The Circumstances of Each Home
お家事情

 

 侵入者二人は、本人たちの申告通り、単に情報集めのためだけに忍び込みに来たようだったが、セイリアとセレスの通報によって呆気なく王宮の外へ放り出された。
 この事件は思った程には噂にならなかった。この程度の事件は珍しくないらしい。
「情報大国オーカストにおいて、情報集めのために、こういう馬鹿をすることはよくあることだからね」
 シェーンは訳知り顔でそう言った。

 しかし、今日の主人公は黙っていなかった。自分の誕生パーティーで事件を起こされては黙っていられないということらしい。現場にいたセイリアをつかまえて、ひどく事情を聞きたがった。ルウェリンも好奇心丸出しで、セイリアは一部のやじ馬な人達を相手に武勇伝を聞かせるハメになった。
 セレスが必死に「恥ずかしいから言わないでくださいまし」と頼み込んできたので、椅子を投げて侵入者を仕留めたのはセイリアということになっていた。噂になってはセイリアが困るので、セレスと二人でバルコニーにいたのはセイリアがセレスに呼び出されたからではなく、たまたまバルコニーで出くわしただけだということにもしておいた。

 しかし、おかげで話が終わった後、アーネスト王子をつかまえることができた。
「これ、プレゼント」
 言って包みを差しだすと、アーネストはプレゼントとセイリアを交互に見比べて、睫をパチパチさせた。
「ぼくに?」
「他に誰がいる?」
 アーネストは早速プレゼントをひったくると、その場で包みを開いた。クマのぬいぐるみと、粗末な服が一式。
「こんなので遊ぶ歳じゃないよ」
 アーネストはぬいぐるみを掲げて、しげしげと眺めながら言った。セイリアは言い返す。
「その割には物珍しそうに見てるけど?」
 アーネストは赤くなって頬を膨らませた。
「ぬいぐるみなんて、一個も持ってないんだもん」
「でも、そんなので遊ぶ歳じゃないんでしょ。いらないなら返してくれていいよ」
「やだっ!」
 アーネストはとっさにぬいぐるみを抱き締め、それから思い切り正直な反応をしてしまったことに気付いて、また頬を染めた。セイリアは吹き出した。
「その反応、シェーンの弟に間違いないね」
 素直じゃないところがそっくりだ。それからアーネストは粗末な服の方を手に取った。
「これは何のつもり?」
「あまり外に出られないって聞いたから」
 セイリアは、シェーンもアーネストも半ば幽閉されていたのだという情報を、ずっと心に留めていたのだ。
「だから、強行突破お忍びのための変装用」

 沈黙。

 ルウェリンだけが、感心したようにぽんと手を打った。
「なるほど! 素晴らしいお気遣いですね、アース殿!」
 そばでこの様子を見守っていたシェーンと、アーネスト本人は、一瞬あんぐりと口を開けた。その直後、二人とも声を上げて笑い出した。周りが驚いて振り返ったくらいだった。どうもまた非常識なことを言ったらしいとセイリアはわけが分からず首を傾げた。

 その時、お茶目な瞳をした男がやってきて、笑い含みに言った。
「聞いておったぞ。まったく、王子の脱走を手助けしてどうする。侍女を泣かせるつもりかね、アース」
 国王その人だ。
「父上」
「陛下」
 皆がお辞儀をした。国王は顔を上げるようにと手を振ると、末の息子に笑いかけた。
「楽しんでいるようだな、アーネスト?」
「はい、とても。ヴェルハント殿からこれをもらいました」
 アーネストは言って、ぬいぐるみを見せた。国王は、王子に贈るにはいささか不相応なそのプレゼントに驚いたようだったが、満足そうに頷いた。
 それからシェーンの方を向き、軽く手招きした。シェーンがそばに寄ると、国王は何かシェーンに耳打ちした。シェーンは眉をひそめ、二言三言返す。国王が頷いたのを見てから、シェーンはまたセイリアの傍に戻って来た。
「何だったの?」
「情報、さ。戦争の」
 シェーンは言った。表情は全く穏やかだったが、これはお得意のポーカーフェイスらしい。セイリアには、彼の目が真剣であることが見て取れた。
「というか、だぶん戦争に関係ある、だけど」
 しばらく一人思案していたシェーンは、「クロイツェル」だの「ヒース皇女」だのとぶつぶつ言っていたが、ちらりと広間の大時計に目を走らせた。
「セイリア、今日は子爵は来てたっけ」
「ううん、うちのお父様、社交界が苦手なの」
「そっか。じゃ、あと一時間ぐらいしたらここを出よう」
「え? この雪の中どこに行くつもり?」
 シェーンは誰も聞いていないかどうか、素早く会場を見渡した。
「君の家だよ。子爵とアースと、話がしたい」
 さっき親王のお誘いを手酷くフったばかりなのに、少人数で抜け出して大丈夫なんだろうかとセイリアは少し不安になったが、とにかく頷いた。


 名残惜しがるルウェリンを引きずり出し、雪の中、子爵家まで馬を疾走させたセイリアは、馬を降りた時には千鳥足の状態で、迎えたメアリーが扉を開けた時には、シェーンに寄りかかってヘラヘラと笑いを浮かべていた。
 アースは城の奥の部屋にいたが、それでもメアリーのギャーという叫び声は聞いた。何事かと思っていると、しばらくして王子が疲れた顔で部屋に入ってきた。
「王子様……今のは一体?」
「ちょっと、セイリアが酔ってしまってね。侍女がそれを見てパニックに」
 それからしみじみと言った。
「セイリアときたら、酔っていながら馬は普通に操ってた。さすがというか何というか」
 アースはさっと血の気を引かせて、思わず王子の腕を掴んだ。
「酔ったって……王子様、何を飲ませたんですか?」
「ブランデー。でも……」
「ブランデー!? ワインよりアルコール分が高いじゃないですか! 姉さんを酔わせてどうするつもりだったんですか?」
「どうするって……」
「変な事したら絶交ですよ、絶交!」
 シェーンはぽかんとした。
「僕じゃないんだってば」
「え?」
「飲ませたのは僕じゃない。オストール伯爵の令嬢だ。名前は確かアマリリス」
 アースはとんでもない方向に勘違いをしていたことを知って真っ赤になった。考えてみれば、恋愛に関してはこの王子だって奥手なのに、そんなやましい知恵が働くわけがない。
「あ……え……すみません」
 シェーンは苦笑した。
「酔ってても馬を操るセイリアだ、手出ししたところで吹っ飛ばされるのがオチ」
「……確かに」
 アースはもう恥ずかしいことこの上ない。すると、唐突にもシェーンがぽつりと「ありがとう」と言った。
「絶交、っての」
 何がありがとうなのか、キョトンとしていたアースだったが、すぐに理解した。「絶交」というのは友人間で使う言葉だ。友人がほとんどいないシェーンは、そういう言葉を使ってもらって嬉しかったのだ。アースは少し照れながら、言った。
「いいえ、その、これからもよろしくお願いします」
 シェーンは嬉しそうに笑った。

「あの、ところでシェーン王子、伯爵の令嬢が姉さんにブランデーを飲ませたって、どうしてですか?」
 シェーンは苦笑いをした。
「セイリアと彼女は折り合いが悪いんだ。セレスティア嬢から、セイリアが酒に弱いことを聞き出したらしくてね。で、セイリアを酔わせて恥をかかせようとしたらしい」
「そ、それで?」
「飲んでる横から、僕がグラスをひったくって、そのまま連れ出してきた。でも馬の上ですっかり酔いがまわってしまって」
 アースは申し訳なくなって、頭を下げた。
「すみません、誤解をして。そしてあんな姉ですみません」
 シェーンは少し笑いながら、ただ短く、いや、と言った。

「ところでヴェルハント子爵は?」
「上にいます。シェーン王子が急にお着きになったので、たぶん王子様がいらしていることにも気付いていないと思います。呼んできましょうか?」
「頼む。あ、待って」
 行きかけていたアースは足を止めて振り返った。
「何でしょう?」
「子爵はどうしていつも社交界を避けているんだ? 今日の祝賀にも来ていなかったし」
 ああ、とアースは複雑そうに笑った。
「母が死んでから、ずっとああです。もともと僕と同じで気が弱い人ですし、ショックだったのでしょう」
「……お母さん?」
 シェーンが慎重に聞くと、アースは頷いた。
「9歳の時です。リキニ事件に巻き込まれて……」
 シェーンの眉がピクリと動いた。
「リキニ?」
「はい。ちょうど所用があって、母は戦場の近くまで行ったんです」
 アースの語り口は静かだ。
「僕と姉さんも一緒でした。二人で駄々をこねて、一緒に行きたいと言ったんです。それで、僕たちが国境近くに差し掛かった時……」
 アースは少し息を吸い込んだ。
「活発化していた少数民族の一団に襲われて」
 暗い部屋で、火の明かりだけがぼうっと辺りを照らしている。シェーンは海色の瞳に、揺らめくろうそくの炎を映して、アースをみつめた。
「お母さんが、君達を庇ったのか」
「……はい」
「もしかして、君の対人恐怖症はそのトラウマ?」
 アースはかすかに笑った。
「もともとの性格もありますけどね」
「………」
 シェーンは窓の外に目をやった。

 雪がちらちらと舞っている。窓の向こうの闇に、セイリアの表情を思い浮かべた。いつかレナードと三人で道に迷った時、そういえばセイリアは「片親がいないのよ」と言っていた。しかも、いつもと変わらぬ笑顔で。
 それから、シェーンは今日手にいれた情報のことを考えた。クロイツェルに送った密偵からの情報だ。クロイツェル皇家の崩壊につながるかもしれない大きな秘密を――

 “ヒース皇女は、皇帝の本当の娘ではないかもしれない”

「……どの家にも、それぞれのお家事情があるんだな」
「え?」
 アースに聞き返されたが、シェーンは答えなかった。
「何でもない。子爵を呼んできてくれ」
 アースは首を傾げながらも、畏まりましたと言って頭を下げた。




2006.09.07