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「ねぇ、もし同性に恋されたらどうする?」
突拍子もない質問に、呆気にとられたメアリーは鏡の中の主人を見つめた。最近セイリアは変な質問が多い。しかしこれはどうやら真面目な質問のようだと分かって、メアリーは止まっていた手を動かしながら言った。今日は心配事があるのか、セイリアは着替えの時もおとなしい。
「どうって、断りますよ。そんな趣味ありませんもの」
「そういうのって趣味どうこうの問題?」
「……お嬢様って本当に恋愛世界に疎いんですね」
「何よー」
メアリーはセイリアの髪を解いて、梳き始めた。
「どうしたんですか、一体。この期に及んでお嬢様の引き起こす珍事件に驚きはしませんから、どうぞ言ってください」
「別にあたしが引き起こしてるわけじゃないわよ」
セイリアがメアリーを振り返ろうとしたので、メアリーはその頭を掴んで鏡を向かせた。
「髪を梳かしている最中はじっとしてください。痛い目に会うのはお嬢様ですよ」
シェーンと同じような事を言う。セイリアはむっとした顔をしながら、セレスの件を話した。
「向こうはすっかりあたしが男だと思ってるみたい。それでなんだと思うのよね。あたしってもしかしてイイ男?」
「まあ、男前でしょうね、性格的に」
「……見た目は?」
「よほど女女している顔立ちでなければ、人間着ている服次第で性別ぐらい、いくらでも違って見えますよ。特に若い方はそうです」
セイリアはうーむと唸った。ではやはり、根本的問題は、セイリアが男に化けて騎士なんてやっていることにあるのだ。
「ほんと、どうしよう。言わないとセレスを騙してることになるし、言ったら言ったで卒倒しそうで怖いのよ」
「そうですねぇ……良い家のお嬢様を危ない世界に引きずり込むのは危険ですね」
「危ない世界?」
「お嬢様は知らなくて結構です」
また、シェーンと同じような事を言う。この二人、意外と気が合っているのではないだろうか。
「まあまあ、今はそっとしておくことですよ。聞くとそのセレス様は少々世間知らずのようですから、うっかりお嬢様が女だと教えてしまったら、外部に漏らされかねませんし」
打算的な意見にセイリアは少々閉口したが、理に適っているので言い返せなかった。セイリアは深々と溜め息をついた。
「ま、いいや。くよくよ悩むなんてあたしらしくないわよね」
「……開き直りですか」
「なるようになる。騎士になるときだってそう思ってなったんだもの。人間やろうと思えば何だってできる!」
すっきりした顔でセイリアは立ち上がった。
「そうよね、そのうち他に誰か好きな人ができてくれるかもしれないもの」
「自己完結は構いませんが、お嬢様、まだまだ髪を結い終わってませんよ」
メアリーに言われ、セイリアは初めて自分がしっかりドレスを身に付けていることに気付いた。うわ、どうりでさっきから息苦しかったわけだ。セイリアは急いでメアリーの手を逃れた。
「そうだ、あたし、アースに渡すものがあるのよ」
「あ、お嬢様逃げないでくださいよ!」
「いやぁ、急ぎの用なんでー。あ、そうだ、今度メアリーも公爵家に連れてってあげるね。セレスの侍女ってば、メアリーと気が合いそうなのよー」
「公爵家ですか?」
メアリーが気を削がれた隙に、セイリアは紙の束を片手に扉の隙間をすり抜けていた。メアリーが怒鳴る声だけが後に残された。
アースはセイリアが思っていた以上に興味を示した。
「公爵家のお嬢さんが? これを書いたの?」
「うん。あんたに意見が聞きたいんだって」
アースは興味津津で読んだ。
「ねぇねぇ、どんな内容?」
セイリアは好奇心を抑えられずに聞いてみた。
「詩集だよ。かなりいいと思うよ! すごいなあ、これを同い年の女の子が書けるんだなぁ」
本気で感心しているらしい。本の虫が太鼓判を押すのだから、間違いなくセレスは文が上手いのだろう。
「それにしても、恋愛詩が多いね。片思いの心中を綴る、って感じの」
セイリアはぎょっとした。片思いの心中を綴った恋愛詩!? セレスが書いたのなら、お相手は決定だ。セイリアは必死に考えないようにした。
「あのね、あたしの名前で返事を書いてあげてくれない?」
「え……姉さんの?」
アースは一瞬目をパチクリさせた。
「構わないよ。僕もこれを書いた人と話してみたいし」
「なんなら今度公爵家に連れてってあげようか?」
「だめだめ!」
アースは少しのけ反った。
「緊張で対人恐怖症の発作が起きる!」
「もう、冗談だってば」
アースはほっと息をついた。一方のセイリアの方は悲しげな溜め息をついて、自分を見下ろした。
「とりあえず、メアリーに見つからないようにこれ脱いじゃおう。動きにくいったら。ちょっと久々に城下にいってみようと思ってるのよ」
「……姉さんも苦労してるね」
全くよ、と呟きながらセイリアは部屋を出ていった。
しばらくアースはその場でセレスの詩集を読み返していた。初めは文の上手さに引き込まれて一つ一つ読んでいたのだが、しばらくして題を読んでから読み飛ばすようにした。愛を囁く、とろとろに甘いものが多く、なまじ文が上手いのでロマンチックなラブムード全開だったのだ。男のアースには少しきつかった。夢見る少女の夢の結晶と言ったところか。しかし、ところどころにセレスの教養の深いことを示すように、名文の引用がちりばめられていて、文章は見事だった。これだけリアルなのだから、きっと作者自身恋をしているのだろうなとアースは思ったが、まさかその相手が自分の姉だろうとは露ほども思っていない。 アースは少し考えてから、セレスに手紙を書き始めた。
拝啓セレスティア・オーディエン嬢。お久しぶりでございます。セイリア・ヴェルハントでございます。このたびは原稿を見せていただいてありがとうございました。
まずは差し障りのない出だしを書き、少し考えてから、感想を述べ始めた。しかし、便箋の半分もいかないうちに、メアリーが激しく動揺した様子で部屋に飛び込んできた。 「若様、若様!」 アースはその様子に仰天して、手が震えた拍子にペン先からインクを飛ばして手紙に染みを作ってしまった。
「な、何……? 姉さんだったらまた逃げ出して、城下に……」 「知ってます! この期に及んでそんなちっぽけなことに慌てはしませんよ!」 メアリーはピシャリと言った。 「それどころじゃないんですよぉ! 若様、急いでお嬢様の部屋にきてください!」 「な、何なんだよ!」 ぐいぐいと腕を引かれ、無理やりペンを放り出させられたアースは、セイリアの部屋まで連行された。 「何があったの? メアリー、答えてよ!」 アースが引きつった顔で言うと、メアリーは早口にいった。 「早い話が、ハウエル大尉がセイリアお嬢様を訪ねてきたんですよ。少しお時間がありませんか、って。ところがお嬢様は逃亡中! 屋敷の中の人や様子からして、姉弟のどちらかがまだ残っているのは明白です。そして残ってるとしたら、世間ではおとなしいと言われている姉の方に決まってるじゃないですか。だから言い訳も思い付かなくて」 「大尉が!?」 アースは叫んだ。以前、王子に会いにいった帰り、廊下で鉢合わせしたあの男か。メアリーはくるりと振り向くと、びしっとアースに対して人差し指を突き付け、決めポーズを取った。 「そういうわけで若様、何をおっしゃろうと協力していただきますよ!」 「き、き、協力って何を!?」 頭の中で警鐘が最大音量で鳴り響いているのを感じて、アースはメアリーの傍から飛び退いた。 「決まってるじゃありませんか。最終手段です!」 メアリーはアースの腕をがっしりと掴んだ。
「お嬢様に化けていただきます」
死刑宣告だとアースは思った。 「姉さんに化ける!? ぼ、僕が? ドレス着て、その大尉の前に出て女のフリするの!?」 「お嬢様はいつでも若様の代わりに男の格好をなさっています!」 「女が男の格好するのと男が女の格好するのじゃ次元が180度違うよ!!」 「問答無用!」 言葉のとおり、侍女の中でも最高格のメアリーの命で、侍女たちは素早くアースを取り囲むと、逃げられないように腕を押さえた。アースの顔から血の気が引いた。 これは拷問だ。 「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だーっ! そんなみっともない格好で誰かの前に出たら失神するーっ!!」 いつものアースに似ず、大抵抗を始めた。だが、アースも必死ならメアリーも必死だった。 「今までお嬢様に守られてきたのは若様ではありませんか! 少しはご恩をお返しください!」 「代価が高すぎ! それに、確かに恩もいっぱい受けてるけど、風邪薬無理やり飲まされたり、僕は被害者にもなってるんだーっ!」 「それ以上暴れたら、レース付のドレスにしますよ!」 これにはアースも口を噤んで青くなった。この侍女と一緒にいる姉の苦労が身に染みて分かった。メアリーが、レースの少ないドレスを腕にかけ、ためらいもなくアースの服に手を掛けたので、アースは慌てた。 「ちょ、ちょっと待って! 君が脱がすの?」 「当たり前です。若様はお着替えは手伝ってもらわないのですか?」 「だって君は女の子だろう!」 「でも、侍女ですよ」 「恥ずかしくないの!? わかった、逃げないから自分で着させて!」 メアリーはその思考回路が理解できないらしく、首を傾げていたがドレスをアースに渡した。アースは泣きそうになりながら着替えた。なんで女装なんかしなきゃいけないんだ。その時、別の侍女が切羽詰まった声で告げた。 「大尉がお見えです!」 メアリーはアースに向かって怒鳴った。 「早くしてください!」 「分かってるったら! 背中のフック、留めて!」 アースが向き直って鏡を見ると、髪が短くて青い顔のセイリアに見えた。双子ってすごい、と周りは一様に感心した。メアリーが横から茶色い塊をアースに差し出した。 「何これ?」 「かつらです」 アースは頭がくらくらした。極めつけがあったのか。しかもリボン付。今すぐ自分でいることをやめたい、とかなり本気で思った。 「さあ、かぶってください!」 メアリーに言われて、アースはもう自棄でその塊を頭に乗せた。鏡を見てみると、そこには引きつった顔の姉がいた。確かにばれないだろうが、こんな格好で人前に出るのかと思うと、今すぐ最寄の窓から飛び降りたい気分だった。 「大尉のお着きです!」 誰かが叫び、メアリーがアースを押し出した。 「若様、行ってください」
「やっぱり嫌だ……!」 「今さら何ですか!」 「今すぐ舌を噛み切って死んでやる!」 「やれるものならやってみてください! さあ、行くんです!」
開いた扉から押し出されたアースは、黒い髪の青年が窓辺に立っているのを見つけた。冷や汗がドッと吹き出した。メアリーが後から出てきてお辞儀した。 「お嬢様が参りました」 彼はアースを見ると嬉しそうに笑った。 「お久しぶりです、セイリア嬢」 かちかちに固まっていたアースをメアリーがど突いて、かろうじて礼をさせた。ハウエルは近付いてきてアースの顔を覗き込んだ。 瞬間、彼の顔から笑みが吹き飛んだ。 「セイリア嬢ではありませんね」 え、とアースの後ろでメアリーは目を見開いた。 「パーティーのおりにお会いしたセイリア嬢の目は、アースと同じ色だった。あなたの目はそれより少し薄い。誰ですか?」 身内すらやっと気付くほどの色の違いを、大尉は見事に見破ったのだ。
「あ、僕……私は……」 アースは口をパクパクさせた。
そして、アースの目が虚ろになった。メアリーが悲鳴をあげた。 「若様!?」
アースは宣言どおり、失神したのだった。
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