The King's Brother
王兄

 

「姉さん、何やってんの?」
「見れば分かるでしょ。縫い物よ」
「……女らしい……」
「何よ、その意外そうな声は」
「お嬢様って、お裁縫だけはお得意なんですよねー」
「……みたいだね」
「だってこの、布に針をぶっ刺す時のぷすってのが楽しくって」
「……姉さん、それ、かなり危険思考だよ」


 いつかの収穫祭パーティーと同じくらいには豪華なパーティーと言えた。ドレスがすっかり冬仕様になって、女性たちの露出度が減った代わりに装飾が増えて厚ぼったくなった。
 シェーンの弟くんは予想していたよりはしゃいでいなかった。自分が今日の主人公だということを心得ているようだ。セイリアは一応プレゼントを持参していたが、なかなか弟くんは一人になってくれず、いつ渡せば良いのか分からない。ので、シェーンをつっついてみた。
「シェーン、これどうやって渡せば良いと思う?」
 正装に身を包んだシェーンは目を瞬いた。
「プレゼント、持参したの?」
「そうよ。……えっと、もしかしなくても非常識?」
「普通は事務官を通すね」
 もうこの程度のことに呆れることもなくなったシェーンは言って、それからコンコンと咳き込んだ。まだ体が本調子ではないのだ。
「僕ほどじゃなくても、アーネストもそれなりに狙われてたりするからね、一人にはならないだろうよ」
「そう……。まあいいわ。しばらく様子を見てみる」
 セイリアは言いながら、横目でちらちらとシェーンを見ていた。彼の正装姿を見るのは久々だった。その姿は記憶にあるより凛々しく、そしてセイリアはハッと、彼の背が伸びたことに気付いた。
 自分との丈の差が広がっている。ふいにドキリとして、セイリアは目を逸らした。変な気分だった。

「セイリア」
 ふいにシェーンが言った。
「……あそこの男だ」
 シェーンの視線の先を追うと、くすんだ金髪の男が目に入った。いかにも権力ある人間といった風情で、威風堂々ぶりは国王に勝るほどだった。年は五十代半ばほど、初老だが、むしろ若々しいほどのエネルギーを感じた。
「王兄ハーストン公爵……」
 セイリアは呟いた。あいつが王宮の混乱の大部分の元凶か。
「あたし、挨拶した方がいい?」
「まあ、その時が来たらね」
 シェーンはちらりと周りを見回した。
「今日はあのおチビはいないの?」
「え? ルーのこと? うーん、来るとは言ってたけど」
「……おいおい、ルーズな主人だな」
「まあ、道にでも迷ったんじゃない?」
「毎日王宮に来てるのに?」
「ほら、いつもはうちを経由してるから、自宅からどうやって来るのか分からなくなったとか」
「仮にも太子の護衛の従者なのに……」
「まあ、愚痴なら人選をした騎士隊長にね」
 セイリアも、出席者の顔触れをざっと眺めてみた。
「ランドル王子もカーティス王子も来てるのね」
「まあね。ああ、大尉の妹さんがいる。ちょっと隠して」
 本気で苦手そうに言うのでセイリアは苦笑した。
「アマリリスは苦手?」
「まあね……妄想過剰というか、女王気質というか」
「いまはセレスに絡んでるみたいだから、当分大丈夫よ」
 そして、アマリリスがいるということは、とセイリアは目をこらした。やっぱり。ハウエルもレナードと一緒にいた。ちょうどハウエルもこちらを向いたところで、目が合うと彼はニッコリ笑って、軽く会釈した。セイリアも会釈し返すと、シェーンにイライラと腕をつかまれた。
「あっちに行こう」
「え? でもちょっと大尉に挨拶を……」
「行こうったら!」
 よく分からないが、シェーンの機嫌が悪そうなのでついていくしかなかった。

 シェーンはぶらぶらと目的なく歩き回り、要人を見つけては挨拶ついでにさりげなく情報交換した。改めてみてみると、この国って結構貴族が多いものだ。
 歩き回っているうち、セイリアはたびたび視線を感じた。セレスだったこともあったが、彼女の親しげなそれとは違い、探るような視線を何度も。セイリアは何度か周りを見渡してみて、その視線がなんと王兄からのものだということに気付いた。
「シェーン、シェーン」
 セイリアは冷や汗を噴いて、シェーンの袖を引いた。
「あんたの伯父さん、さっきからあたしを睨んでるわ」
 シェーンは振り返り、少し目を細めた。
「……こういう席で騒ぎを起こすほど、ばかな人じゃないと思うけど」
 シェーンは低い声で言った。
「なんだろう。単に君を調べてるだけならまだいいけど」
 セイリアはちらりと王兄の後ろ姿に目をやり、思い切って言った。
「ちょっと話してくる」
「はあ!?」
 シェーンは驚き、まったく、と天を仰いだ。
「君、分かってないね。それ、今までで一番の爆弾発言だぞ」
「王兄だろうと公爵だろうと、同じ人間でしょうが。何で怪物に会いに行くみたいにビクビクしなきゃいけないのよ。行ってくる」
 シェーンの制止も振り切って、セイリアは迷わず親王の方へ歩いていった。

 彼は別の誰かと話していたが、セイリアがよどみない足取りで自分の方へ歩いて来るのを見て、ちらりと面食らった表情をのぞかせた。セイリアが彼のところにたどり着く前に、彼は相手との会話を切り上げ、真正面からセイリアを迎えた。並んでみると背の高い人で、セイリアはだいぶ見下ろされる形になった。
「さて」
 彼は落ち着いた、唇をあまり動かさない、どこか粘っこい声で言った。
「アース・ヴェルハントだったか。何か用かね」
「こっちの台詞です。しょっちゅう視線を送られるより、私としては直接話してくれた方が嬉しいんですけど」
 ハーストンの姓と地を賜って臣下に下った王兄は、声を上げて笑った。
「なるほど。威勢が良い子だな」
 そして彼は軽くあたりを見回した。
「ここではあれだ、外に出て話そうではないか」
「あなたと二人だけで?」
 セイリアが警戒すると、王兄は腰にさしていた剣、それに上着のポケットの短剣を出してセイリアに差し出した。
「君に預けよう。わたしはこれで丸腰だ。他意はない。どうだ?」
 セイリアは少し迷ったが、頷いた。


 中庭は冬の風が吹いていて、身を切られるような寒さだった。セイリアはフォード・ハーストンの後ろについて、ベンチの近くへ歩いていった。ハーストン公爵は足を止めると、自分の方から口を開いた。
「君は世間話をしてから本題に入る方が好きかね?」
「いいえ」
「であろうな」
 親王は笑った。
「では単刀直入に話そうではないか。わたしはかねがね君の噂を聞いていてね」
 彼はもったいぶるように間をとった。
「騎士隊の成績も調べた。君は騎士隊の意味を知っているかね?」
 セイリアは首を傾げた。親王は笑う。
「知らぬようだな。なぜ兵士と騎士は別々なのだと思う?」
「役割が違います。兵士は団体で動きます。騎士は個々で仕事をします。実際、騎士隊は騎士に隊列を組ませるためではなく、騎士を管理するための機関ですし」
 ふむ、と親王は頷いた。
「騎士の仕事といったら?」
「え? 護衛とか、伝令とか、あとは雑務……」
「では、雑務の内容は?」
 セイリアはしばし、彼はどこに向かって会話を進めているのだろうと悩んだが、急にひらめいた。
「スパイですね」
 太い笑みが相手の顔に閃いた。
「物分かりがよいな。そうだ。オーカストにおけるスパイはどこで教育していると思う? 騎士隊なのだよ、アース・ヴェルハント」
 セイリアは足に根が生えたようにぽかんと立ちつくした。急いで頭の中で、自分が受けた訓練の内容を思い返した。確かに―― 確かに、そうだ。建物への忍び込み方、気配の消し方、習った全てが、確かに密偵として役に立つ技ばかりだ。騎士隊という、どの国にもある公明正大な機関の、所属する人間にすら気付かせない裏の訓練。
 セイリアは自分の動揺を鎮めて、息を吸った。
「それで?」
「君はその騎士隊で常にトップクラスだった。今も太子の護衛として才能を遺憾なく発揮している」
 セイリアはじれったくなってきた。
「褒め言葉は嬉しいんですけど、シェーンを狙ってる人間が、護衛の私にそういうことを言ってるのを聞くと、腹を探りたくなります。そもそも、単刀直入に入るんじゃなかったんですか?」
 まったく物怖じしないセイリアの態度に、王兄はさらに笑った。
「では、腹を明かそうではないか」
「やっとか」
 セイリアは呟き、相手の刺すような視線を油断無く受け止めた。髪が、凍るような風にあおられる。

 彼は言った。
「わたしは君を引き抜こうと思うのだ、アース・ヴェルハント」




最終改訂日 2006/08/28