Jealousy
嫉妬

 

「カレン、カレン」
 静かな部屋に男の声が響く。
「カレン!」
「ロドニー、声が大きいわ」
 答えたのは、静かで儚げな女の声だった。静寂の中から白い手が伸びる。その華奢な手を、男の手がとった。両方の手の指には、細やかな細工がなされ、宝玉の埋め込まれた同じ型の指輪がはめられていた。
「こんな時でもなければ訪ねてやることもできなくて、本当にすまない」
「いいえ。あなたがいなければ、わたくしはどうなっていたことか。それに」
 女は優しそうな目元を細めてにっこりと笑った。淡い月の光を思わせる笑みだった。
「あなたが愛してくださっていることが、とても実感できるのですもの。わたくしは幸せですのよ」
 もう五十前後だろうと思われる初老の男は、茶目っ気のある瞳を和ませ、女の髪を自分の指で梳った。
「……私は、君が息子たちから遠ざけられることに抗えなかったのに」
「フォードがいけないのですわ。あなたのせいではありません」
 海色の瞳に容姿とは違って強さを宿らせた女を、男はいとしそうに、切なそうに見つめた。
「二人とも……シェーンもアーネストも、君に似てきた」
 側妃カレンは、国王ロドニー・オーカストを見上げた。
「……そうね。でも、少なくともシェーンの口元の感じはあなたにそっくりですよ」
 王が呆然としたので、カレンは少し楽しそうに説明した。
「あの子ったら、昔一度わたくしの部屋に忍び込んできたことがあるのです。聡い子ですから、見張りの目をくぐり抜けてきたのでしょう。その時に会ったので、シェーンの顔は見ているのですよ。すぐに追い返しましたけれど」
 懐かしそうに言った側妃の口を、王は塞いで止めた。
「無理をするでない、カレン」
 カレンは目を瞬き、精一杯強がったが、すぐにうつむいて一粒涙をこぼした。
「……あの子に、会いたいです、ロドニー」
「わかっておる。後1年半もすればシェーンが国王になる。そうすれば、国母と国王が会うことも憚る必要がなくなる。二人で田舎に引っ込もうぞ」
 カレンはちょっぴり笑った。四十になっているのに、少女のようなあどけなさと儚さがあった。
「……ギルダに、申し訳ないですわ。嫉妬されてしまいます」
「そんなことはない。ギルダは元から君にこうなって欲しかったのだ。君の幸せが、かの人の何よりの望みだったのだから。ありがたく恩恵にあずかろう」
「……あなたのそういうところ、少し自分勝手ですわよ」
「わたしは国王だもーん」
「何を子供ぶっていらっしゃるのですか」
 幸せで哀しく切ない逢い引きが、アウステル宮殿で行われていた。




 その頃、オーディエン公爵城では、セイリアが呆然と目の前の光景を見つめていた。
「セレスーっ!会いたかったよぉー!」
 すごいはしゃぎようだ。セレスはちょっぴり苦笑している。
「あの……はい、わたくしも嬉しいわ。だから、あの……」
「後でお部屋へ遊びに行ってもよろしい? この前あなたが言っていた新作がどーしても見たいのっ」
「ええ、お見せしますわ。ですから……」
「ところでセレス、シェーン王子を見なかった? あののんびり屋さんのお父様のせいで、こんなに遅れて来てしまったのだもの、きっと心配なさっていると思うのよ」
「オストール様、殿下は今、父と……」
「そうなの? 残念……」
「あの、まずは何かお召しに……」
「やぁね、セレス。かしこまらなくて良いのに。それに、オストール様じゃないわ。名前で呼んでって……」
「アマリリス、そこまでだ」
 兄に首根っこを掴まれ、アマリリスはきゃっと悲鳴を上げた。
「お兄様、痛い!」
 妹をぶら下げたハウエル大尉は、黒い瞳で少女を睨んだ。
「つまみ出されたくなかったら、もう少しおとなしくしていなさい。セレスティア嬢も困っている」
「困ってなんかいないわ。ねぇ、セレス?」
「え? あ、ええ……いいえ、あの……」
「セレス!? 親友を裏切るの!?」
「アマリリス。帰るか?」
「………」
 大尉の一言で、アマリリスはようやく黙った。

 一部始終を見ていたセイリアは吃驚の感で呟いた。
「これ以上ないくらい、不似合いな親友だこと……」
 すると、アマリリスがセイリアを見つけて指差した。
「あ! あの無礼騎士!」
「どっちが無礼って?」
 セイリアは鼻であしらってやった。アマリリスはかっと頬を染め、手を伸ばすとパンを掴み、セイリアに向かって投げたが、セイリアはひょいと体の向きを変えてよけた。パンは後ろの誰かにあたって、その人はむっとした顔で振り返った。アマリリスはしっかり前のめりのままだったので、一瞬しまったという顔をしたが、すぐにほんのりと頬を染めて、いじらしく言った。
「申し訳ございません。ちょっとつまづいてしまって」
「……あーあ、嘘つきは泥棒の始まり」
 呟いたら、向こう脛を蹴飛ばされた。むかついたのでドレスの裾を踏んづけてやった。ちょうど足を踏み出していた彼女は見事につまづいた。
 再びかっとして振り向いたアマリリスを無視し、セイリアはにこやかにセレスに話しかける。
「新しい作品って、新しい詩?」
「ちょっと、無礼騎士! 無視するんじゃないわよ!」
「いいえ、ヴェルハント様。絵ですわ。庭の花園を、油絵で」
「セレス!? あなたこいつの味方!?」
「へえ、絵も描くんだね。多才な人っていいなぁ……」
「二人の世界に入らないでよ!」
「いいえ、才能などという大層なものでは。多趣味であるだけですわ」
「もしもーし」
「そうなの? 他には何をやっているの?」
「あのー」
「そうですわね……。先生に教えていただいているのは、ピアノとハープと歌です。個人的な趣味でチェスやお茶、花や裁縫などもやっておりますが」
「お二人さーん」
「すごいね。ええと、じゃあこの紅茶は?」
「いいよ、もう!」
「ダージリンです。秋摘みのものです。セカンドフラッシュよりはちょっと渋くなりますけれど、少しミルクを入れてもおいしいと思いますよ」
 ふてくされて二人を睨んでいたアマリリスが、入り口の扉に目をやって、ぱっと顔を輝かせた。
「あ! シェーン王子だわ!」
 これには、意識的にアマリリスを無視していたセイリアも思わず振り向いた。彼は公爵と話しながら、会場に戻ってくるところだった。
「シェーン王……」
「シェーン!」
 アマリリスの呼びかけにかぶせるように叫ぶ。すると、シェーンは気付いて手を振り返してくれた。アマリリスの憎しみのこもった視線を感じたが、とにかく気にしない。シェーンが迷わずセイリアの方にやってくるので、セイリアは我知らず嬉しくなった。アマリリスがいることに少し眉をひそめて、シェーンはセイリアに耳打ちした。
「やっぱりやつらは逃げたみたいだよ」
 セイリアは唇をかんだ。
「そう……」
「ナイフが一本、茂みの中から見つかったから、それを調べてみるつもり。君のナイフも落ちていたよ。子爵家の家紋があったから間違えずに済んだ」
「ありがとう、シェーン。本当に大丈夫? もう帰ろうか?」
「ちょっと早すぎるかな、と思って……。なんだ、もう帰りたいの?」
 セイリアはちらりとアマリリスを見た。セイリアをシェーンから引っぺがしたいのをこらえて、淑女らしく待っているつもりらしい。
「あたし自身はいいの。あんたは大丈夫なのか、それが心配なだけ」
 それがすべて本当ではないものの、胸の内のもやもやした気持ちをなんと言ったらいいのか分からず、セイリアは結局そう言った。シェーンはそれに対して笑う。
「豪胆に見えて、意外と心配性だな、セイリアは。わざわざ庭に出たところを襲ってきたくらいだ、こんな人目の多いところで襲って来たりはしないよ」

そこへ、公爵が声をかけてきた。
「シェーン王子、どうか娘と一曲踊ってやってくれませんか?」
 アマリリスとセイリアの眉がひくりとなり、セレスは目を見開いた。
「お、お父様、わたくしは……」
 セレスはおどおどとセイリアを見る。助けてあげたい気持ちと、王子から横取りするのはまずいという気持ちと、シェーンに他の女の子と踊って欲しくない気持ちとが入り混じって、セイリアは反応が遅れた。
 迷っているうちに公爵はセレスの手をとってシェーンに差し出していた。セレスは諦めたように、セイリアを見つめるのをやめた。シェーンは一瞬ためらったが、結局その手をとった。セイリアは二人の手が重なったのを見て、どうにもいたたまれなくなり、思わずシェーンの袖をつかんで囁いた。
「ちょっと女の子と仲良く話しただけで、やれ王太子妃候補だって騒がれるのが王子ってものなんじゃなかったの?」
 シェーンはそのセイリアの表情を見て、一瞬あっけに取られた。
「……ホストのお嬢さんと踊れといわれたら、受けるのが礼儀だ。前の夜会は王家主催だっただろう?」
 それから、はっとセイリアがこんな言動を取った理由に思い当たったのか、セイリアにとってはわけが分からないことに、シェーンは嬉しそうに笑った。
「一曲だけで戻ってくるよ。それに、他の人とは踊らないから」
 それ以上引き止めることはできず、セイリアは手を離した。

 アマリリスが憤然としてセイリアに詰め寄った。
「あんたが独り占めしてもたもたするから、とられちゃったじゃないのよ!」
「とったのはセレス。セレスは親友なんでしょう?」
「それとこれとは別っ!」
 音楽が始まって、ダンスが始まった。王子と公爵令嬢に気付いた人々がざわついた。
「まあ、絵になりますこと」
「お二人の銀と金の髪が、まるで月と太陽のようでございますわね」
「あら、でも国においては王子の方が太陽で……」
「まあ、それでは“月”はセレスティア嬢がぴったりですわ」
 セイリアはその場でホールに背を向けた。もやもやしていた気持ちがものすごく嫌な感じで胸につっかえている。
 人ごみから少し離れたところに、大尉がいた。セイリアを見つけて声をかけてくる。
「怖い顔だね、セイリア。どうしたんだい?」
「……別に」
 大尉は妙な表情をした。セイリアの今の気持ちと似たような表情だった。
「一曲どうですかと言いたいところだけど、その格好では無理だろうね?」
「そうね。今日は男として来てるから」
 それきり大尉は黙り込んだ。じっと上からセイリアを見つめているのを感じた。だが、セイリアにはそっちを気にしている余裕はなかった。
 セイリアは大尉と並んで立ちながら、ホールの中央を睨んでいた。こっちを見て、あたしを探してよ、と心中で毒づきながら。




最終改訂日 2006.04.12