The Second Prince
第二王子

 

 メアリーがろうそくを片手に廊下を歩いていると、アースが顔を出した。
「セイリア姉さんはもう寝た?」
「寝ましたけど?」
「その……機嫌は?」
「ああ、それでそんなにコソコソなさってるんですか。だいぶ斜めでしたけど、どうせ明日にはコロッとして出てきますよ」
「でもなぁ……シェーン王子が、セレス嬢とどうのこうのってブツブツ言ってたし。嫉妬かな?」
「他に思い当たらないんですけどねぇ」
 アースは珍しいものを語るような口調で言った。
「恋愛の絡んだ不機嫌って、今回が初めてだよね。ちょっと不安で」
「そうですねぇ」
 メアリーはちょっとだけ首を傾げたが、すぐに嬉しそうに手を合わせた。
「いやぁ、でも、お嬢様も本当に成長なさりました。まさかお嬢様が殿方関係で嫉妬なさるのを私の目の黒いうちに目にできるなんて思っていませんでしたよ」
「……はぁ」
 やっぱり遠慮のない侍女だ。
「でも、お嬢様の場合、やきもちを妬くところでお終いなんですよね。その先がないじゃないですか」
「ああ、つまりやきもちを妬いたからもうちょっと気を引いてみようとか」
「そうです。他の女の子になびかないように努力するとか、それをしないんですよね」
 双子の弟と侍女はそろって溜め息をついた。
「それって本当に恋って言えるのかな?」
「お嬢様の場合は立派に恋ですよ」
「……まあ、姉さんだしね」
「ええ、お嬢様ですから」
「頼みましたよ、シェーン王子」
「そうですね、全ては王子様の努力次第ですねぇ」
「でも、姉さんはその努力に気付けるかなぁ」
 王妃への道程は遠い。
「でもまあ、一歩前進しただけで良かったといたしましょう」

 実際、嫉妬しただけでも奇跡の大進歩だったようだ。翌朝起きてきたセイリアは、アースの心配をよそにすかっと機嫌をよくしていた。いつも通り、大盛りの朝食をさらにおかわりした双子の姉を見て、若君はぽかんとした。
「メアリーの予言って、よく当たるなあ。本当にコロッとしてる」
「どうなると思ってらしたんですか」
 メアリーが聞くと、アースは答えた。
「……トルネードのごとく嵐を巻き起こしながらシェーン王子の所へ突っ込んでいくものかと」
「若様……若様の中のお嬢様像って一体どういう怪物なんですか」
「怪物じゃないよ。自然災害」
 アースは実感を込めて呟き、朝食を口に運んだ。メアリーは何か言おうとしたが、アースのコメントがあまりに的を射ていて、返す言葉が結局見つからなかったようだった。



 ルーは毎日、律義に時間通りにセイリアの所へやってきた。勢いの良い挨拶も相変わらず。
「おはようございますっ!!」
 吹っ飛んだ帽子をキャッチするのもすっかり慣れた。セイリアが帽子を渡すと、ルウェリンは顔を赤くした。
「いつもすみません……直さなきゃとは思ってるんですけど、お会いするとやっぱり嬉しくて興奮してしまって」
 帽子をかぶり直しながら言うルーに、セイリアは苦笑するしかなかった。
 そして、すぐに二人は馬に飛び乗って王宮に向かった。自分の体のコンディションを確かめ、どうやら二日酔いは免れたようだとセイリアはほっと息をついた。

 しかし、シェーンの部屋にたどり着き、戸を叩いて顔を出してきた彼の顔を見て、セイリアはぎょっとした。目の下に巨大なクマ。これではタヌキのようだ。
「……シ、シェーン、どうしたの?」
「完徹明けなもんだから、ちょっとね」
「完徹!? あんた何やってたの!?」
 部屋の中を見れば分かった。机の上には書類が積み上げられ、地図に指すピンがたくさん散らばっている。飲みかけのコーヒーカップに羽ペンを入れているあたり、
相当ボケ始めていたようだ。
「大丈夫、頭はハッキリしてるし」
「どこが! そこのカップの中身をよく見てごらん! それに、そのクマは何? 今すぐベッド直行しなさい!」
「今日は父上と相談があるんだ」
 シェーンはキッとセイリアを強い目で見つめた。
「昨日仕入れた情報を報告しないと。オーディエン公爵と伯爵も見えることになってるのに」
 オーディエン公爵という言葉に、セイリアは突如、昨夜のもやもやした気分を思い出した。しかし、そこはセイリアである。まだその気分が嫉妬だという自覚も薄いまま、とにかく負の感情を嫌う性格なので、さっさとその気分を振り払った。
 何がいけなくてセレスみたいな良い子に、こんな嫌な気持ちにならなきゃいけないんだ。噂になるのが分かっていながら誘いを受けたシェーンが悪い。ふんだ。一方的にシェーンを悪者扱いしたら、なんだか気分がすっとした。元から喧嘩友達の仲なので、今更申し訳ないとかいう感情はわかなかった。今はとりあえず、目の前のタヌキもどきをどうにかせねば。
「ぶっ倒れたら報告も何もないでしょう。ルー、どう思う?」
 ルウェリンはぴしっと姿勢を正して、使命感に満ちた表情で言った。
「はいっ。王子様はお休みになるべきですっ」
「君達……」
 シェーンは呆れたように言いかけたが、セイリアの背後に視線を移した瞬間、表情を強張らせた。強張らせたあとすぐに少しほっとした顔になり、今度は複雑そうな色を瞳に浮かべる。
 セイリアが訝んで振り返ると、青年が二人の侍従を従えて廊下の向こうからやって来るところだった。
 見覚えのある顔だ。というより、一度しか会ったことはないが、会った場面が場面なので忘れようがなかった。そして、どうしてシェーンが初めに表情を強張らせたのかも分かった。似ているから、一瞬あの過激な長兄と見間違えたのだろう。
だが彼はシェーンの味方だ、とセイリアは認識していた。
「ねぇ、すいません!ランドル王子!」
 セイリアが声を張り上げた途端、シェーンもルウェリンもぎょっとした顔になった。ランドル王子もかなりびっくりしたようだ。びくっとして立ち止まり、ひらひらと手を振っている護衛騎士の姿にぽかんと口を開けた。
 当然だ。シェーンはもう慣れているからともかく、本来なら王子に向かって気さくに手を振る人間はいない。
「すいませーん! 宮廷医ってどこにいるんですか?」
 ランドル王子は目を瞬き、やっとのことで口をきいた。
「シェーンが、どうかしたのかい?」
「寝不足で目がタヌキになってしまって。これから布団に押し込むところです」
 ランドル王子はさらに目を瞬き、後ろの侍従二人も顔を見合わせた。シェーンが慌てて叫んだ。
「兄上、大丈夫ですから、放っておいてください」
「何言ってんの。今だって足元ふらふらしてるくせに」
 セイリアは言って、シェーンの肩をばしりと叩いた。シェーンはつんのめって一歩前に踏み出し、そのままふらっと傾いでセイリアに受け止められた。
「ほら言わんこっちゃない」
 ランドル王子はセイリアの言動に呆気にとられていたが、シェーンを見て、少し沈黙した後ぽつりと言った。
「本当に目がタヌキだな」
「大丈夫です。慣れてます」
 シェーンは頑固に繰り返す。だが、もう説得力はなかった。顔色が急激に悪くなっていた。それを見て慌てたランドルが侍従たちを振り返った。
「カーター先生を、早く」
 二人は頭を下げてささっと廊下の向こうに消えた。


 その後、ランドルはセイリア達を手伝おうとしたが、出番はなかった。シェーンは本当に文字通り布団に押し込まれ、とりあえずの抵抗を試みたものの、護衛騎士にことごとく阻止された。その護衛の従者も、王子つきの侍女達を呼びにすっ飛んでいき、宮医が到着した時には、シェーンは万全の療養体制の中にいた。第二王子は結局何もやらずに部屋の隅で弟を見守っていて、護衛とその従者はその隣りで心配そうに宮医の到着を待っていた。
 部屋に入ってきた宮廷医カーターは準備万端体制に驚いて一瞬ぽかんとし、恥ずかしいのと気分がすぐれないのとで顔色が良くない第三王子を見つめた。そして、ランドル王子に歩み寄って囁いた。
「通り掛かったのがあなたであったことに、シェーン王子に代わって感謝しますぞ、ランドル殿下」
 ランドルは複雑そうに笑った。
「私ではなく、状況に感謝してください」
 セイリアは耳ざとくこの会話を聞きつけていた。

 うろうろされては診察の邪魔だ、と大方の侍女と共にカーター医師に部屋を追い出されてすぐ、セイリアはランドル王子の袖を引いて引き止めた。
「待って、ランドル王子。聞きたいことがあります」
 ランドル王子は少し戸惑った表情になったが、セイリアに向き直った。
「何?」
「あなたはシェーンの味方ですか?」
 侍従二人が眉を吊り上げ、ランドル王子も目を見開いた。ルウェリンが小声で「アース殿っ……!」と呟いたが、セイリアはただランドルの目を睨みつけていた。
 すると、ランドルはふっと笑った。
「カーティス兄さんにはその方法でつっかかっていかないように助言しよう。あの人は短気だから。しかし、君の言動には驚かされてばかりだな」
「敵なんですか、味方なんですか」
 セイリアはもう一度聞いた。ランドルは溜め息をつき、悲しそうな笑い方をした。
「どちらでもないよ。この前カーティス兄上を止めたのは、さすがに殺しはまずいからだし、今回も病人は助けるべきだから助けただけだ。実際、シェーンは可哀想な子だしね。でも、私は闘うのは嫌いなんだ」
「中立……ですか?」
「傍観者、だよ」
 どこか全てを諦めているようなその口振りに、セイリアは黙った。
「でも……」
 ランドル王子は続ける。
「弟に、だいぶ変わってはいるけど忠義な護衛ができて、よかったとは思っているよ」
 言うと、彼は微笑を残してその場を去った。悲しげな笑顔と、太陽の光を弾いた金の髪の残光。こんな王子がいるのか、とセイリアはその背中を見送りながら思った。

 廊下の向こうを少しの間見つめて、セイリアはくるりと踵を返した。
「戻ろうか、ルー」
「え? はい……でも」
 ルウェリンは心配そうにセイリアを見つめている。セイリアはぽんとルーの背中を叩いた。
「さっきの働きっぷり、よかったよ。てきぱきしてて」
「本当ですかっ!?」
「うん」
 ルウェリンはわぁっと叫んで、至福という顔をした。セイリアはその笑顔に、少しだけ気分が良くなって、口許を綻ばせた。




最終改訂日 2006.05.05