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「メアリー?」 「はい?」 「私って、男っぽい?」 メアリーは目を白黒させて主を見つめた。 「どうしたんですか急に。お嬢様らしくもない」 「いいから答えてよ。私、お嫁に行けると思う?」 主からはとてもじゃないが縁遠すぎる単語を耳にして、メアリーはぽろりとシーツを取り落とした。
「……物好きな方はいるんじゃないですか?」 「遠回しに無理って言ってない?」 「言葉というものは、受け取る側の解釈の仕方でどういう意味にでもなり得ます」
「……アースみたいな言い方」 メアリーはしげしげとセイリアを見つめた。 「なにかあったんですか? 女の意識に目覚めたんですか?」 「失礼ね、あたしは正真正銘の女よ」 それからセイリアはメアリーの抗議をよそに、ベッドに座り込んで天井を見上げた。 「急にね、現実問題が心配になってきたのよ。いつまでも騎士してるわけにいかないでしょ。アースはなんとかなりそうだけど」 セイリアは何気なくメアリーをみて、ぎょっとした。侍女は感極まった顔をして目を潤ませていた。
「ああ……お嬢様っ! ついに私たちの苦労が報われたのですね!」 「ちょっちょっ、メアリー正気に戻って!」 「そりゃあ今のままのお嬢様は大好きですけど、ちゃんとしたご令嬢らしくなされたらどんなに綺麗なことか!」
「えと……それはあたしが男っぽいわけじゃないと受け取っていいの?」 「お嬢様は人並みはずれたお転婆なだけです」
「慰められてるのかどうか微妙……」 「さあ!」 メアリーが人差し指をびしっとセイリアに突きつけ、例の決めポーズを作った。 「題して、お嬢様乙女化大作戦です!」 愛らしいレースがついた純白のドレス、趣味の良い銀の首飾りに腕輪、ついでに耳飾り。決めポーズを作っていない方の片腕でこれらを全部持っているのだから驚く。
セイリアは青くなった。自分の愚かしい発言を心底後悔した。
いつもより一回り大きな悲鳴が、子爵城に響き渡った。
アースの部屋ではシェーンが顔を上げていた。 「何なんだ、今の」 「また姉の侍女が姉にドレスでも着せようとしたのでしょう」 アースは気にも留めていないようだ。 「姉さん、どうやら最近女に目覚めたみたいなんです」 シェーンは目を白黒させた。 「なんだそれは」 「多少、綺麗なものとそうでないものの見分けがつくようになってきたみたいなんですよ」 言って、アースはくすくすと笑った。嬉しそうだ。シェーンは不安げに眉をひそめた。 「なんでまた急に」 「さあ。恋でもしたんじゃないですか?」 アースはさりげなく言って、地図に目を落としながらも視線の端でシェーンをとらえていた。シェーンは一瞬愕然として、真っ赤になったかと思うと今度は真っ青になった。目の前の書類も地図もさっぱり忘れて、セイリアの恋の相手が誰なのかを目まぐるしく考えているに違いない。しかしさすがと言うべきか、すぐに気を取り直していつもの顔になった。 「セイリアでも恋なんてするのか?」 「あれでも一応、女ですし」 「一応、ね」 冷めたような口振りの王子を見て、アースは内心やれやれと思った。確かに姉の言う通り、素直じゃない人だ。両思いなんだからさっさとくっつけばいいのに。
その時、バタンと戸が開いた。会議中なのを知っていて、ノックもなしに飛び込んでくる人と言ったら一人しかいない。 「シェーンーっ、助けてぇぇ!」 ドレス姿のセイリアが飛び込んできて、シェーンの背後に回ると隠れた。 「お嬢様、王子様におすがりするなんてずるいですっ!」 追って来たメアリーがシェーンの姿に頬を染めながら叫んだ。主が主なら侍女も侍女だ。
メアリーはふとセイリアとシェーンを見て、一瞬しげしげと見つめ、あらと言って嬉しそうに手を合わせた。 「お嬢様も王子様も白い服を着ているから、まるで新郎と新婦みたいですね!」 当人たちはぎょっとしたように顔を合わせ、申し合わせたように同時に真っ赤になって離れ、顔を背け合った。アースはもう笑いを抑えられなくなってお腹を捩った。ふ、二人とも、初々し過ぎる……。 「もう、アース、何笑ってるのよ!」 セイリアが怒鳴った。 「ああもう、やだ! メアリー、もういいでしょ! あたしいつものに着替える!」 踵を返したセイリアの腕を、シェーンが掴んだ。
「あ、セイリア。その……」 「何よ」
「……だからっ、似合ってるから、そのままにしてて」 セイリアはぽかんとして口を開けた。 「はい?」 メアリーは首を傾げて二人を見つめ、やっと事情を理解して、あら、と呟いた。 「だから、そのままにしててよ」 「そのままって、ドレスのまま?」 「そう」 「殺す気?」 「僕がそうしてほしいんだよ」 セイリアは口をパクパクさせた。 「シェーンがそうして欲しいの?」 「うん」 まったく、ぎこちなさ過ぎ。
「……じゃ、そうする。ただし帰る時までね」 「うん」 見てるこっちが恥ずかしい、とアースはこめかみを押さえた。これは進展に時間がかかりそうだ。
「あ、そういやあたし、もしかしなくてもお邪魔しちゃった?」 セイリアはようやく周りを見回した。瞬間、セイリアもシェーンも、何かが吹っ切れて、いつもの二人に戻ったようだった。 「そうだよ。何を今更」 またいつもの生意気だ。 「だったらあんたも変な口説き文句言ってないで、出ろって言えばいいじゃないの!」 「誰が君なんか口説くか」 「あーら、じゃあこのドレス脱いじゃうから」 「好きにすれば」 「天の邪鬼」 「お転婆庶民派貴族少女騎士」 「言いたい放題ね」 「じゃあもっと言い返せば? 全部さらっと流してやるよ」 「生意気!」 「お転婆庶民派貴族少女騎士」 「ほかにボキャブラリーはないの?」 「いゃあ、これ以上ぴったりな形容が見つからないもので」 「単に特徴つらづら並べただけじゃない」 「だからこそぴったりなんだよ」 完全に二人の世界から取り残された若君と侍女は、押し問答を呆然と聞いていた。メアリーはそっとアースに近付いて耳打ちをした。 「この二人って、仲が良いんですか、悪いんですか?」 「や、良いんだと思うよ。喧嘩友達なだけで」 「あからさまに両思いのくせに?」
「……あの性格じゃ、くっつくのには相当かかると思う」 「あ、ええ、まあ」 アースは複雑そうな表情をしているメアリーを見て少し気の毒になった。 「思い詰めないでね、失恋したからって」 アースにとっては意外なことに、メアリーは怪訝そうな表情を返してきた。 「私が? 誰に失恋ですか?」
「あ……れ、シェーン王子が好きなんじゃなかったの?」 メアリーはほんの少しだけ頬を染めた。 「嫌ですわ、若様。あんなの恋じゃありませんよ。ただのミーハ―娘の気紛れな憧れです」
「……はあ、そういうものなの?」 「はい」 それからメアリーは少し首を傾げた。 「少し、残念ですけどね。どちらかと言うと、お嬢様を王子様に取られる方が悔しいです。お嬢様、今まであんな素振りありませんでしたし」 アースは少しひやりとした。どう考えても、あの日大尉の従者が挨拶にきた時、王子の態度を見て仰天したアースがセイリアにかけた言葉、あれが決定的なきっかけだ。侍女の主人を恋路に押しやったのはこの自分なのだ。ほんとごめん、メアリー。 そんなことを思っていたら、メアリーは急にまた闘志に燃えた瞳になった。 「でも、これでこそお嬢様の鍛え甲斐があるってものです! 作法や言葉遣い、何より服装をみっちり叩き込んで、王妃に相応しい令嬢にしてみせますよ!!」 アースはあまりのド迫力に思い切り下がって、危うくカーペットに躓いてコケるところだった。取り消し。前言撤回。かわいそうなのはメアリーじゃなくて姉さんだ。ほんとにほんとにごめん、姉さん。 メアリーは何を思い付いたのか、ぱちんと手を打った。アースは思わずビクッとして反射的に半歩下がる。
「そうですわ、まず王子様と口喧嘩なんて以ての外です。 引きはがしにかかりましょう」 「え、僕もやるの?」 メアリーはきっとなった。 「弟君ともあろう方が、姉君を后にしてあげたいとは思わないのですか?」 たじろぐしかない。 「あのさ、メアリーの忠誠心って、曲がり曲がって変な所に行き着いてる気がするんだけど……」 「失礼ですね、私は誰よりもお嬢様の幸せを願っているだけです!」
「その愛の方向性が違うと思うんだ……」 アースはもうメアリーに聞こえないほどの小さな声でぼそぼそと呟いた。 「とにかく、口喧嘩ならさせておこうよ。なんだかんだ言って、二人ともそれを楽しんでるんだし」 メアリーは虚をつかれて視線を泳がせた。
「そう……でしょうか」 うん、とアースは頷いた。
王子と護衛の少女の口喧嘩は、いつの間にか最初と全く違う方向にまで行き着いていた。 「一回はチェスで勝ったもんねー」 「一回ぐらいじゃ勝ちとは言えないさ。たまたまって言葉があるのを知ってるかい?」 「あの時は何も言わないで素直に負けを認めたくせに」 「認める時間もなく、君は部屋を飛び出していったじゃないか」 「屁理屈っ!」 「ほら、そうやって返す言葉がなくなると自棄っぱちになる」 「悔しいんだもん、しょうがないでしょ。ちょっとは譲ってよ」 「そういうのだけは素直だな」 「だけって何よ、だけって」 止めないと永遠に続きそうだ。セイリアは半分本気のようだったが、シェーンは完全に楽しんでいた。会議の時にはない、生き生きした嬉しそうな表情。しばらく見守っていたメアリーは笑って頷いた。 「確かにそうですね」
この二人はこれでいいのだ。くっつけるために手を貸してやることもないだろう。御互い、「今」を十分楽しんでいるようなのだし。
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