The Reply
返答

 

「あなたは思ったより頭の悪い人ですね」
 セイリアは呆れて返した。王兄は目を細めて眉をひそめた。
「不敬罪という言葉を知らぬのかね、君は」
「だって、敵を味方に引き込んでどうするんですか。私、あなたの情報をシェーンに流しますよ」
 それに、とセイリアは言った。
「騎士の忠誠心がそう簡単に揺らぐと思ったら大間違いです」
 王兄は動揺も見せずにふむ、と唸った。
「こうは思わないのかね? 知っての通り、わたしは弟にも匹敵する権力を持っている」
 セイリアは、彼が“国王”と言わず、“弟”と言ったのを耳聡く聞きつけた。
「ただで君の能力を買おうとは思わぬよ」
「言っておきますが、お金も地位も領土も名声も、別に欲しくはありません」
 親王は眉を寄せた。
「では、こうは思わないのかね? 君が断った場合には、それなりの制裁を用意してあると」
 これにはさすがのセイリアも一瞬沈黙した。
「えっと……例えばどんな?」
「そうだな……刺客や子爵の爵位剥奪、君の姉君を人質にするのでも良いが」
 なんだその程度か、とセイリアは思った。刺客にやられるようでは護衛なんてつとまらないし、爵位を奪われて貧乏になったとしても、訓練のおかげでサバイバルには慣れている。
 姉君というのはセイリア自身だ。例え親王の手下が家に押し入ってきたとしても、
アースは別に女装しているわけじゃないから“子爵の令嬢”とは間違えようが無く、セイリアをさらおうとしても、おとなしくさらわれるような彼女ではない。セイリアはにっこりして、帽子を脱いでお辞儀をした。
「では、交渉決裂ですね。剣はお返ししますよ。お引き取りくださいな、公爵サマ」
 親王でも王兄でもなく、セイリアは公爵、と呼んだ。彼の顔から笑みが吹き飛び、射抜くような冷たい目でセイリアを見下ろした。
「残念だ、アース・ヴェルハント」
 彼は剣を受けとると、マントを翻して回廊へ向かいながらセイリアに捨て台詞を投げてよこした。
「それならば、どんな制裁を受けても文句はないな?」
「もちろんありますとも」
 セイリアは答えた。
「私はシェーンの騎士です。主人に忠実であることを罰されたら、文句がないわけないじゃないですか」
 彼は一瞬立ち止まり、セイリアに一瞥をくれてから再び歩き出してその場を去った。

 入れ違いに、シェーンが出てきた。伯父とすれ違った際、双方睨み合ったようだった。シェーンはセイリアを見つけると、傍目にも分かるほどほっとした顔になって駆け寄ってきた。
「よかった……無事だね?」
「余裕よ。伊達にあんたと口喧嘩してないわ。勝ったわよ」
 セイリアはブイサインをしてみせた。
「何を言われた?」
「ええとね、あたしを引き抜きたかったらしいわ」
「で?」
 セイリアはシェーンを睨んだ。
「承諾すると思ったの? 餌で釣ったり脅しに屈したりするほど、安いあたしじゃないわよ」
「でもほら、君の家に何かあったら……」
 するとセイリアはふふんと鼻を鳴らした。
「仮にも爵位の者が、そう簡単に潰されてたまるもんですか。かかってこい、よ」
 シェーンは苦笑した。
「君の家の男衆にも、君ほどの気迫があればいいんだけどね……」

 その時、白いものがふわふわと落ちてきた。
「あ、雪!」
「本当だ。今年は遅いね」
 二人はそろって空を見上げた。
「どうりで寒いはずだ。セイリア、中に入ろう。風が強い」

 中に入った途端、甲高い声に呼ばれた。
「アース殿っ! 遅れて申し訳ありませんっ」
 ルウェリンだった。もう本当に申し訳なくて死にそうな顔をしている。セイリアは笑った。
「道にでも迷った? 家から直接来るのは初めてでしょう」
 ルウェリンは目を丸くした。
「どうして分かったんですか?」
 セイリアの予想が当たるとは思っていなかったシェーンは、呆れてしまって額を押さえた。

 ルウェリンは始終キョロキョロしていた。まだ12歳だし、爵位を持つ家柄でもないので、これ程大きなパーティーに出るのは初めてに違いない。セイリアが注意しても視線がさまようのだから、この好奇心の旺盛さは重症だった。
 しかし、さすがにセレスがセイリアに話しかけてきた時は、まわりの様子ではなくセレスに目を奪われたようだった。
「失礼をお許しくださいませ、シェーン殿下。アース殿をほんの一時、お貸し願えませんか?」
 完璧な作法に、ルーはもうセレスに骨抜きの状態だ。顔のしまりが全部緩んでいる。シェーンは困ったようにセイリアを見、セイリアはそれが、護衛が欠けると不安なのだという意味だと思って、ルーの背中を力一杯叩いた。ルーは「へにゃひっ」と奇声を発して覚醒した。
「ルー、少し仕事を任せていい?」
「へっ」
 ルーは目をパチパチと瞬いた。
「えっ、えっ、僕がですか?」
 すっかりこの大役に興奮しているようだ。こいつじゃ不安だとシェーンがありったけの念を込めてセイリアに視線を送ったが、セイリアはシェーンに「すぐに戻ってくるから大丈夫よ」と囁くと、セレスについていった。

 セレスは人気のないバルコニーに出た。二人だけで隠密な話のようだ。屋根付の場所だったから雪はかぶらないが、それでもすごく寒い。セレスが身震いしたのに気付いてセイリアは上着を脱いだ。体を壊させてしまっては大変だ。
「着て」
「あ、いいえ、そんな……」
「いいから」
 セレスは迷ったが受け取ってそれを羽織り、黙ってセイリアを見上げた。超のつく美少女に見つめられてしまうと、同性と言えども決まりが悪い。
 セイリアが対応に困っていると、セレスが口を開いた。
「アース殿、前の夜会でわたくしが申しましたこと、お考えくださったでしょうか」
 思い詰めたように言われて、セイリアはむぐっと言葉に詰まった。このことを話したかったのか。さっき呼ばれた時に断れば良かったとほとほと後悔した。
 そりゃあ、このことについては幾度も考えた。だがどうしたら傷つけずに断れるのか、の結論はまだでていないのだ。セレスは続けた。
「あなたはいつも、わたくしに優しくしてくださって、紳士でいらっしゃいます。
今のように気遣ってくださったり……。御好意を持っていただけていると思ってよいと思っていました。でも、なぜ返事をくださらないのです?」
「セレス……あのね、私は例え相手が女神であっても、女性からの好意は受け取れないことになってて……」
 セレスは首を傾げた。
「なぜですの? 何か誓いでも立てて?」
「いや、そういうわけじゃ……」
 ばらすか? ばらすのか? この場で彼女が卒倒する危険を犯して?
「何というか、その……生理的に無理があって」
「あら」
 どう勘違いしたのか、セレスはちょっとショックを受けた表情をして頬を赤らめた。
「あの……その、アース殿のお体に不都合があってもわたくしは構いませんわ。お応えいただければそれだけで一生分の幸せに値しますもの」
 健気なことを言うが、なんだか話の主旨が伝わってない気がする。
「不都合は不都合でも、この類いの不都合はセレスがよければいいって問題じゃないんじゃない?」
 御互い、論点がずれたまま会話が進行していることに気が付いていないようだ。
「そんなことはありませんわ。わたくしには兄がいるのです。兄と話したことはないのですけれど……ともかく、わたくしに子供ができなくても兄がいます。公爵家は安泰ですわ。子爵家にもアース殿のお姉様がいるではありませんか」
 ここでようやく、セイリアは「ん?」と思った。
「ちょっ……待って、セレス。私が子供のできない体だと思ってるの?」
「え? そういう意味ではなかったのですか?」
 これでは始めから説明し直さなくてはとセイリアは頭を抱えた。


 その時、二人の足下で音がした。振り向くと、バルコニーの柵の向こうから手がのびて手摺をつかんだ。ぎょっとして見ていると、男が二人顔を出した。セイリアとセレスを見つけて向こうもかなりびっくりしたようだが、一瞬動きを止めただけで構わずに上ってくる。服装からして下級貴族だろう。
 セイリアはようやく我に返ってセレスを後ろに庇った。
「すみませんね」
 一人がいった。
「ここまで来てしまっては戻るに戻れないのですよ。ちょっと見逃してもらえませんか。招待状がなくて表から入れないもので」
 丁寧で愛想のいい口調だったが、顔は緊張でいっぱいなのが見て取れる。何か下心があるなと思い、セイリアは道を譲らなかった。
「何が目的で、こんな所から忍び込もうとしたんですか?」
 セイリアは言いながら剣に手をのばす。相手がわずかにたじろいだ。
「いえ、ちょっと情報収集に……」
「本当にそれだけ?」
 セイリアの疑い深さを挑戦的だと思ったのだろう、後からきたもう一人が剣を抜いた。
「つべこべ言うものではない。年長者には道をあけるものだ。黙って通したまえ」
 最初の一人が慌てて、「おいおい……」と仲間を止めようとした時だった。

 セレスが、バルコニー備え付けの椅子をむんずとつかむと、ものすごい勢いで侵入者二人に投げつけたのだ。いかにもか弱そうな、儚げなお嬢様の突然の攻撃に、二人とも反応できず、椅子は見事に二人に命中した。侵入者は変な悲鳴をあげたかと思うとそのまま潰れた。
 セイリアは声もでなかった。侵者を前にして、護衛騎士の出る幕がなかったのである。セレスは肩で息をしながら、その場にへたりこんだ。どうやらいったんエネルギーを使い過ぎると後からエンストを起こすたちらしい。
「セ、セレス……すごいね」
 セレスは首を横に振った。
「大切な方が大変な目にあわれている時に、何の役にも立てないのは嫌ですもの」
 好きな人のピンチとあらば、悪女を演じたり、出せるはずもない怪力を引き出したりする。すごい女の子だとセイリアは思った。
「ねえセレス、あなたは私には勿体ないと思う……」
 セイリアは心からそう言って、それはセレスに対する、一番差し障りない“返事”となった。




2006.08.30