A match
勝負

 

「おはようございます、アース殿!」
 地につかんばかりに頭を下げられ、さすがのセイリアもびっくりして体をのけ反らせた。
「……お、おはよ、ルー」
 振り返ると、見送りのメアリーがぽかんとしている。内心苦笑しつつも愛馬に跨がり、主人にふさわしく先に駆け出した。

 王宮までの道を駆けながら、セイリアは後ろのルウェリンをちらりと見た。興奮のあまりどこかで落馬するのではないかと冷や冷やしていたのだが、セイリアの目から見てもなかなかの手綱捌きでちゃんとついてきていた。ちょっと見直した。


 シェーンの部屋の前で待っていると、十分ほどしてシェーンが出てきた。こうしていつもの朝が、セイリアのお勤めが始まるのである。
「おはようございます、シェーン王子!」
 ルウェリンがまた勢い良く頭を下げた。緊張と興奮で顔は真っ赤。
「こたびよりアース殿の従者となりました、ルウェリン・カイゼルです」
 シェーンもセイリア同様、びっくりして体をのけ反らせた。
「あ、ああ……よろしく」
 ルウェリンは王子に声を掛けてもらえて恍惚とした表情を浮かべた。セイリアは目を白黒させているシェーンに声をかけた。
「おはよ、シェーン」
 するとシェーンは渋い顔をしてみせた。
「……口調は直らないみたいだね」
「私に敬語使ってほしい?」
「遠慮する」
 とはいえ、二人ともこれでいいのか判断がつかなかった。おずおずとルウェリンを見てみると、案の定王子と親しげに気軽に会話しているセイリアをみて、尊敬溢れる眼差しを注いでいる。別にセイリアの器量の問題ではなく、敬語の苦手な性格なだけだと説明する気にもなれず、放っておいた。

 会議があるのは大抵午後で、午前中は各部署から届く書状に目を通したり、あちこちの官僚に挨拶して回ったりするのがシェーンの仕事で、セイリアはというと影みたいにくっついていれば良かった。実を言うとかなり楽な仕事である。
 ルウェリンは物珍しそうにあたりをキョロキョロ見回していて、見るのに夢中になっていつはぐれるか分かったものではないので、ついにセイリアが叱った。
「そんなに注意力散漫だと、いざ賊が出てきた時に反応できないよ。前方は視界の中にあるんだから、気を配るなら背後にしなさい」
 ルウェリンは大いに恐縮し、ちゃんと観光気分をやめて従者らしくついてくるようになった。

 護衛は昼食はシェーンとは一緒に取れない。身分の差異も理由だが、一番の理由は、食事中が一番注意力が途切れるからである。シェーンが食べている間、セイリアとルウェリンは部屋の隅で棒のように立っていた。見張られながら食べるのは良い気がしないのではないかと思ったがシェーンは慣れているみたいだ。
 午後は護衛には一番退屈な会議の時間だ。カーティス王子がシェーンに襲いかかってからというものの、部屋の外で待たされ坊主ということは無くなり、安全のためいつでもシェーンが目に入る所にいるようになったのだが、今日は親子会議――シェーンと国王の相談があるらしいので、セイリアも久々に締め出しを食らった。まさか太子を据えた本人が太子に手はかけまい。もともと陛下はあの楽天的性格だし。
 オーカストの王宮、アウステル宮殿は、回廊に壁がないのが特徴で、もう冬が来ようというこの時期、寒風吹き抜ける半野外にいるのはキツいものがあった。
「……さぶ」
 ルウェリンと身を寄せ合うようにして暖をとっていると、気まずさがまだ解決していない相手が嬉しそうに手を上げてやってきた。後ろにレナードの姿があることからも明らか。隣でルウェリンが黄色い声で小さく悲鳴を上げた。
「オストール大尉だ!」
 一瞬ハウエル大尉の姓だということを失念していたが、ハウエル大尉だと気付いてもなんとか「げっ」という声は漏らさずにすんだ。大尉は無愛想に黙々とついてきていたレナードを振り返り、何か言った。レナードは礼をするとそそくさと脇へ歩いていった。セイリアもなるべく平静な声でルウェリンにいう。
「ちょっとはずしてくれる?」
 ルウェリンは大尉に話しかけたい気持ちと忠誠心との間で葛藤しているようだったが、すぐにはいっと歯切れ良く返事をして下がった。

 そのルウェリンを見送り、大尉が口を開いた。
「いい子のようだね」
「ええ、まあ」
 セイリアの口調に大尉は苦笑した。
「人前ではちゃんとアース護衛騎士として接するさ。そのしかめ面をやめてくれ、君には豪快な笑顔のほうが似合う」
「だったら薔薇なんか渡さないでよ」
 セイリアは膨れた。大尉は少し悲しそうな顔をする。
「早く予約しないと先を越されそうだったんだよ」
「は?」
 セイリアはきょとんとして大尉を見つめた。大尉は首を傾げた。
「……もしかして君、あの収穫祭の夜会で自分がどれ程噂になったか知らないのか?」
「う、噂に? あたしが?」
 決定的な反応に大尉は溜め息をついた。
「妹が嫉妬したくらいだよ。王子と何回か言葉を交わしてたし、君は自覚がないみたいだけど、結構美人ということで噂になったんだよ」
 ぽかんと立っているセイリアはを見て、大尉はますます首を傾げた。
「本当に知らなかったのかい?」
「だって……誰がこんなじゃじゃ馬、ってお父様も言ってるし、言っちゃなんだけどあたし自身もそう思うし」
「そこが好きなんだよ、飾り気がなくて」
 面と向かって殿方に好きと言われたことがないので、セイリアはおろおろどぎまぎして困ってしまった。大尉は苦笑した。
「何度もそれらしいことを言ったのに。収穫祭の夜会で君につきっきりで、自己アピールしたのに気付きもしなかったのかい?」
 全然。
「そういえば、クロイツェルでセレスと一緒に外に出かけた時、大尉は確か想う人がいるとか何とか言って……」
「それだよ」
「……すみません、全然分かりませんでした」
 我ながら自分の鈍さに泣けてくる。はあ、と大尉は溜め息をついた。
「……君を落とすのは至難の技のようだね」
「落とす、って大尉……」
 迷ったあげく、セイリアははっきり言っておこうと心に決めた。
「あたし、少なくともあと二年は絶対結婚しませんから」
「二年?」
 大尉が面食らった顔をする。
「シェーンが戴冠するまでよ。お勤めはちゃんと果たさないと。それまでは誰からの求婚だろうが受け付けません。今回の求婚の件は、あたしからはっきりお断りするわ」
「王子のため、ってわけか……」
 大尉が溜め息をつく。セイリアはきっぱり言った。
「そう受け取ってもかまわないわ。あたしは今のあの子じゃ心配なの。いまだに階段からうっかり落ちそうになるし」
 言いながらセイリアは苦い表情になる。
「戴冠して、シェーンが誰からも簡単に手出しできない存在になるまで、守りたいのよ。大切な友達だから」
 大尉は思案するようにセイリアを見つめた。セイリアは続ける。
「それからなら、いくらでも求婚して下さって構わないわよ」
「本当だね?」
「騎士は二言しません」
 セイリアが宣言すると、大尉はだいぶ安心したようだった。
「じゃあ、その時まで待つよ」
 決着がついた。セイリアはほっとした。
「じゃあ、よかったらうちの従者に会ってくれます? ハウエル大尉のファンみたいなのよ」
 ハウエルが承知したのでセイリアがルーを呼ぶと、ルーは転がるようにして駆け寄ってきた。
「ルウェリン・カイゼルです!」
 例の勢いの良い礼に大尉もいささか身を引いて目を白黒させた。
「これはまた……面白そうな子だね」
 セイリアは苦笑した。ルウェリンは感激のあまりすっかり締まりのない顔になっていたが、はっとした顔になるともじもじし始めた。
「あのう、その……お願いしたいことがあるのですが」
「なんだい?」
 大尉に聞かれ、ルウェリンは意を決したように叫んだ。
「是非お二人の手合わせを見せてください!」
「いいよ」
「えぇっ!」
 大尉があっさり頷いたのでセイリアは顎を落とした。
「私は何も言ってないのに! しかも王宮の中で?」
「少しだけなら見つからないさ。それに、君とはしばらく剣を交えてないしね。私もやってみたい」
 悪戯っぽく目を瞑られては拒めなかった。それに、一度負けた相手だと思うと闘争心に火がついた。


 これ以上の幸せはないという顔をしたルウェリンの前で、二人は抜剣した。
 少しの間双方を睨み、どちらからともなく踏み込む。セイリアは自分の五感を総動員した。やはり大尉の動きは読みづらい。動きにもキレがあり、伊達に軍一と言われている訳ではなかった。
 セイリアは集中した。相手が次の動きに移るまでの僅かな間が大切なのだ。
かと言って間を取らないとすぐバテる。大尉は的確にセイリアの反撃しにくい場所を選んで突いてきていた。剣を受ける時も、力では勝負にならないのでやんわり受け止めて脇に流す。キン、キンと金属同士がぶつかりあう音が響く。かなり互角の戦いだった。
 空を切るきらめきを躱す。大尉が徐々に真剣になるのが分かった。剣の握り方を僅かに変えたのが見えた。鋭い一突きがきた。セイリアはひやりとした。立て直す隙もないまま払いが来る。体勢を整える間を作らせないつもりなのだ。セイリアは歯を食いしばり、剣を受け止めて脇に流し、無理にでも間を作らせた。そして、自分も大尉と同じように剣の握り方を変える。繰り出したが、大尉は躱した。だがそれは読めていたので、セイリアは繰り出した勢いのままで、大尉の剣を跳ね上げる。
 大尉が焦ったのを感じた。動きの素早さには限界がある。体制を低くとっていたセイリアの方が断然有利だった。これが突き所だとセイリアは良く心得ていた。そして大尉の目の前に切っ先を突き出した。勝った。
 大尉は肩で息をしながら唖然とした。
「腕を上げたね」
「どうも」
 セイリアはにっこり笑った。うわあ、とルウェリンがこの上なく幸せそうな溜め息を漏らした。大尉が剣をしまいながら、まだ驚いた目でセイリアを見つめる。
「今の、どうやったんだい?」
「秘密です。秘技だもの」
「ハウエル殿」
 レナードが声を上げた。レナードの視線を追うと、王とシェーンが立っていた。

 シェーンは不機嫌な顔、王は明らかに興味津々。慌てた四人が一斉に頭を下げる。
「失礼致しました、陛下、王太子殿下」
 シェーンはつかつかとセイリアの傍まで歩いてくると、ぐいと腕を取った。
「行くよ」
「え? うわっ」
 今までにない程強い力で引っ張られ、珍しくシェーンではなくセイリアの方が転びそうになった。ルウェリンが大慌てで大尉に「失礼しますっ!」と挨拶して追いかけてくる。シェーンがセイリアに耳打ちした。
「なんでハウエル大尉と手合わせなんかしてたんだよ。……ここは王宮だぞ」
「せっかくの勝利の感慨を台無しにしないでくれる?」
 セイリアがむくれて言うと、シェーンはぴたりと足を止めてセイリアを振り返った。
「鈍い!」
 怒ったように怒鳴られ、セイリアは大いに当惑した。
 自分の気持ちに気付けても、相手の嫉妬にはとことん鈍かった。



発表日 2006.01.20
添削日 2006.04.03
ルウェリンの短縮形がルーだと発覚したので、(「怪しい人名辞典」さまより)愛称をルーンからルーに変更。