Coming Out
露見

 

 セイリアは久々の城下で上機嫌だった。懐かしい顔触れに挨拶して回っていた。13で正式に騎士になってから長いこと見ていなかった顔触れだった。

 まあ、アース坊や、とパン屋のおかみさんは呼んだ。アースの名前は小さい頃から借りていたのだ。
「久しぶりですねぇ、若様。聞きましたよ、シェーン王太子の護衛騎士になられたとか」
「うん、そうなの」
 セイリアは笑った。セイリアがちょくちょく城下に降りて地元の人達と交流していたおかげで、珍しいことにヴェルハントの町は領主に対して友好的で、次期領主(実際はその姉だが)が次期国王の信頼を勝ち取ったことが誇らしいのだ。
 パン屋のおかみさんの他にもいろんな人に会った。幼馴染みの男の子たち―― 驚いたことに、みんな背が伸びて面長になり、声がぐっと低くなっていた。面長にもなっていなければ声も高いままのセイリアは、成長が遅いだのお子ちゃまだのとからかわれたので、「だったら私に一度でいいから剣で勝ってごらん」と笑ってやった。
 すると彼が乗ってきたので驚いた。
「いいですよ、手合わせしましょう。次期領主様とやり合えるなんて、一生の誇りだ」
 その頃にはすっかり、セイリアが久々に城下に来たという噂が広まっていて、手合わせの見物人がわんさか集まってしまっていた。何やら賭をしている者までいる。相手の少年に100ギト、と言う声を聞いた瞬間にセイリアの中で何かのスイッチが入って、セイリアは受けて立とう、と胸を張った。

 かくして、広場が祭りでもないのに人でごった返すことになった。簡単な手合わせなので、ルールは相手を傷つけないこと。剣ではなく、子供たちが遊びで使う木刀を使うことになった。
 相手の少年は、セイリアが小さい頃、一緒に餓鬼大将の座を争った少年で、セイリアより頭一つも背が高くなっていた。思春期の男の子の成長はすごいものだった。力ではどうあっても勝てるものではなかった。レナードに「みかけより力が強い」と言われたセイリアだったが、それでも少年の力に換算すれば平均的だ。
 カチンと噛み合った棒からの圧力にセイリアは歯を食いしばった。力で来るなら、とわざと引く。少年はバランスを崩しかけたが、セイリアの一撃を受け止める余裕はあった。見物人の中にパン屋のおかみさんの姿が混じっていた。
「相変わらずの元気さだねぇ。久しぶりに来たと思ったら、早速手合わせなんかおっ始めて」
 と呆れたように呟いてるのが聞こえた。
 セイリアは相手の突きを躱して、その次の払いも避け、少し後ろに下がる。相手はセイリアを追って前に出、セイリアはその間に横に動いた。棒きれがその間も剣の代わりに鈍い音を立てて打ち合う。
 セイリアは素早さを活かして、ちょこまか予測のつかない動きをしていた。セイリアには力が強さの欠陥を補うに有り余るほどの技術力があった。前に出たり後ろに下がったり、左右に動き、隙を見せてわざと突かせたかと思うと、うまく避けてバランスを崩したところを叩く。相手の少年は思った以上に苦戦して、焦り始めたようだ。それに、観衆の輪にちらちらと目を走らせている。セイリアがその視線を追うと、可愛らしい村娘らしき少女がいた。どちらに向かってか、頑張ってと叫んでいる。
 ははーん、と最近そういう事情が分かり始めていたセイリアは、気付いて思わずにやりと笑った。悪いわねと思いながら絶妙なタイミングで棒を払った。相手の少年の棒が弾かれて飛んでいった。すぐさまセイリアはそれを追い、少年が追いつく前に足で踏み折った。観衆から歓声とブーイングが同時に起こった。
「これでも一応王太子の護衛騎士を拝命してるから」
 悔しそうな少年に、セイリアはにっこり笑いかけた。
「それに、私は訓練を受けているしね」
 少年は食い下がった。
「次は勝ちますよ、アース……次期領主殿」
「さてね。一つアドバイスをするなら」
 セイリアはにんまり笑った。
「試合中は女の子にうつつを抜かさないこと。勝たなきゃ面目がつぶれる、って自分にプレッシャーをかけるのはいいことだけど、敵から目を逸らしたら元も子もないよ?」
 少年は真っ赤になった。意外と純情だ。

 その時、後ろからヴェルハント殿、と声がかけられた。セイリアが振り向くと、レナードが馬を二頭連れて立っていた。
「騒ぎの中心はあなただったのですか」
 セイリアは驚いた。
「どうしたの、レン。こんなところで」
「大尉です」
「え?」
「あなたに……正確には子爵家のご令嬢のところに行く、と」
 ハッとセイリアは口許を押さえた。
「今、城にはあの子一人だわ!」
「急ぎましょう」
「分かった!」
 セイリアは大急ぎで馬に飛び乗った。手合わせなんてしてる場合ではなかったのだ。ちらっと後ろを見ると、少年はさっきの少女と何やら話し込んでいて、どうやら恥をかいたことを言い繕っているらしい。賭の結果の勝ち金を支払っている人達があちこちに見えた。
 しかしその余韻に浸る間もなく、セイリアはレナードの貸してくれた馬に乗って城に駆け戻った。

 メアリーが飛び出してきてセイリアに抱き付いた。
「お、お嬢様! やっとお帰りに!」
 セイリアはメアリーを引きはがした。
「大尉は? アースは?」
「若様は人事不省です」
「何で!?」
「お嬢様がいらっしゃらないから若様で代用しようと思ったんです! そしたら大尉が、これはお嬢様ではないと見抜かれて」
 セイリアは目まいがした。恐れていた通りだ。後ろでレナードが、やってしまったかと言いたげな溜め息をついた。
 セイリアはアースの部屋へ急いだ。控えの間に大尉がいたが、怖くて目が合わせられず、それに弟の容体のほうが先決だったので、構わずに通り過ぎた。
 アースは普段から白い顔をさらに蒼白にして気を失っていた。カツラはもうとっていたが、ドレスは着たままだ。しかし、今は弟の女装姿に呆気にとられている場合ではない。
「アース? アース」
 揺さぶっても反応はなかった。よほど女装姿を見られ、しかも見破られたショックが大きかったと見える。セイリアは溜め息をついてベッドから離れた。
「ほっとくしかなさそうね」
 メアリーはこの薄情な発言に怒ったような表情をしたが、実際問題それしか方法がないので言い返せなかった。それより、大尉だ。
「メアリー……やっぱりあたしから説明した方がいいのかな」
 メアリーは怒ったような表情をやめ、溜め息をついた。
「そうですね、その方が良いでしょう」
 しかたなしに、セイリアは貴族なら絶対着ないような粗末な格好のままで、控えの間に戻った。

 戻ってきたセイリアを見た途端、大尉はにこりともせずに言った。
「あなたが女だったとはね」
「……う」
 ぐうの音も出ない。
「シェーン王子はこのことを?」
「……知ってるわ、始めから」
「陛下は?」
「……陛下も」
「…………」
「…………」
沈黙。
 気まずい空気に、控えているメアリーは柄にもなくおろおろしていた。
「収穫祭の宮廷夜会に出ていたのは?」
「あたしよ」
「では、本当に女なんだね」
 そんなに信じられないか?ちょっぴり傷心していると、ハウエル大尉が歩いてきた。セイリアの前で立ち止まって、その黒い瞳で少年の格好をした少女を見下ろす。
「私は君に騙されたということになるのだけれど」
「……はい?」
 声色が責める調子ではなかったので、セイリアは首を傾げて大尉を見上げた。
「どう償ってくれるんだい?」
「……は」
 償い?セイリアはむっとして勢いよく顔を上げると正面からハウエルを睨んだ。
「別にあなただけを騙してたわけじゃないわ。それに、他にどうしろって言うのよ! 女でも構わないっていうご時世だったらこんな事にはならなかったわ!」
 ハウエルはセイリアの強い口調に少し驚いたようだったが、さらりと言い返してきた。
「そのご時世を分かっていながら飛び込んでいったのは君だ。それに、他の人はどうかは知らないが、私は君を信頼していたんだよ」
 言い返そうとしたが、信頼していたと言われて、セイリアは何と言ったら良いのか分からなくなって口をもごもごさせた。結局言葉が見つからなかったので、唸るように言った。
「……どう償って欲しいの? 一週間パシリをするの?それとも馬の世話?仕事を肩代わり?」
 ハウエルはくすくすと笑った。
「女性にそんなことはさせられないよ」
「そりゃ紳士だこと」
 ふん、とセイリアは鼻を鳴らした。ハウエルは困ったように笑う。
「そんなつんけんしないでくれないか。御前大会で討ち合って、一緒に賊まで退治した仲だろう」
「じゃ、どうして欲しいのよ」
 ハウエルはにっこり笑って、セイリアが思ってもみなかったことを言った。

「シェーン王子の護衛騎士を辞めていただきたい」

 セイリアは愕然とした。護衛騎士を辞める?
「絶対嫌よ!」
「なぜ?」
「だって、だって……」
 シェーンの傍にいられなくなるから、とは言えない。セイリアは混乱した。
「なんで辞めて欲しいの!?」
「君のためだよ。そして私自身がそうして欲しいから」
「だから、どうしてよ」
「いくら相手がシェーン王子でも、嫌なことは嫌なんだよ。それに、これができなくなる」
 言って、ハウエルは真っ赤な薔薇の蕾を取り出して、その花びらを一ひら口に含んだ。驚くセイリアの前で、ごくんと喉が動いて花びらは消えた。そしてハウエルはその薔薇に口付けをし、セイリアに差し出した。
 セイリアは逆に後退さりをした。
「た、大尉……」
「私の真意です、セイリア・ヴェルハント嬢」
 セイリアの頭は真っ白になった。いくらセイリアでもこの行為の意味は知っている。

 薔薇の蕾を一枚飲み込み、口付けをして渡す。
 これはオーカストにおける、伝統的で正式な求婚だった。



最終改訂日 2005.12.18