたんだ。
 少女は……少年のような少女は、何の心配事もなさそうに眠っている。その隣で、レナードもようやく夢を見始めたようだった。 やっと、見つけたんだ。心から、傍にいたいと思う。いつも自分に光をさしてくれる存在。自分の―― 、居場所。
「……セイリア」
 いとおしい響き。
「セイリア」
 枕に散っている髪も、月明かりに浮かぶ眠った横顔も。
「ねえ……君は、ずっと僕の隣にいてくれる?」
 どうしようもなく、愛しい。
 手の甲でそっと頬に触れると、彼女は小さく「ん……」と言った。言ったついでに寝返りを打って、その拍子に布団が彼女の肩から滑り落ちた。シェーンは苦笑して、ベッドから降り、布団をかけなおしてやった。
 そして、顔をセイリアの額に近づけようとしたが、体を傾けた時に、髪が自分の肩から落ちて、セイリアの頬にかかった。シェーンは思いとどまったように動きを止め、ため息をついて髪をかき上げた。そうしてしばらく、想う相手を見つめていた。


 その翌日、セイリアたちの一行は、一向に彼らが到着しないので、王都の手前でずっと待っていた大尉たちに、ようやく出会った。王太子を途中で落としてきてしまって、生きた心地がしなかった彼らは、安心のために一斉に「王太子さま、万歳!」と叫んだので、シェーンは「さて、この中の何人が本心かな」と渋い顔をした。
 大佐がシェーンを迎えたので大尉は後ろに下がっていたが、シェーンが安全に保護されると、真っ先にセイリアのところへ走ってきた。もう、十年来の友人のようにセイリアを抱きしめる。
「よかった、無事で。遅いから心配していたんだぞ」
 いくら男と思われているとは言え、セイリアは抱きしめた感触で女とばれたらどうしようとか、また、にわかに少女らしい羞恥心が沸きあがって大慌てした。
「あのあのっ、すいません苦しいので!」
 苦し紛れにそう言って何とか放してもらった。
 そこで大尉は、セイリアの後ろに控えているレナードに気づいた。
「君は……確かオーディエン公爵のご子息だね」
「……戸籍上では」
 むっつりしたその答えに、ハウエル大尉は一瞬怪訝そうに眉をひそめた。
「すぐに王子を追ったその機転には感謝する。私のほうから上に報告をしておこう」
 レナードは黙って会釈した。無愛想がまた戻ってきて、彼の中に居座ってしまったらしい。
 それからは順調に王都の大街道を抜けて、午後早く、王宮に着いた。

 馬車を降りたシェーンに続いて、護衛のセイリアは前へ出て、シェーンについていった。出迎えのものが一斉に頭を下げる中、シェーンは階段を上がっていく。公爵が後に続いて、階段半ばまできたところで、シェーンはふと足を止めた。
 階段の上から尊大な態度で降りてきたのは、父王ではなかった。
「兄上……」
 シェーンがぽつんと呟いた。第一王子、カーティスだった。従者が「カーティス王子!」と叫んで引きとめようとしたが、彼はそれを荒々しく振り払い、腹違いの弟の王太子の前で足を止めた。腹違いとはいえ兄弟だけあって、他人が見れば面影はよく似ていて、美貌はむしろシェーンに勝る勢いだ。ただ、カーティスはセレスと同じような、太陽に透ける金髪をしていた。こういう所に、公爵家が王家の血筋を引いているところがうかがえる。 今、二十四歳になる若々しい彼の顔には、何とも言いがたい憎悪が浮かんでいた。
「……なんだ、あのクロイツェルへ行って傷ひとつなしか」
 明らかにシェーンを愚弄した調子の言葉に、周りの空気がさっと冷えた。シェーンは黙って兄の顔を見つめた。カーティスはいきなり剣を抜いて、弟の喉元に突きつけた。周囲のものがあっと息を飲み、公爵も半ば剣を抜きかけた。セイリアはすぐに剣に手を伸ばしかけたが、カーティスが動かないのを見てその場を見守った。
「ずいぶんと、お手柔らかなお迎えですね、兄上」
 シェーンは眉一つ動かさない。カーティスもじっと弟を睨んでいた。
「戦争が始まったというんで、逃げ帰ってきたわけか」
 皮肉な笑いを浮かべて吐き捨てた第一王子に、シェーンは淡々と答える。
「兄上なら、どうしました?ヌーヴェルバーグを見捨てて、クロイツェルに残って彼らの侵略を助けましたか?」
 カーティスは返事に窮して顔を赤くした。怒りに任せて、剣をシェーンの喉にぴたりとあてる。少しでも動けば、切っ先が喉を掻き切るだろう。シェーンはさすがに眉を寄せて、真剣な目になった。

「兄さん!」
 叫んで、もう一人の青年が駆け出してきた。カーティスと同じ金髪に、青い目。再度兄さん、と呼ばわってカーティスの腕を引く。
「いけません! そんなことをしては!」
「ランドル、お前はこいつが憎くないのか!」
 ランドルと呼ばれた第二王子は、ひたと兄を見つめた。
「弟を憎む道理がありますか」
「ならば、お前も俺の敵だ」
 ランドルを振り払おうとして手元が動いて、剣がシェーンの喉から、皮膚を掻き切ることなく、なんとか離れた。その隙に、シェーンはすばやく階段を数歩下がる。セイリアも、それと同時にシェーンの手を引いて自分の近くに引き寄せた。それに気付いてあっと叫んだカーティスは、再び思い切り剣を振った。きん、と音が鳴って、抜刀したセイリアがそれを受けた。思わぬ邪魔が入って、カーティスは一瞬驚いた顔でセイリアを見つめた。
「……例の新しい護衛か!」
「人がせっかく帰ってきたのに、さっそく剣のお見舞いってどういうことなんですか?」
 何とも勇敢なことに、セイリアはそんなことまで言う。
「黙れ、引っ込んでろ、坊主!」
 カーティスは乱暴に叫んだ。
「兄さん! いい加減にしてください!」
 ランドルが叫んで、力いっぱい兄を引きずる。セイリアはその間にシェーンを背後にかばった。
「シェーン、早く中に入って!」
 すばやく言ったセイリアの言葉に、ランドルもそうだ、と言った。
「兄さんの性格はお前もよく知ってるだろう。これじゃ、もうしばらく暴れないと止まらない!」
 シェーンはただ、言われた通りに、足早に二人の傍を通り過ぎた。セイリアはしっかりとシェーンをカーティスからかばう位置につく。ひとしきり放せと喚きながらカーティスは暴れていたが、ランドルに加えて、大事をとって動くのを控えていた、多くの護衛たちが加勢したので、羽交い絞めにされたまま動けなかった。
 その間にシェーンは公爵やセイリアらと階段を上りきり、王宮の建物の中に入った。

 玄関ホールではあっと溜息をついたシェーンに、公爵が「お怪我は?」と問いかける。
「ない。兄上にしては、手加減したほうだな。前は危うく腕を失くすところだったけど」
 シェーンはぶつぶつ言いながら、喉をなでる。あまり緊張感はなく、なれた調子だった。セイリアは暗い目でシェーンを見つめた。
「……お兄さんまで、敵なんだ」
 シェーンはひとつ息をついて、天を仰ぐ。
「王族にとっては、身内が一番の敵さ」
 一息入れて、シェーンは続けた。
「僕にとっては家が一番、危険な場所なんだよ」
 セイリアはその言葉にはっと息を呑むと、悲しそうに俯いた。





最終改訂日 2005.08.22