The Party at Duke's Castle
公爵城でのパーティー

 

「そんな!」
 メアリーはショックを受けたように動かなくなった。
「あ、あんまりです……そんなこと」
「大袈裟に言わないでよ。あたしは大丈夫よ」
 セイリアは夜会の準備をしていた。騎士隊の制服ではなく、貴族の者が普通に夜会に着ていくような服。体の線がばれないよう、少し緩め。
 そして、今は剣を選んでいた。長剣は愛用のを一本、短剣は2本。護衛に行くのだから当然だ。シェーンから「自分の身にも気を付けた方が良い」と言われたばかりでもある。
 廊下を通り掛かってメアリーの声を聞いていたアースは、メアリーもきちんと主の心配をしているのだなと思って、微笑ましく思った。そのまま通り過ぎると、背後からメアリーの悲哀に満ちた声がした。
「あんまりです……夜会という、着飾るべき素晴らしい行事に、お嬢様がドレスを着ずに出席なさるなんて!」
 子爵家の若君は一瞬、人間不信になりかけた。


「うわーっ」
 セイリアは憚り無く歓声を上げた。
「すごーい!ごーか!」
 公爵城は美しく飾られていた。夥しい数のろうそくで、あたりはすごく明るい。着飾った女達、女の機嫌を取る男達、優雅にお辞儀をするご婦人。あまり頻繁に夜会には出席しないセイリアにとっては、収穫祭以来の大きな夜会だ。
「……でも正直、もったいない」
 ぽつりと庶民的な感想を漏らした。シェーンが隣で苦笑した。

 セイリアはとにかくシェーンの後について回った。セレスも出席していて、見事に大勢の男をかしずかせている。彼女はセイリアの姿をとらえてにっこりした。めちゃくちゃ可愛かった。セイリアは複雑な気持ちで笑みを返す。セレスが嬉しそうに顔を赤らめ、一体セレスが誰に向かって、こんないい顔をしたんだろうと険しい目付きで探す男達を見て、セイリアはさらに複雑になった。
 シェーンはセイリアの前にいる時とは違って、すっかり王太子の顔で堂々としている。セイリアは周りの貴族も見てみた。皆、王太子には敬意を払い、忠実そうな顔をしている……けれど。“猫をかぶる”という言葉があったわね、とセイリアは思い出した。まさにこれだ。
 シェーンの隣にいるせいで、セイリアもだいぶ注目された。今日は護衛としてきてますから、と誘いは断ったのに、いつの間にか人に囲まれて、普通の夜会出席者として扱われていた。「子爵はご息災か」と聞かれたり、「クロイツェルよりお戻りの際のご機転、素晴らしゅうございました」と褒められたり。賛辞に関しては背中がむず痒くなるようなものばかりで、始めこそいい気分に浸っていたセイリアだったが、終いには引きつった顔で謙遜するはめになった。「我がオーカストの未来の星、国の宝であり歴史に残るであろうお方!」と言われた時には冷や汗が出た。

 そして何より困ったのが、女性達から話しかけられること。侯爵夫人に「どうです?この中に、この人はと思うような女はいらして?」とからかい気味に恋愛話をふられ、セイリアは困り果てて、
「いえ……何ぶんにもまだ若造なので、もうどこに身を置いたらよいものやら」
と正直な感想を言った。
 そしたら夫人は「まあ、かわゆらしいこと」と、率直さが気に入ったらしく、彼女のお声掛けで若い美女たちを集め、セイリアは彼女たちに囲まれてしまったのだ。若くして王太子の護衛を任された、将来有望な子爵の跡継ぎに興味のある女性は多く、惜しげもなく自分に向かって発されるフェロモンに、セイリアはひたすら耐えるしかなかった。
 救いの主が現れたのは、十才ほど年上の女性に手を握られて、年下好みにも程があるだろうとセイリアが口をぱくぱくさせていた時だった。
「失礼致しますわ」
 愛らしい声がして、現れたのはセレスティア嬢だった。純白のドレスを纏い、長い金の巻き毛をまとめて垂らしている。最小限のアクセサリーしかつけていなかったが、もう同じ女とは信じられないくらい可愛かった。
「ヴェルハント様、そちらのワインをとっていただけます?」
「え? あ、うん」
 セイリアは手を延ばして、逆円錐型の洒落たグラスを手にとり、セレスに渡す。
「ありがとうございます。よろしければ、あちらのムースはいかが?案内致しますわ」
 言って、セレスはこっそりと片目を瞑った。しばし考え、セイリアはやっとセレスがこの状況から抜け出す助け船をくれたことに気がついた。慌ててセレスに駆け寄って、お願いします、と言う。女性たちは恨めしそうにセイリアとセレスの後ろ姿を見送った。

 女性達から少し離れてから、セレスはくすりと笑った。
「女には不慣れですのね」
「はあ……」
「アース殿、今日は王子様の護衛ですか?」
「ええ」
 セイリアが見回すと、シェーンは遠くの方でしっかりと話し込んでいた。
「ああ、ハーロッド侯爵とお話しなさっておりますわね」
 セレスがセイリアの視線を追って呟く。
「ねぇアース殿、こちらへいらして。父に紹介いたします」
 なんだか一歩間違えると、危ない方向に話が進みそうな展開だが、公爵とはごく普通の会話を交わしただけで、なんとか「セレス将来の話」に運ばずにすんだ。まあ、公爵の眼中にあるのはシェーンな訳だし、セイリアは安全圏だろう……セレスが押し切ろうとしない限り。
 そしてセイリアは、今度は公爵の周りについていた若い貴族達に囲まれた。始めは険しい目付きで「セレスティア嬢とはいかなるご関係か」と聞かれたのだが、単に王子のつてで知り合った友人だとはっきり言うと、今度は目付きが好奇のそれに変わった。
「王子様はどうです? 次期国王に足る方と?」
「まあ、色々思うところはありけど、有能には間違いないと思いますよ」
「そうですか。……ワインはどうです?」
「え? あの、飲んだことないんですけど」
 セイリアが慌てると、若者は少し驚いた顔をした。
「では、是非試してご覧なさい」
 好奇心が勝って、セイリアは手をのばした。
「意外と美味しいですね。ジュースみたい」
 もう一口飲む。なんだか頭がぼうっとする気がした。若者は話し続ける。
「しかし、クロイツェルではこれといった成果を得られないまま、お帰りになっていたではありませんか」
「向こうが勝手に開戦してしまったんだもの」
 セイリアが反論する。
「それに、皇女に会えば手強いって分かりますよ」
「そんなにすごい方で?」
「ええ、もう凄絶」
「そうですか。……もう一杯どうですか」
「いゃあ、なんか頭がぼうっとするんで」
「そうおっしゃらずに。こちらは白ワインですよ」
「じゃあ、ちょっとだけ」
 また飲んでみる。なんだかいい気分だ。
「それでも関税の件では決着をつけていただきたかった。他の事では何か話し合っていましたか?」
「うーん、特には。シェーンは私に政治の話しはしないんだよね。私単なる護衛だし、政治の話はつまんないしー」
「……。ヘルネイの事は何か言っていませんでしたか?」
「へるねい? 何ですかそれぇ」
 セイリアはぼうっとした頭で聞く。若者はいえ、と短く言って、また質問をした。
「あなたには確かお姉さんがいましたね?」
「へぇ? あぁ、そういえばそういうことになってるなぁ……」
「収穫祭のパーティーでお会いしましたよ。本当にあなたにそっくりですね」
「あー、だってあれはぁ……」
「アース!」
 シェーンの叫ぶ声がして、若者達がさっと道をあけた。シェーンはセイリアを見て呆然とした。
「……酔ってるのか?」
 近くで他の集団に囲まれていたセレスはそれを聞いて、顔色を変えてすっ飛んできた。
「も、申し訳ありません! わたくしがついていながら……」
「いい、いい。何杯飲んだんだ?」
 答えたのは、ワインを勧めた若者だった。
「2杯ですが」
「たった2杯? 弱過ぎ……。セレスティア嬢」
「は、はい」
「しばらく席を外すと、公爵に」
「え? は、はい。かしこまりました」
 ふらつくセイリアを支えて、シェーンは庭園のほうへ歩いていく。若者はその背中を見て、
「“何ですかそれぇ”、か……。抜かりのない王子だな」
呟いた。




「……寒い」
 セイリアがぽつんと呟いた。
「まあ、もう冬だしね」
「……寒い」
「酔いは覚めた?」
「酔ってないもん」
「素面になってからも、そう断言できるかどうか、賭けようか?」
 綺麗に刈り込まれた迷路のような植木の間を、シェーンとセイリアは二人きりで歩いていた。セイリアは時折シェーンに寄り掛かりながら歩き、シェーンはその度にそわそわと肩の上の横顔を見ていた。
 夜は静かで、冷たい風が吹いている。
「ねぇ、シェーン。シェーンって王様になるんだねぇ」
 ふわふわとした口調でセイリアは話す。酔っ払い相手に口喧嘩しても仕方ないと思い、シェーンはまともに返事をすることにした。
「……そうだよ」
「楽しみだねぇ。どんな国ができるかなぁ」
「………」
 夜は静かで、冷たい風が吹いている。
 セイリアがふらつき、シェーンにしがみついた。シェーンは慌てて支えながら、あたふたする。
「セ、セイリア、あまりべたべたすると……」
 言いかけたシェーンは二の句が継げなくなった。セイリアがぎゅうっと抱き締めてきたのだ。

「んー、大好きよ、シェーン……」

 シェーンは固まり、固まり、たっぷり10秒はその場に突っ立って、それから火を吹いたように赤くなった。
「セイリア!? どこまで酔ってるの!? いや、そうじゃなくて……ああ、もう!」
 迷い迷って、名残惜しいながらもとりあえずセイリアを引きはがす。そのまま息を止め、じっとセイリアの顔を見つめ、囁くように尋ねた。
「今の、素面の時にも言ってくれる……?」
 セイリアは聞いていない。ぽーぅっとシェーンを見つめ、ふわりと笑っただけだった。

 風が吹いて、木の葉がざわめく。

 その時、セイリアは突然がばっと顔を上げた。
「うわっ。……セイリア?」
 セイリアは真顔で視線を素早く走らせ、突然「伏せて!」と叫んだ。シェーンがあわてて従うと、頭上をかすめて短剣が通って行った。間髪おかず、セイリアがその短剣の飛んできた方に自分の短剣を投げつける。嫌な音がし、何かが倒れる音がした。向こうの路に、覆面をした男が倒れているのが見えた。
 呆然としているシェーンの前で、セイリアは呟いた。
「シェーン……あたし、酔いは覚めた。今、完全に覚めたよ」
「え? あ、そう……」
 そして、シェーンはもう一言。
「どうでもいいけど、まだ他にもいるみたいだよ」



最終改訂日 2006.03.24