Ceres
セレス

 

「思ったんだけどさあ」
 セイリアは馬を飛ばしながら言った。
「あんたって、あんまり王宮にいないわね」
 せっかく帰国したのに、またあちこち奔走する毎日。やれ大聖堂の改修が終わったからってお披露目式典、やれ新しく橋を架ける場所の視察。今日は公爵家にまたまた相談事。シェーンはまだ乗るまではいかないが、さすがに馬にも慣れて、お尻が痛い腰が痛いと愚痴を言わなくなった。
「まあね。王宮にいたって、外に比べてこの身が安全になるわけでもないし」
「王族事情って、いつもそんな血腥いの?」
「オーカストに限らず、大抵そうだよ。跡継ぎ問題でね」
「私、理解できない」
 セイリアは首を傾げた。
「自分から進んで、そんな大きな責任を負いたいってどういうこと?」
 シェーンは微笑んだ。権力の概念が少女の中に無いことを知って、さらに愛しく思う。
「そりゃ、その責任に値する報酬がなけりゃ、よってたかって奪い合うわけ無いだろう?」
「報酬って?」
「……君は知らなくていい」
「何よ、そうやって馬鹿にする」
 馬鹿にしたわけじゃないんだけどな、と思いながらも、シェーンは何も言わないでおくことにした。シェーンが言い返さないので、セイリアは意外に思って振り返った。
「どうしたの? 今日は妙におとなしいじゃない。また毒にでもやられた?」
「なんだよ、それは」
「だって、毒にやられて弱ってた間のシェーンは気味悪いほど素直だったもの」
「気味悪い、はないだろう」
「普段の行いが悪いのよ、あんた」
「……相変わらず僕が王太子だってことはこれっぽちも念頭にないわけだ」
「じゃ、念頭に入れてあげようか?」
「遠慮しとく。それこそ気味が悪い。ほら、口答えする暇があったら前見る」
「いちいち指図しないでよ。馬から落とすわよ」
「君の首が飛ぶよ」
「あんたがそうさせないでしょ?」
 シェーンは一瞬ドキリとした。自分の気持ちにセイリアが気付いたのかと思ったのだ。だが、セイリアの性格を考慮にいれて考え直して、慎重に尋ねた。
「なんでそう思うの?」
「だって、シェーンに人殺しの度胸はなさそうだもの」
 がっくりしながらも、シェーンはやっぱり、と思った。
「年中殺されかけて、ついでにいろんな陰謀で殺される人を見てる僕が、人の死なんて気にすると思う?」
 シェーンが嫌にシリアスなことを口走ったので、セイリアは一瞬ぎくりとした。
「……あたしは気にする」
「おめでたいね」
 シェーンの本心だった。命が貴いものである実感が得られない、王宮のどす黒いまでの闇。そう考えると、色々ひもじくても農民は幸せかもしれない。
「変えようよ」
 不意に、セイリアが言った。
「え、何を?」
「そういうの、変えようよ。王宮がそんなんじゃ、国ってただの貴族たちの所有物じゃない。だったら、何のための国家よ」
 シェーンは唖然とした。
「シェーンは王様になるんでしょ。そういうの全部変えて、あんたが心置きなく国のために働ける場所を作ったら」
「あのね、セイリア……」
「あたしも手伝うから」
 シェーンは苦虫を噛み潰したような気持ちになった。どうしても、言う羽目になりそうだ。
「……それにはどうすれば良いと思う?」
「みんなの意識改革」
「ねじ曲げようとしても絶対に曲がらない考えの人もいるんだ。それは不可能だと思っていい」
 さすがにこれを否定できるほどセイリアはおめでたくはなく、黙ってしまった。
「一番確実で楽なのは、結局、反対勢力の抹殺なんだよ」
 シェーンの見つめるセイリアの背中が、ぴくりと震えた。
「……やな世界ね」
 否定できなくて、シェーンは黙っているしかなかった。
「あんたもそういうの、やるの?」
 問われてシェーンはぐっと唇を噛む。ここで妙な嘘はつきたくなかった。
「ああ。王宮とはそういう場所だよ」
「みんな慣れちゃって、それが悪いことだとも思ってないんでしょ」
「知ったような口をきくね。罪の意識はあるだろうさ。でも、罪を恐れることはしない。そこの違いだよ」
「人でなし」
「いや、だからこそ人なんだと思う」
 セイリアはシェーンを振り向いた。緑の混じった鮮やかな青、海色の瞳は真っ直ぐに見つめ返してくる。透き通るような色をしたその目は、今までどれ程の暗黒を映してきたのだろう。
(もしあたしが王太子妃になったら、そういうのを全部見ることになるのかしら)
 それは身震いするほど恐ろしいことに思えた。シェーンは呆れたようにセイリアの顔をつかんで前を向かせた。
「ほらセイリア、前見て。落馬したら僕が道連れになる」
「だったら早く乗馬くらい覚えなさい」
 セイリアは言い返してから、思った。
(あたしが慣れればいい。あたしがシェーンに合わせれば済むことよ)
 セイリアにしては珍しく、譲歩の意見だった。
(今のシェーンは孤独なんだもの。そういうのを分け会う人がいないんだわ。だったらあたしがシェーンの傍にいる。王太子妃がダメなら、ずっと護衛のままでも。ううん、喧嘩友達のままでも)
 腰に回された手の温もりを、決して離さないように。



 セイリアにとっては2回目の公爵家だった。50を過ぎて一層風格と威厳が増した公爵は、きびきびと二人を出迎えた。
「殿下、またたった一人しか護衛をおつけにならずに」
 公爵は咎める響きと心配の響きを交えて言った。
「アースの腕には信用を置いている。心配には及ばない」
「ですが」
「オーディエン公爵、僕は忙しいんだ」
 シェーンはきっぱり言った。公爵は少しの沈黙の後、こちらへ、と道を開けた。
それからセイリアに向き直った。
「娘が書斎におります。お相手をお願いできますか」
 セイリアはできるだけ丁寧にお辞儀をした。意外と様になったようだ。
「有難うございます」


 セイリアが書斎の扉に近付くと、声がした。
「お嬢様、落ち着いてください」
「まあ、だってアース殿がいらっしゃるのよ。ねぇスザンナ、わたくし、ちゃんとして見える?」
「いつもより数段興奮して見えます」
 どうやら侍女と話をしているらしい。どこの家でも、侍女というのは主に遠慮がないのかと、セイリアは少し呆然とした。しかも、セレスはセイリアに会えるのが嬉しくて興奮しているらしい。そんなに好かれてたかしら、と思いながらセイリアは戸を叩いた。一瞬、緊張したような沈黙がある。そして興奮したような囁きが聞こえ、頬を赤くしたセレスがとびきり可愛らしく顔を出した。
「アース殿、いらっしゃいませ」
 セイリアは帽子を取って会釈した。
「こんにちは」
 自分ができる中で一番愛想の良い笑みを浮かべると、さらにセレスは頬の紅を濃くする。なんとなく嫌な予感がしたものの、細かいことを気にしない性格なので、セイリアはまあいいや、と部屋に入った。
「お久しぶり、セレス」
「はい、お久しぶりでございます」
 うーむ、可愛い。一家に一人は欲しいかもしれない。
 その時セイリアは、机の上の大量の紙に気付いた。
「あれは何です?」
 セイリアが聞くと、部屋の隅に控えていた侍女があっと声を上げた。
「申し訳ありません、片付け損ねました」
「まあ、スザンナ!それ……」
 セレスが青くなったので、セイリアは逆に興味を引かれた。
「何ですか?」
「何でもありませんよ」
 セレスが必死に否定したのに、侍女のスザンナがあっさりばらしてしまった。
「お嬢様の原稿ですっ」
「原稿?」
 セイリアが目を丸くすると、セレスは真っ赤になった。
「スザンナ!」
「いいじゃないですか、減るものではないですしっ」
 うっわ……。ものすごくメアリーと同じ匂いを感じる。スザンナは原稿を抱えてやって来た。
「あ、殿方に受けるかどうかは分かりませんよ。貴族の令嬢の間ではちょっとした評判になっていますけど」
「へえ、小説?」
 恥ずかしさのあまり、今にも縮んでしまいそうなセレスに、スザンナはさらに追い討ちをかける。
「いえ、詩集です。お嬢様は文がお得意なのです」
「スザンナ……」
 今にも泣きそうなセレスを見て、セイリアは大いに慌てた。泣かしたくない女の子No.1のセレスを、自分は泣かせそうになっている。
「見せたくないなら良いんですよ。ごめん、ごめんね」
「お嬢様ったら、せっかくの機会を……」
 スザンナは残念そうだった。編集者の仕事と広報活動を相当生きがいにしているらしい。セレスはセイリアが慰めたことでちょっぴり元気を取り戻した。
「わたくしは大丈夫です」
「よかった。……それにしても、あなたが詩好きだなんて、少し意外です」
「あら、だって他にすることがないんですもの」
 まだ恥ずかしそうにしながら、セレスは言った。
「それに書庫の詩集だけでは飽きてしまったのです。それで、自分で書いてみようと思いまして」
「すごいなぁ」
 セイリアは感心した。自分が最も苦手とする、机の前でじっとする行為を楽しんでやれるなんて。
「セレス、今までに上がってる原稿はないんですか?」
「ありますともっ!」
 嬉々として答えたのはスザンナだった。
「あ、スザンナ、待って……わたくしは」
「興味がおありですのね。そうですよねっ、お嬢様の作品は逸品ですもの、ええ!」
 ……これは、メアリーよりすごいかもしれない。セイリアはとりあえず言った。
「おと……いえ、姉が本好きなんです。読ませてあげても良いでしょうか?」
「まあ、セイリア嬢に?」
 セレスが驚いた顔をする。セイリアが驚いたことに、セイリアに見せるのはあんなに恥ずかしがったセレスは嬉しそうな顔をした。
「でしたら、是非ご批評をお願いしますわ。わたくし、まだどこをどう直したら良いものやら……自信がなくて。セイリア嬢でしたら頼れるでしょう」
 うーむ、美少女のお望みとあらば、たとえ自分より他の人を頼っていると分かっていても、こんなに喜んで助けたくなっちゃうものなのね。……まずいまずい。こんなこと考えて自分の男っぷりに磨きをかけてどうするんだ。
「えっと、じゃ、預かって良いですか?」
「はい、こちらですっ」
 スザンナがにこにこしながら紙の束をセイリアに渡した。
「扱いにはご注意くださいませ。原本ですから。それと……」
「まあ、スザンナ、失礼よ。アース殿はそんな粗相をする方ではないのよ」
 なんだか過信されている気がするが。セレスは原稿を受け取ったセイリアにそっと囁いた。
「わたくしが書き物をしていること、他にはおっしゃらないでいただけますか。お父様もご存じないの」
「知らないの? 詩は教養豊かな証拠ではないの?」
「そうですけれど……あんまり恥ずかしくって。本当は、会ったことのある貴族のご令嬢方と交換もしていたりするのですが、その……」
「つまり、ほかの人との文通は本当は禁止されている、と?」
「はい……」
 そうか、箱入りだから外とは交わって欲しくないのか。親に禁止されていることをやってのけてるセレスは意外と大胆なのかもしれない。セイリアは悪戯っぽく笑って見せた。
「わかりました。どうぞお任せあれ」
 途端に、セレスは火を吹いたように真っ赤になって俯いた。これにはさすがにセイリアもおや、と思わざるを得なかった。やな予感がする。これはこれはもしかして。

 セイリアは生まれて初めて自分の男装を呪った。まずいことになった。この絶世とも形容できるほどの美少女が。しかし、世界中の男に恨まれようと、セイリアには応えてやる術がない。本当は女なのだし、好きな人だっているのに。
 だのに、セレスは男の姿の自分に恋をしているのだ。



最終改訂日 2005.11.23