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カーター医師が入って行った時、シェーンは起きていた。寝間着姿だったが髪は括っていて、立てた枕に寄り掛かりながら書面を睨んで、例の考え事ポーズをしていた。
シェーンが顔を上げると、カーター医師の顔が見る見るうちに険しくなった。この人は根っからの医者なのだ。
「やっと起きて来てすぐそれですか。だから倒れたりなさるのですぞ」
抵抗は無駄だと経験から知っていたので、シェーンは肩をすくめただけでおとなしく書類を片付けた。
カーター医師は診察をしながら聞いた。
「陛下がいらしたのですな?」
「ああ」
「一言言わせていただかなければなりませんな。政務のせいでお倒れになられたのに、どういうおつもりなのやら」
敬語なのに無遠慮に聞こえるのがこの人の話し方の特徴だ。シェーンは苦笑しながら言った。
「伯父上が、ちょっとね」
カーター医師は少し目を上げ、また診察に目を戻した。
「あの方は、なんというか、先のどの親王よりも国王を脅かしておりますな」
シェーンは海色の瞳を閉じて、深く息を吐いた。
「そうだな。ハーストンの地を治めるだけじゃ、普通、あそこまで権力拡大はできない」
カーター医師は何も言わず、何の脈絡もなく、小さな袋を二つ差し出した。
「見舞いの品だそうですよ」
「え? 伯父上から?」
「まさか。カレンさまですよ」
シェーンは一瞬言葉が出なくなり、目を瞬いた。
「……母上から?」
まるで声に出すことで、自分自身に言い聞かせているようだった。シェーンは袋の一つを取り、開けた。中に入っていたのは、お菓子と小さな袋に入った何かの葉っぱ。カーター医師はそれを見てほう、と呟いた。
「庶民の知恵ですな。北の民がよく使う、疲労回復薬ですよ」
シェーンはしばし袋を眺めていた。幼い頃に母の部屋に忍び込んだ記憶がよみがえった。名残惜しそうに自分を追い出した、温かい手―― 。
ぎゅ、とその袋を握り締めて、少し経ってからシェーンは顔を上げた。
「そっちの袋は?」
すると、カーター医師はにやりと笑った。
「カードにはセイリア・ヴェルハントと書いてありますが」
シェーンは首を傾げた。アースが仕方無くセイリアの名を使ったのか、それとも本物のセイリアか。そしてカーター先生はどうしてにやけてるんだ?とりあえず袋を受け取って開けてみると、手に乗るくらいの大きさの箱だった。怪しんで試しに振ってみたが、ガサガサ音がしただけ。
そっとふたを開けてみたその瞬間。
びよよーんとバネ仕掛けのピエロが飛び出してきた。
なかなか勢いがよくて、危うくシェーンは顎にピエロの頭突きをくらうところだった。ピエロは手にカードを持っている。
「健康第一!しっかり休んでタヌキから人間に戻ってね」
シェーンはぷっと吹き出し、そのままげらげらと笑い転げた。カーター医師が目を丸くして見ていたが、それも眼中になかった。セイリアだ。こんな見舞品を贈ってくるのはセイリアだけだ。さっきまでのしんみりした空気はすっかり吹き飛んでしまった。ようやく笑いがおさまった頃には、薬を飲んだより何倍も元気になった気がした。
カーター医師はふーむと言ってピエロを見下ろした。
「姉弟そろって変わった子たちですな。殿下の恋人はよくこういうことをなさるのですか」
シェーンはぽとっと箱を取り落とした。
「恋人?」
「寝言でセイリア嬢の名前を呼んでおられましたよ。アースの坊っちゃんも慌てていて……」
「えっ、セ……じゃない、アースもそれ聞いてたのか!?」
カーター医師が頷いたのを見て、シェーンの顔が青くなり、赤くなり、白くなって落ち着いた。カーター医師がにやりとした。
「殿下も恋愛事に関しては、ポーカーフェイスができぬようですな」
「……余計なお世話だ」
いつもはあれだけ回る舌が、何でこんな言葉しか吐けないのやら。案の定カーター医師のにやにやは止まらなかった。
「どこが好きになったんで?」
「……先生、いい加減無礼だよ」
「おやおや、昔から診てきたわたしにその口はなんですか」
シェーンは言葉に詰まり、もごもごとした後、抵抗を諦めることにした。
「……その、どこがとか、そんな部分的じゃなくて、彼女の、何と言うか、生き方が好きなんだ」
「ほう……深いですな」
「彼女はいつも命にあふれてて、眩しいくらいに輝いてる。いつも真っ直ぐ、ためらうことなく前に進んで行ける人なんだ。ああいう女の子を、僕は他に知らない」
目を閉じれば、豪快な笑顔が太陽のように瞼の裏に浮かんでくる。シェーンは考え、言葉を選んで、自分が語り始めた自覚もなしに言った。
「傍にいるだけで、楽しくて嬉しくて、自分はこんなにたくさんの感情を持ってたんだなぁ、って思うんだ。今日、この箱をもらって、やっぱりそうだと思った」
「………」
「いつも笑って、怒って、減らず口をたたいてちょっかい出してきて……」
シェーンはやっと自分が語り過ぎていることに気付いて口をつぐんだ。隣りを見てみたら、カーター医師はまだにやけていた。
「惚気ておられますな」
「先生が言えと言ったんだ」
「言い訳にしか聞こえませんぞ」
カーター医師は笑って言い、立ち上がった。
「惚気たり言い返したりする元気は戻ってきたようですな。わたしはそろそろ行きますぞ。セイリア嬢の言う通り、ゆっくりお休みなされ。でなければ彼女にも会いに行けませんでしょうが」
やっぱりにやにやしながら、カーター医師は部屋を後にした。シェーンはもう一度ピエロを見下ろしてカードを読み、溜め息をついた。
その頃、セイリアはというと、ハウエルとレナードの前でメアリーに叱られていた。
「散らかしっ放しの部屋に殿方を入れる令嬢がありますかーっ」
恥ずかしさで赤い顔をしながら主人を追い立てる侍女と、侍女に追い立てられて紙屑やら針金やらを片付ける主人を、ハウエルとレナードは呆然と見つめていた。
「セイリア? それで何を作ってたんだい?」
ハウエルに聞かれ、セイリアはメアリーと並んでぜっせとゴミを運びながら答えた。
「シェーンへのお見舞品」
「見舞品……に、どうしたら針金が使われるんだい?」
「だってこれ、びっくり箱の材料だもの」
セイリアの説明を聞いたハウエルは大笑いした。いつもは無表情なレナードすら肩を震わせていた。それから二人は、普通は見舞品にこんなものを贈るのだと、とくとくとセイリアに一般常識を教えた。
今日は、ハウエルは遊びに来たわけではなかった。最近彼は忙しいらしい。あまり話ができないまま、彼は父と書斎に籠ってしまった。
セイリアは久々に、レナードと二人になった。
レナードは明らかに、セイリアのドレス姿に戸惑っていた。村娘姿と騎士隊の制服姿しか見たことないので、令嬢なセイリアにどうしたらいいのかわからないらしい。
「別人に見える?」
セイリアが聞くと、レナードは頷いた。
「何と言うか……まともですね」
「失礼ね。どんな風になると思ってたのよ」
「……リボンとか、レースとか、似合わないと思ってました」
「まあ……うん、好きで着てるわけじゃないのよ。侍女が着せたがるだけで」
セイリアは溜め息をついて、ドレスを見下ろした。
「ドレスなんて、相当大きなパーティーでもなければ本当は願い下げなのよ。
動きにくいし裾は踏むしでさんざんよ」
セイリアが言うと、レナードは少し苦笑した。セイリアはパーティーという単語でふと思い出し、レナードに向き直った。
「そういえばレン、あなたどうして自宅のパーティーに出なかったのよ。招待主の息子でしょ」
「父に、出るなと……」
「何で?」
レナードは淡々と答えた。
「言いませんでしたか。俺は養子なんです」
「うん、聞いた。でも理由になってない。そういえばセレスは一度もレンの話をしたことないわ」
「セレスティアとは話をしたことがないので」
セイリアは眉をひそめた。
「ますます変じゃない。どうして? 何か事情あるの?」
レナードはしばし沈黙した。
「……本当は、セレスティアとは従兄妹なんです」
「いとこ?」
「はい。母は……母は、公爵の妹で、望まぬ妊娠の末に自害しました」
セイリアはぎょっとした。
「……え、父親は?」
「知りません」
事情を悟って、セイリアは何を言ったらいいのか分からなくなった。
「……そ……っか。大変だね」
レナードはほんの少し笑った。
「慣れました」
セイリアも笑って返した。
「うん、それよ。へこたれないで前に進むのは大切なことよ」
レナードは微笑んだまま少し俯いた。
「……そうですね」
そして彼はふと顔を上げた。
「ああ、ヴェルハント殿、俺、アーネスト王子の誕生祝賀には出ますよ」
「アーネスト? あ、シェーンの弟ね。そういえば誕生祝賀なんてやるって言ってたわね。うん、あたしも出るわよ。護衛としてだけど」
「ヴェルハント殿、その事なのですが、大尉から情報がありまして」
レナードは声をひそめた。
「……王兄ハーストン公爵も、出席なさるそうです」
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