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「自分で来るって言ったんでしょ。そんなにビクビクしてどうするのよ」 叱り飛ばされたアースはそれでも身を縮めたままだった。
「だ、大丈夫かな……こんな裏口から入って」 「何よ、正面から入って貴族の方々にご挨拶したい?」 アースはふるふると首を横に振った。 「じゃあ、よそ見しないでついてきなさい」 アースは切なそうに溜め息をついた。
「姉さんの恐いもの知らずには、ついて行けないや……」
しかし、王宮の中に一歩入ると、マントをかぶって姿を隠しているアースも思わず頭上を見上げた。
「うわぁ……凄い装飾だ」 「王宮だもの、当然よ」 「本で読んではいたけど、やっぱり百聞は一見にしかず、だね。これが大陸歴1200年代のシャークトン様式の建築かぁ……」
「……あのね、アース、あたしにそういう難しい話をしないで」
人払いをしてもらったおかげで、シェーンの部屋に辿り着くまで、誰にも会わなかった。戸を叩くと、シェーンはすぐに戸を開けた。 「来たね。入って」 「私もいいの?」 セイリアが聞くと、シェーンは頷いた。
「いいよ。どうせ後で君はアースから聞くんだろう? だったらここで聞いてたって大差無い」
「……すみません、殿下。お邪魔します」
初めてシェーンに謁見したのもこの部屋だった、とセイリアは思い出した。生意気な調子で「どうしたの?不満?だったらやめる?」と笑って言い放った彼。知り合ってみれば、意外と良い奴だった。
アースはしばらく「シャークトン様式の建築」とやらを満足いくまで眺めていたが、シェーンが机の上に広げている地図に気付いた。
「地図に刺しているこの赤いピン、ここで衝突が起きているんですか?」 「そうだ」 ああ、退屈な話になる、とセイリアは予感して二人から離れ、窓辺に寄って外を眺めることにした。 「クロイツェルにしては、つくべきところをついてないじゃないですか。島国相手なのに、海の上で戦争なんて」 「うん。本来なら、自国で戦火を切ることになっても、ヌーヴェルバーグを陸まで誘った方が、地理的にもずっとやりやすいはずだ。でも、一番問題なのは、戦火を切る理由がクロイツェルには見当たらないことなんだ」
「……侵略は?」 「必要ない。ヌーヴェルバーグはとっくに、クロイツェルになんでも差し出す用意でいるんだ。長いものには巻かれよ、があの国の特色だからね」 アースはうーんと唸った。 「ところで殿下、ヌーヴェルバーグに援軍は出さないのですか?」 「早急過ぎだろう。父上もしばらく動かないで戦局を見極めるつもりでいる。幸い、ヌーヴェルバーグからはまだ援軍要請が来てない。すぐに動く必要はない」
「援軍要請、来てないのですか……」 頷いて、シェーンは疲れた顔をした。 「他国に胡麻をすっておいて、いざというときには片っ端から頼って回る国なのに、珍しくね」 「王子様」 アースの呼び掛けにシェーンは顔をあげた。 「僕を、時々ここに呼んでくれませんか。戦局情報の整理と、国々の思惑を見極めるお手伝いをしたいんです」 セイリアは既に窓枠に頬杖をついて、眠気に絶え切れずに首が船を漕いでいたが、この一言を聞いてパッチリ目が覚めた。 「はい?」 双子の弟の急な提案。シェーンの方がむしろ落ち着いていた。 「アース、あんた本気?」 「本気だよ」 アースはあっさり答えた。 「なんとなく分かってきた。クロイツェルが侵略目的じゃないなら、逆を考えるべきかもしれない。発想の転換だ」 シェーンは顔をあげて眉をひそめた。 「続けて」 「ヌーヴェルバーグは自分に有利な海上戦でクロイツェルを押してます。戦争の原因はクロイツェルじゃなくて、ヌーヴェルバーグじゃないでしょうか」 セイリアはちんぷんかんぷんで首を傾げて奇妙な顔をしたが、シェーンはなるほど、と納得したようだった。 「ヌーヴェルバーグのほうが、クロイツェルに圧力をかけていた。クロイツェルはやられる前にやっただけ。そういうこと?」 はい、とアースは返事をした。 「ヌーヴェルバーグは胡麻擂りの国なのですよね?それは彼らが立場的に弱いからですよね。そこに何か、強みを握ることができたなら、一気に天狗になって他国に威張り散らしてもおかしくありません。国と人の心の動きは同じようなものでしょう?」 「いい論理展開だ。問題は彼らの握った強みは何か、だな」 「国全体と、王族同士、または有力者の個人的関係の二面から、探ると良いと思います。いざこざで一番有り得るのは、跡継ぎ争いか男女関係のもつれでしょうから、その面を中心的に。オーカストならできますよね? 間諜で有名な国なのですから」 シェーンは目を瞬き、アースを見つめた。
「君は……」 アースはニッコリと笑った。 「どうでしょう。お役に立てそうですか」 シェーンは苦笑した。 「これは驚いた。なぜ今まで家にこもってたんだ?」 「残念ながら対人恐怖症で」 アースは決まり悪げに呟いた。 「あれ、僕と会うのは平気なの?」 シェーンが尋ねると、アースは首を傾げて頷いた。 「ええ。不思議なことに」 シェーンは苦笑し、アースの肩を叩いた。 「じゃあ、来る曜日と時間を決めよう。情報はセイリアを通して渡す。これでいい?」 アースは顔一杯に喜色を浮かべた。 「ありがとうございます」 シェーンは笑った。 「なかなか、責任感があるじゃないか、ヴェルハント子爵家のご子息は」 アースは目を丸くして顔を上げ、何食わぬ笑顔を浮かべる王太子を見つめた。意図を読まれたことを知って、アースも苦笑した。
「……なぜシェーン王子が太子に選ばれたのか、分かった気がします」 「それはどうもありがとう、アース」 シェーンはぽかんとしているセイリアに目を向けた。 「本当に正反対の双子だね、君達は。しかし、よくもこんな人材が眠ってたものだ」 はあ、とセイリアは呟いて、わけが分からないというように頭を掻いた。
「あんた、どこでそんな推理力つけたのよ」 セイリアはにこにこ笑っている弟を小突き回った。 「さあ。僕だって、最近やっと自覚し始めたばかりだよ。もしかしたら僕は物事を読むことに長けてるんじゃないかってね」 「驚いた」 セイリアは真正直な感想をいった。 「本を読むしか能がないと思ってたのに」 「誰にでも一つは取柄があるよ」 アースはその取柄に自信が持てて嬉しいらしかった。 「自分を試してみたかったんだ、僕。あの王子に認めてもらえて、こんなに嬉しいことはないよ」 「嬉しさで我を忘れて、ぼろを出さないでね。王宮では、あたしがアースだってことになってるんだから」 アースははっとしたような顔になると、浮かれた足取りをやめて、しおしおとついてくるようになった。なんとも素直である。 「でも、そうやって自己主張しようと思い始めたのはいいことだわ。あたしに引きずられないように頑張ってね」 声を掛けると、アースは苦笑した。
「そこまで成長できるようになるには、まだまだ多分に時間が必要だろうな……」 今まで、ずっとこの姉に頼ってきたから。アースはずっと、セイリアに引きずられてここまできたのだ。止まって動かない弟を、彼女の快活さで、その分の重さを負って。 「これからは、姉さんの負担にならないように頑張るよ」 セイリアはきょとんとした。 「あたしの負担? 家にこもってる子がどうやったら負担になるの?」 アースは微笑んだ。この姉は、いつもこうなのだ。他人の分までほいほい背負うくせに、自分ではその自覚が全くない。だから。だから、少しでも僕がしっかりしなきゃ、とアースは姉を見つめた。
裏口への門を戻っていた時、大尉が急ぎ足でやってくるのが見えた。セイリアは急いでアースのマントを引いて脇に押しやる。大尉は二人の姿をみとめて、おや、と呟いた。 「アースじゃないか」 どっちに呼びかけているのか、一瞬混乱しそうになった二人だったが、なんとかセイリアが返事をした。 「こんにちは、ハウエル大尉」
「そちらは……?」 ハウエルがアースを訝しそうに見たので、セイリアはあたふたしそうになって、必死に自分を落ち着かせた。 「姉です。少しシェーンに用があって」 ああ、と大尉は笑った。 「先のパーティーではどうも。楽しかったですよ」 はあ、とアースは消え入りそうな声を出した。セイリアは心の中で天を仰いだ。だめだ、この子、がちがちに固まってる。 「セイリア嬢ですよね。どうして顔を隠しているのですか?」 何も知らないのだから、大尉は悪くない。悪くないのだけれど、やっぱり恨んでしまう。セイリアがやきもきしていると、驚いたことに、アースは少しだけ顔を上げた。陰に隠れてはいるが、紛れもなく顔をさらした。セイリアから見ても強張った表情なのが見て取れたが、対人恐怖症のアースが、こういう気まずい場面で自分の顔をさらすこと自体、奇跡に近い。 「貴族の娘が王子に会ったとなると、誤解を起こして混乱を招きますから。どうか私がここへきたことは誰にも言わないでください」 囁くように、アースは言った。セイリアは目を点にしてアースを見つめた。まあ、まあ、まあ! どうしたゃったの、この子。 大尉は柔らかに笑った。 「心得ておりますよ。大丈夫」 セイリアは機を見逃さず、すかさず言った。 「あの、大尉、お急ぎになっていたのでは?」 「ああ、うん。ヌーヴェルバーグの資料だよ。どうやら王子は戦争の原因をヌーヴェルバーグ側から調べるつもりらしいね」 アースとセイリアはそろって呆然とした。大尉は二人に手を振り、じゃあ、といってシェーンの部屋へ向かった。
アースはその姿を見送ってから、先ほど無理をした反動か、どっと汗を噴き出させた。
「び、びっくりした……死ぬかと思った」 「あんたのわりにはよくやったじゃない?」 セイリアはまだ呆然としたまま言った。アースは首を横に振った。 「もう、一生あんなことできないよ」 それから彼は、振り向いてシェーンの部屋のほうを見て、心もとなげに呟いた。 「シェーン王子は、僕が言う前から目星つけてたのかな、戦争の原因がヌーヴェルバーグにあるって」 「そうかも」 セイリアはふと思い出した。 「大尉は、シェーンが策士だって言ってたっけ」 「道理で」 アースは納得して苦笑した。 「驚いた表情一つしないで、あっさり納得してくださったわけだ。僕を見極めてたんだ、王子は。負けたなぁ……」 それに、とアースは続けた。 「大尉がここを通って僕たちに会って、僕が自分が試されてたって事に気付くのも、多分計算のうちだったんだろうな。むしろ、それで僕が思い上がり過ぎないように計らってくれたんだ。人払いしておいたはずなのに、大尉は入ってきたんだもの」 アースは笑う。 「さすが、王太子」 セイリアは何がなんだか分からなかったが、とりあえず弟がシェーンに感服したのが分かった。
要は、シェーンは本当に策士なのだ。そして、そのシェーンに認められたセイリアの弟も、なかなかの策士だというわけだ。
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