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何も考えないまま反射的にノーといいそうになって、セイリアはハッとそれが失礼だと気付き、しきたり通り、もらった薔薇の蕾が咲くまで、と返事を延ばした。
それからメアリーと二人、主従揃ってパニックに陥った。
「なんで求婚!? あたし何かした? 前から女だと気付かれてたわけじゃないんでしょ?」
「お嬢様の化けてた若様を気に入ってて、それで夜会で出会った姉にも興味を持ったとか、そんな所でしょう!」
「返事はどうしよう? お父様なら、あたしが身を固めるチャンス、って喜んでOKしそうで嫌だわ!」
メアリーはこれを聞いて、本人の口から言わせる絶好の機会だ、とすかさず言った。
「他に想う方がいるのですか?」
セイリアは物凄い勢いで部屋を行き来していたのをやめ、ぱっと頬を染めた。
「妙な所で勘がいいわよね、メアリーって」
「若様の方がもっと早くから気付いていましたよ」
「……じゃあ、相手まで知ってるわけ!?」
セイリアが愕然とした表情で聞く。あ、しまったとメアリーは今更ながら口を滑らせたことに気付いた。セイリアは天を仰いだ。
「あーあ、どうか神の御加護を。何で今年はこんなに事件が多いのよ」
「今までも少ないとは言い難かったですけど?」
「あたしの身の振り方に関する事件が多いの!」
護衛騎士への抜擢、そして今回のこと。平穏に訓練を積んでいた見習い時代が懐かしい。訓練は厳しかったが、全部上手くこなして褒めてもらうのは気持ち良かった。時間よ戻れーなんて無駄に叫んでみたくなる。
「そんなに悩むなら断ればいいじゃないですか」
「……仮にも伯爵家のご子息の大尉を? 将来有望な若手No.1の大尉を?
どういう理由で?」
「真っ正直にいったらどうです? 『実はあたし、王子が好きなの〜キラキラ〜』とか」
「効果音が嫌」
「効果音ですかぁ……」
やはりこの主従は二人だけで話すとずれていく。
「断るって言ってもね……」
セイリアは深く溜め息をついた。一番気になるのは、断った場合これからどうやって自分に求婚した男と付き合っていけばいいのか。そして何より――
シェーンはどういう顔をするだろう。いつもの調子でいくと、シェーンはきっと、物好きがいて良かったねとからかってくる。そしてセイリアはそうよ、見直したでしょと返すだろう。それはちょっと辛いやり取りだった。
「……どうしよう」
出るのは、嘆きと溜息ばかり。
「大尉が姉さんに求婚した!?」
ようやく人事不省から復活したアースは、そう叫んで真っ青になった。
「何でそういう展開になるの? 姉さんは今どうしてるの?」
「何やら物思いに耽っていらっしゃいます。あのお嬢様がああだと、気味悪くてかないませんよ」
「…………」
あのセイリアが物思いに耽る。これは大事だ。
「姉さんはまだ返事を決めてないの?」
「お受けするつもりはないようですが、困ってらっしゃるようです。求婚されたことは既成事実として残りますからね、今後王宮でどう身を置くか、不安なのでしょう。 どうしても大尉とは顔を合わせなくてはならないですから」
「そっか……」
アースはうーんと考え込んだ。当然だ。それに、大尉がよほど本気だとしたら、女の身で護衛騎士をしているという秘密の弱みを盾に、脅される可能性も皆無ではない。
アースはすっと立上がった。
「馬に乗れる誰かを知らない?」
は、とメアリーは目を点にした。
「そりゃ、城で働く者の中にはごまんといますが」
「王宮に行く」
アースはベッドを降りると、着替えを探し始めた。
「シェーン王子に会いに行く」
「若様!?」
メアリーは驚いたように叫んだ。
「王子様に会っていかがなさるんです? お怒りの末になにをなさるか!」
「貴族間の求婚なんだ、どうせいずれは王子様の耳に入るよ。今教えに行ったって変わりない。それに、協力してもらえるかもしれない」
「協力、ですか……?」
ズボンに足を通して、アースは言った。
「求婚に応えられない状況にしてもらうんだ」
「では、王子様からも求婚していただくのですか?」
「王子様はまだ18になってないから、それは無理だよ。それに、王太子は即位と同時に后を選ぶのがしきたりじゃないか」
メアリーは眉をひそめて首を傾げた。
「では、他にどういう方法があるのですか?」
「僕に考えがあるんだ。王子様に頼んで、陛下に動いていただく」
「陛下に!?」
まさか国王が出てくるとは思っていなかったメアリーは仰天した。
「い、一体何をなさるんです?」
アースは前のボタンを自分で留めて、にっこり笑った。
「それは秘密。大した事じゃないよ。あ、でも姉さんにも内緒だからね?」
「ですが、お一人で王宮にいらっしゃるなんて、対人恐怖症はどこいったんですか……」
アースは溜め息をついた。
「女装姿すら見られたんだよ、僕は。それ以上悪いことなんて起こりっこない。
それに今は非常時なんだ、腹は括ったよ」
そして彼は、いつもシェーンに会いに行く時には被っているマントを羽織った。
「今度は僕が、姉さんのために動かなきゃ」
セイリアは鬱々としながら仕事に行っていた。シェーンの顔を見ると幾分元気が出たのだが、やっぱりいつ大尉に出くわすかと戦々恐々としていた。
「最近元気ないね」
ついにシェーンに言われて、セイリアは用意していた言い訳を言った。
「あたしにだっていろいろ悩みはあるのよ」
「君にも、ねぇ……」
「何よその疑わしそうな言い方」
「そりゃ、疑わしいもん」
ああ、いつもの会話だ。セイリアは少し安心した。
「ああそうだ、あのね、また一人あたしの秘密がばれちゃった」
「え?」
「話すと長くなるんだけど。あたしが留守にしてる時に大尉が『子爵家の令嬢』に会いに来ちゃって。アースがあたしの代わりに出たの」
セイリアはばれた所までしか話さなかった。求婚を受けたことは絶対自分から話したくなかった。シェーンは比較的落ち着いて聞いていたが、アースが女装していたと知って笑い出した。
「アースが女装? それは見てみたかったな!」
「笑わないでよ、あの子は失神するくらいショックだったんだから。それにどっからどうみたってきっとあたしにしか見えないと思う」
「僕は見分けられるよ。僕も君達の目の色の違いには気付いてたから」
それは、ずっとセイリアを見ていたゆえ。――
つまり、同じく目の色の違いを見破った大尉も、ずっとセイリアを見ていたという事で、彼はそれだけ真剣だという事にもなる。当のセイリアはそんな理由を知る由もなくて、的はずれな反応をした。
「そうなの? 結構違うのかな、あたしたちの目の色って」
「いや、かなり分かりにくいと思うけど」
「だって、シェーンが分かったくらいだし」
シェーンはむっとした。
「なんだよ、それ。僕が鈍いとでも?」
「さーねー。ま、あんたの運動神経よりは鈍くないかもしれないけど」
「運動神経って鈍いとか鋭いとかで形容できるの?」
「うっ……。いーのっ! セイリア語よ」
「一個体にしか通じない言語は言語として成立しないんだよ」
「そういう理屈っぽい人間は敬遠されるのよー」
「別に構わないよ。国王は敬遠されてしかるべきだ」
「おカタい意見だこと」
「保守的っていうんだよ」
セイリアがさらに言い返そうとした時、時の人が現れた。
「アース!」
セイリアは思い切りぎょっとした表情を見せた。大尉は全くいつもの朗らかさで歩いてきた。
「こんにちは、シェーン王子」
シェーンに対する挨拶もいつも通りだ。セイリアは無意識にシェーンの背後に隠れようとしていたが、大尉の視線が自分に向いたのでやめた。
「アース……花はもう咲きましたか?」
遠回しに返事を促している。セイリアの額に冷や汗が浮かんだ。
「セイリア」
シェーンが呼んだ。
「言い忘れてたけど、騎士隊の隊長が呼んでたよ」
「隊長が、私を?」
うん、とシェーンは頷く。
「じゃ、今行った方がいい?」
「そうだね、今日中に来いって行ってたから」
早く言ってよ、と呟きながら、セイリアはその場を離れられることにほっとしたように、早足に去った。その背中を見送るシェーンの後ろ姿に、大尉の声がかかる。
「……今、私の前であの子をセイリア、と呼びましたね」
王子は振り向き、海の青の瞳でキッと相手を見上げた。
「失礼します」
セイリアは隊長の待つ部屋に入っていった。
「隊長、ご用だとか」
「ああ、アース、来たね」
隊長はにっと笑って、側に控えていた助手に「呼んでこい」と命じ、セイリアに手招きした。
「今日から見習い騎士を一人、従者につけてもらおうと思ってね」
「従者ぁ!?」
セイリアはすっ頓狂な声を上げた。いや、見習いを従者に持つことは名誉なことだ。それだけの実力を持っていると認められている証拠だ。だけど。
「そんな急な!」
「陛下から直々のお達しだ。お前の護衛騎士としての仕事に大変ご満足で、その実力をかって、有望な見習いを教育してほしい、と」
「陛下から!?」
なんだかやけに大事だ。これ以上厄介ごとが増えるのか。
「カイゼル卿のご子息だ」
カイゼル地方の領主のことだろう。扉を叩くこんこんという音がして、高い声がした。
「失礼します!」
きびきびと元気一杯といった感じで入ってきた少年は、くるくるとした栗色の巻き毛で、12歳くらいだった。
「ああ、ルウェリン、こちらが君の主人になるアース・ヴェルハントだよ」
少年は頬をバラ色に染め、嬉しくてたまらない様子で勢い良く頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「は、はあ……」
陛下、なにゆえこんな事を。シェーンの差し金とも知らないセイリアは、罪無き国王を恨んだ。
「では、私のした事を知ってらっしゃるのですね」
「ああ、本物の方のアースから聞いた」
ハウエル大尉は息を吐いた。
「……今の隊長からの呼び出しというのは?」
「父上に頼んでセイリアに従者をつけてもらったんだ」
シェーンの言葉にハウエルが驚いた顔をした。
「……従者?」
「ああ。カイゼル卿のご子息を、見習いとして」
ハウエルは苦笑した。
「……考えましたね」
「アースが選択肢を幾つか持ってきたから、僕がその中から良さそうなのを選んだ」
「アース君がですか……なるほど、陛下直々のお達しとあらば、彼女の任が終わるまで私には手出しできない。彼女の事を公にするのもまずくなる、と?」
シェーンは答えずに相手を見上げた。
「セイリアは困っていたそうだよ」
ハウエルは黙った。
「だから、手助けした」
「……王子様の私情からではなく?」
2対の目がカチリと合う。深い沈黙が降りた。
先にハウエルが口火を切った。
「あなたを敵に回すことになるとは思いませんでした」
「同感だな」
ハウエルは人のいい笑みを浮かべる。しかし、鋭い光が瞳の中に灯っていた。
「私は本気ですよ」
「ああ」
「……彼女を王妃になどして、王家の闇の中に引きずり込ませはしません」
「彼女は王家の闇で汚れたりはしない人だ。だから好きだ」
「彼女とて人です。人の心変わりは常と申しますよ。汚れない保証などどこにあります?」
「ではお前の心変わりを祈っていようか」
ハウエルは目を細めた。
「その祈りを聞き届ける神を、あなたは誰よりも信じていないくせに」
シェーンはふ、と笑った。
それは凄まじいまでの、王者の覇気を迸らせていて。
「ああ、そうさ。ならば僕自身が、その神になるまでだ」
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