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「ぐっすりですね」
「ぐっすりだね」
「お疲れだったんですね」
「そうだね、まだ若いのに大変だよね」
「……そこの二人、それ以上騒ぐなら出ていけ」
カーター宮廷医師はセイリアとルウェリンを睨み据えた。二人は肩をすくめ、口をつぐんで再びシェーンの寝顔を観察する。
しばらく見つめていたルウェリンが、しみじみと「女の子みたいですね」と呟いた。
「お母さん似なんじゃない?」
「そうなんですか?」
「だってほら、陛下は金髪だし」
「ああ……」
再びカーター医師からお叱りが飛んだ。
「公共の場でその話をするやつがあるか。王妃は金髪だったのだぞ。そんなことを話したら、公の秘密ですらなくなるだろうが」
セイリアは再び肩をすくめた。厳しいお方だ。
「カーター先生はシェーンのお母さんを知ってるんですか?」
聞くと、鷲のような目で睨まれた。
「今言ったばかり……」
「どうせ私たち三人しかいないじゃないですか。シェーンは寝てるから数に入らないし」
「この国はスパイ大国なのだぞ。まさか国内にはいないとでも思うのか?」
「先生、それは護衛である私に対する侮辱です。人の気配ぐらい分かりますよ」
うむむ、とカーター医師は唸った。
「……シェーン並の生意気な口だな」
「ホント? じゃあ、伊達に口喧嘩してなくて良かった。私も鍛えられてるんだ」
セイリアが喜ぶとカーター医師は呆れた顔をした。
「変わった奴だな」
「はあ、よく言われます」
「でも、素晴らしい方ですよっ」
ルウェリンが熱くなって抗議した。
「あの大尉を一度、負かしたことがあるんですから」
「大尉って……ハウエル・オストールか?」
「はいっ、ハウエル大尉です!」
「あー、ルー、ちょっとストップ」
セイリアが割り込んだ。
「先生、ルーに話を合わせることで話を逸らしてません?」
うむむ、とカーター医師は苦い顔をした。
「ばれたか」
「だてにシェーンと口喧嘩してませんから」
「お前はシェーン王子に勝てるのか?」
「いや、今のところまだ負けっぱ……先生、また話を逸らしたでしょう」
カーター医師は再びうむむと唸った。
「……側妃さまのことは知っている。だが、お前が聞いてどうする」
「だって王族方の事情って、込み入ってて訳分からないんだもの。この前、ランドル王子と話したんです。そしたらカーティス王子はシェーンの敵だけど、自分は“傍観者”だって言ったんですよ」
言った後で、セイリアは少し語調を強めて、「もちろん、シェーンの敵を知れば護衛の役に立つし」と付け足した。
あまりに素直で正直で、腹の内を隠そうなどという魂胆は微塵もない物言いだった。カーター医師はヒクヒクと口もとを痙攣させていた。また何か変な発言をして怒らせたのかとセイリアはぎょっとしたのだが、カーター医師はそのあと、肩を震わせて額を押さえて下を向いた。
「?」
どうしたんだと思えば、くっくっと押し殺した笑い声が聞こえてくる。
「お前さん……本当に変わった奴だな」
「別に変な事言ってないじゃないですかっ」
セイリアがむくれると、カーター医師はまだ笑いながら言った。
「いやいや、陛下もなんという人選をなさるんだと思ってな。こんな不遜で率直な奴は初めてだぞ」
褒められてるのか怒られてるのかよく分からない。
「ふむ。だが、まあ側妃さまには、護衛についてはご心配ないと申し上げても良さそうだな」
セイリアは身を乗り出した。カーター医師が、信頼を示した。
「側妃さまを知ってるんですね」
「仮にも王家の専属医だからな」
それから彼はルウェリンを心配そうにチラッと見た。その意を汲み取ってセイリアは先回りする。
「ルーなら大丈夫です。ね、ルー。ばらすくらいなら死を選ぶのが騎士でしょう?」
ルウェリンはびしっと決めて、神妙に頷いた。
「はいっもちろんです!」
カーター医師は疑わしげだった。
「だが、こんな子供に……まあいいか」
諦めたようだ。
「側妃さまは……そうだな、わしから言えるのは、王妃さまととても仲がよろしかったということだ」
「王妃さまと?」
一人の夫に仕える妻同士は、普通いがみ合うのではないだろうか。
「ギルダ王妃はカレン側妃を……なんというか、妹のように、いや、それ以上に大切になさっていた節がおありだった。王家の大きな謎だな。身分が下の、それも民間出身の側妃に、王妃はとても丁重に接されていた。二人とも同じ夫と子まで為したのに」
変だ。もし自分が王妃なら、とセイリアは考えてみた、例え相手がセレスのような子でも嫌だと思った。ますますわけが分からない。
「じゃあ、なんでカーティス王子はあんなにシェーンを目の敵にするの? 王妃さまの教育じゃないのなら」
「単純な嫉妬だろう。事実、シェーン王子が太子になるまでは、彼が太子の第一候補で、どの王子よりも大切にされていた。国王になるための教育を受けていたのは彼の方だった。王の子であれば誰でも太子になれるとは言え、基本的には長男継承だしな。むしろシェーン王子とアーネスト王子はほとんど幽閉だったはずだ」
セイリアはぞっとした。……幽閉?自分なら気が狂ってしまいそうだ。
「カーティス王子はもう18になろうとしていた。誰もが戴冠が近いと思っていた。カーティス殿下にとっては、輝かしい日々の始まりのはずだった。颯爽と現れた弟が、その才を宮廷中に知らしめるまでな」
「はい?」
何の話か分からないセイリアの隣で、ルウェリンがあっと声を上げた。
「リキニの事件ですね!」
「そうだ。……お前、知らんのか?」
セイリアは記憶をたどってみた。九歳だったはずだ。……だめだ、城下で餓鬼大将をやっていた記憶しかない。
「すいません、知りません」
「お前本当に子爵の息子か?」
「……肩書きと遺伝的には一応」
カーター医師は溜め息をついて、説明した。
「この大陸には、国境沿いに少数民族が多いだろう。六年前、少し大きな反乱があってな。リキニ河で大きな戦いがあった。……膠着状態が一週間も続いてな。陛下もカーティス殿下も頭を抱えていたのに、シェーン王子の提案通りに事を運んだら、全部解決してしまったそうだ」
「シェーンは何を提案したんですか?」
「本人に聞け。わしが知ってるのは人伝いに聞いた噂だけだ」
ふーん、とセイリアは、自分の背後で夢の世界を旅している王子を振り返った。
「……そんなに頭良かったんだ、シェーンて」
カーター医師は苦笑した。
「その一件があってから、陛下はシェーン殿下を傍におくようになってな。反乱は鎮圧され、被害も最小限で済み、敵の首領も捕らえた。そしてシェーン殿下が太子になった。カーティス王子にしたら、天地がひっくり返ったようなものだ。自分の立場を、ほとんど会ったこともない弟に奪われたのだからな」
「……」
そう言われてしまうと、カーティス王子の気持ちも分からくもない気がした。
「シェーン王子は確かに聡明でいらっしゃる。四人の王子の中で、殿下をおいて国主に相応しい者はおるまい。だが、あまりに急な立太子に際して敵を多く作り過ぎたんだな」
カーター医師はふうと息をついた。側妃の子であり、第三王子であり、全く目を向けられていなかった王子が、突然未来の国王に決定した。
「わしが知る限りのことは話したぞ。満足か?」
セイリアもルウェリンも呆然としていた。
「……王家に生まれなくて良かった」
しみじみ言ったセイリアは、カーター医師の目をのぞき込んで言った。
「カーター先生、シェーンをすごく可愛がってる口調ですね」
カーター医師は少し驚いたようだった。
「そうか?」
「違うんですか?」
カーター医師は考えるように、あごひげをなでた。
「まあ、小さい頃から知ってたしな。情は移っとるのかもしれん」
「……素直じゃない言い方」
「何だと。親切に頼まれたことを教えてやったのに、その態度はなんだ」
だが、言い合いはそこで中断となった。眠ったままのシェーンが、寝言で爆弾発言をした。
セイリアの背後でうーんという唸り声がして、シェーンが寝返りを打った。
「……セイリア……」
――!!?
セイリアは仰天してシェーンを凝視した。セイリアが女の身で護衛をしている事情を知らない二人が目の前にいる所で、そんなに会ったこともないはずの“ヴェルハント子爵の令嬢”の名を呼ぶとは何事か。
「……言いたい放題……そっちこそ……ん……」
口喧嘩している夢を見ているらしい。一方、セイリアの隣と後ろで、カーター医師とルウェリンが衝撃的発言を聞いて固まっていた。
「えっ、あの、セイリアって……アース殿のお姉さまの名前ですよね?」
セイリアは彼らが自分が恐れているのとは違う解釈の仕方をしているのに気付かず、ぱくぱくと口を動かすだけで声を発せずにいた。
「驚いた」
カーター医師も呟いた。
「シェーン殿下にはもういい人がおありだったのか」
「はあ!?」
ようやく二人の解釈に気付いたセイリアは、首も千切れよとばかりに猛烈な勢いで振り返った。自分でも顔が赤くなっただろうなと思った。
「ちちち違います!」
「まあまあ、姉が大切だから複雑な気持ちなのは分かるが、良いことじゃないか。太子妃になるにはちょっと身分が低いが……まあそこは後で考えれば良いだろう」
そうじゃなくて、噂の張本人が目の前にいるんです、先生。セイリアは動けず、もう口をあんぐりと開けていた。ルウェリンが追い討ちをかけた。尊敬が顔からこぼれ落ちそうな表情だ。
「よかったですね! 姉弟揃って王太子さまに愛されて、こんなにすごいことってないですよ!」
「違うんだってばっ!」
カーター医師はにやにやしながら、一方的にセイリアを口封じした。
「それ以上騒ぐなら出てってもらうぞ」
シェーンが起きたら一発叩こう、とセイリアは心に決めた。
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