The Country which is Famous for its Spies
スパイの国

 

「手はこう。違う違う、もっと長く持って」
 ルウェリンは困った顔でセイリアを見上げる。
「これ以上長く持ったら、重くて振りにくくなります」
「そりゃあ、振り回したら重くもなるでしょう。ルウェリンはね、あんまり力任せにしすぎなの。もっと力を抜いて、こう」
 言いながらセイリアは実演してみせた。得物を自在に操って軽やかな動きを見せるセイリアに、ルウェリンは目を見張った。
「すごい……」
「すごいじゃなくて、あんたもやるの」
 ルウェリンは期待に満ちた顔でセイリアから渡された剣を握ったが、重さのあまりストンと剣の先を地面に落とした。すぐに持ち上げて振ってみたものの、重さに振り回されてよれよれ。セイリアは溜め息をついた。
「……ごめん、ルー。やっぱ基礎から入ることにする」
「すみません、ヴェルハント殿……」
 ルウェリンは気落ちした様子で剣を返した。
「じゃ、まず一回手合わせしよう。ルーがどういう戦い方をするのか、私、全然知らないから」
 憧れの騎士と手合わせと聞いて、ルウェリンはすぐにぱっと顔を輝かせた。喜色満面、これ以上の幸せはないとでも言うような恍惚とした顔。そのまま嬉しくて溶けてしまいそうな顔をして、ルウェリンは勢い良く頭を下げた。
「はい、よろしくお願いします!!」
「あ……」
 あまりの勢いで、ルウェリンの帽子が吹き飛んだ。



「誰とでもすぐに打ち解けるね、セイリアは」
 窓の下を眺めて、シェーンが呟いた。
「堅苦しい方は例外ですけれどね」
 アースが相づちを打つ。とはいえ、ルウェリンに姿を見せてはまずいので、彼は窓に近付こうとはしなかった。
 メアリーはもう王子の来訪に慣れたようで、きびきびとした動作でお茶を運んできた。
「はいはい、お茶が冷めますよ。お嬢様に見とれるなら後になさってくださいな」
 遠慮も徐々に無くなってきているようだ。シェーンは溜め息をついた。主従揃って似ている。ルウェリンを従えているため、この姉弟の秘密が露見してしまわないだろうか、と本当は少々ためらったのだが、やっぱり子爵城に訪ねてきて良かった、とシェーンはお茶をすすり、窓の下を眺めながら思った。
 アースがシェーンの持ってきた書類に目を通しながら言う。
「ではやはり、クロイツェルは苦戦しているのですね」
 ぱら、と紙をめくる音がした。
「まだ大きな戦いは起きていないようですけれど。それにしても、面白いですね」
 シェーンが窓の外から視線をアースに戻すと、姉と同じ顔をした若君は眉をひそめて書面を見つめていた。
「ヌーヴェルバーグには不利な地上戦ではヌーヴェルバーグが勝っているのに、得意の海上戦では芳しくない」
「ああ、そこはあまり深読みしなくていい」
 シェーンは飲み干したカップをメアリーに渡し、アースの所へ歩いて行った。書類の中から軍備に関するものを引っ張り出す。
「近頃、ヌーヴェルバーグは陸軍強化に力を入れていたんだ。その分海軍には昔ほど力が回せなくなったとしても不思議じゃない。ほら」
 アースは書面に目を通し、半ば感嘆し半ば呆れたような顔になった。
「……これ、結構な国家機密では?」
「オーカストのスパイをなめてもらっては困るよ」
 シェーンは言ってわずかに笑みを見せた。
「この国が今まで、大きな争い無く続いてきたのは、間諜の優秀さゆえなんだから」
「……よくわかりました」
 相手国にこんな情報が流出していると知れたらどうなるだろうとアースは考えた。たぶん実際にヌーヴェルバーグ軍に在籍しているものですら知らないと思われる、どう見ても盗み聞きしたような内容まである。
(オーカストって……)
 アースは閉口した。本でさんざん読んでいたが、百聞は一見に如かず、だ。他国の一挙一動を常に把握している―― これは、他国を内側から破壊し得る大きな力だ。だからこそ、今回のヌーヴェルバーグは怖いのだということも飲み込めてきた。スパイにすら感付かれない何かを、かの国は持っている。まあ、もともとヌーヴェルバーグは他国にへこへこしている割に猜疑心が強く、スパイに対する警戒も強い国ではあるのだが。
 アースはパラパラと書類をめくり、斜め読みした。何とかという大臣の思わせぶりな発言、王の側近は女に弱いこと、将軍と宰相は仲が悪い、云々。
「………」
 我が祖国って怖い。そして目の前にいるこの王子は、父の補佐を務めてこの全てを把握しているのだ。
「……王子業って大変だ……」
「え?」
「いえ、何も」
 気を取り直し、アースは素早く書類を読んだ。膨大な読書で身に付けた速読術は、こういう時役に立つ。読み終えて意見を言おうとすると、シェーンはまだお茶を飲んでいて、アースの速さに驚いて慌ててカップを置いたので、アースは少し得意な気分になった。
「な、何?」
「すみません、気付いたのですが。国を出た兵の数と、戦場に到着している兵の数にズレがあるようです。……増えています。でも市民兵は見当たらないようですから、非公式にどこかが援軍を出していると考えるべきではないでしょうか」
 シェーンは眉をひそめて書類を覗き込んだ。
「……本当だ。気付かなかった。よくやってくれた、アース。見落とすところだった」
 やけに険しい顔をする王子を見て、アースは突然不安になった。シェーンは他の情報も確認する。
「……他の戦地でも何ヵ所か、兵の数にズレがあるな。どういう共通点があるのか調べたほうが良さそうだ」
「えっと……もしかして大事を発見してしまいました?」
 不安そうに見上げるアースに、シェーンは苦笑した。
「いや、少し目算が狂っただけ」
「目算、ですか」
「的はずれな指示を出してしまったようだ。すぐに、調査対象を切り換えてみる」
「………」
 王子の表情を見て、アースは今になって自覚が追いついた。アースはただ、自分の力で何かをしたかった。姉が自分のふりを続けなければならない負担を軽減したかっただけなのだ。しかし、これはそんな単純なことではなくて―― 。
 国を動かす、ことなのだと。



 シェーンとアースの相談が終わる頃には、勤務時間は過ぎていた。なのでルウェリンはそのまま家に帰すことになった。ルーときたら、もう今にも鼻歌を歌い出しそうだった。負けっ放しでこれほど上機嫌になれるなんて、セイリアには信じられなかった。負けず嫌いのセイリアは、どんなに勝てない相手であっても、負ければすごく悔しいのに。
「……やっぱり、あたしの周りって濃い人が多いのかも」
「中心にいるのは君だもんね」
 すかさずシェーンが言った。セイリアは振り返って噛み付く。
「あんただって、周りにいる人の一人よ」
「あんまり光栄には思えないね。除外してくれると助かる」
 珍しく、セイリアは言い返さなかった。シェーンの顔を見つめていた。それから首を傾げて、
「どうしたの、シェーン。悩みごと?」
 鋭いことを言った。
 シェーンは驚いてセイリアを見つめ返したが、ぷいっとそっぽを向いた。
「君には関係ない」
「何よー」
「政治関係だよ。聞きたいわけ?」
「聞くふりをして、うんうん頷いて慰めることはできるわよ」
「君と話出したら最後、どうせ口喧嘩の応酬になるのがオチ」
「シェーンは口喧嘩するのが楽しいって言ってたじゃない!」
「それは君の方」
「でもシェーンも否定しなかった」
「肯定もしてない」
「無言は肯定って言うでしょ」
「別に無言だったわけでもないけど」
「屁理屈っ!」
「そう言うなら、どこがどう理屈に合わないのか説明してごらん」
 結局、いつもの通りシェーンの勝利に終わった。悔しがったセイリアは、王宮に戻る馬上でも幾度となく口喧嘩を吹っ掛けた。全戦全敗。だが、わいわい言い合っているうちに、シェーンの機嫌が上向いていったのは紛れもない事実だった。



 道も随分来た時だった。馬の蹄の音に混じって、風を切る音を聞いたセイリアは急いで手綱を引いた。
「うわっ」
 シェーンが慌ててセイリアにしがみつく。馬は急停止に驚いて前足を上げ、大きく嘶いた。その足先を掠めて矢が落ちた。矢が刺さっている角度から矢の飛んできた方向を素早く判断し、セイリアは大きく方向を変え、早駆けで脇の林に駆け込んだ。
馬を叱咤して全速力を出す。
「王宮まで一気に行くわよ!」
 シェーンが頷いた。

 幸い、追っ手の気配はなかった。矢が外れて、体制の立て直しがきかないうちにセイリアが逃げてしまったからだろう。全力疾走でこれ以上無く揺れたため、足がおかしくなって上手く歩けないシェーンに肩を貸しながら、セイリアはようやく口を開いた。
「……久々ね」
「そうでもないよ。ここ二週間で、君のいない夜間に二回襲われた」
 セイリアは呆然とし、同時に傷付いた。
「何で言ってくれなかったの! あたしはシェーンの護衛よ!」
「昼間のね」
 シェーンがぴしゃりと言った。
「夜間は別の人なんだけど……やっぱり信用できそうにないみたいだ。実力も疑わしいし」
「……随分ぞんざいに扱われてるのね。王太子なのに、まともな護衛もいないなんて」
 シェーンは苦笑した。
「身分と権力は別物だって事さ。まともな護衛をつけようとするとすぐ引き抜かれるんだ。……セイリアは若いし、一介の騎士にすぎなかったから、大抜擢しても反対はなかったけど」
「………」
 お上の方々って複雑だ。
「そう、セイリア、君も君自身の身に気をつけた方がいい。セイリアは今十分に自分の実力を見せてる。腕利きの護衛は向こうにとって邪魔なはずだから」
 セイリアは絶句した。
「……マジですか」
 「まあ、君ならそう簡単にはやられないだろうけど」
「……重々に気を付けます」
 足が元に戻ったので、シェーンは自分で歩き始めた。
「……セイリア。明後日、オーディエン公爵のところで夜会があるんだ」
 シェーンが言った。
「まあ、実際は情報交換の場ってわけだけど。こうも襲撃が続くと、慣れてる僕でも不安になる」
「分かった、あたしも護衛としてついていけばいいのね」
 セイリアが先回りする。
「あの窮屈なドレスを着なくていい夜会なら、喜んで。まさか護衛には踊れとは言わないでしょ?」
「……どうかな」
「とりあえず、さっきのことは陛下に報告しなきゃ」
 階段を上がりながら、セイリアが言った。シェーンは呆れた。国王は絶対の存在、普通報告は側近を通す。人伝に伝えてもらうのが常なのに、この少女はどう見ても自分の足で行く気だ。
「……国王に直行するっていう思考回路はどこから」
「あら、だって父親でしょ?」
 シェーンは閉口した。
「……やっぱり、セイリアの周りの人が濃いのって、君自身が濃いからじゃないの? ……あがっ」
 久々の膝かっくんがシェーンを襲った。


発表日 2006.02.28
添削日 2006.04.03
ルウェリンの短縮形がルーだと発覚したので、(「怪しい人名辞典」さまより)愛称をルーンからルーに変更。