A Knight and a Duke
騎士と公爵

 

 白の季節がやってきた。北からの氷のような風が毎日吹き荒れて、さすがのセイリアでさえ外に出るのがおっくうに感じた。だが、シェーンに会いたかったらお勤めに行くしかないのだ。
 ルウェリンはというと、全く堪えていないようだ。セイリアと仕事できるだけで、興奮の熱でまわりの雪は溶けてしまうらしい。とにかく、あまり嬉しくない季節だ。こういう時期になると、回廊が多くて風が通り放題のアウステル宮殿のつくりが嫌になる。
 シェーンも書類を抱えながら、首をすぼめて寒そうに歩いていた。
「あんたはいいわよ」
 セイリアは言った。
「こっちは寒空の中、雪に埋もれながら来てるんだから……」
 初雪の後は、毎年1、2週間ほど吹雪くのだ。

 オーディエン公爵が、律儀にも雪の中王宮にきているのを見つけて、やっぱり真面目な人だなあとセイリアは思った。こっちが会釈したらなぜか睨み返されたのが、よくわからなかったが。
 シェーンの執務室前でルウェリンと二人で突っ立っておしゃべりしていると、久々に大尉に会った。
「あ、こんにちは」
 ハウエルは嬉しそうにセイリアに笑いかける。
「やあ。長いこと話してなかったね」
「だって最近、大尉ったら平気で何週間も王宮に来ないじゃないですか」
 ハウエルは少し苦笑した。
「仕事でちょっと外国へ行ってたんだ」
「外国?」
「そう。どうやらシェーン王子は私を君と会わせたくないらしいね……」
 ハウエルは独り言のように呟いた。
「え? なんで?」
「分からなくていいよ」
「気になるじゃないですかー!」
 セイリアの鈍さは本物である。
「ところで大尉、今日はレンはどうしたんですか?」
「お父上の命で、城下の自宅に謹慎中だよ」
 レンは既に自立しているから、従者として、やはり既に自立した大尉と同じ家に住んでいるのだ。セイリアは未成年のまま特例で護衛に抜擢されたため、実家から通っているが。
「謹慎て、どうして」
「公爵がレナードと王宮で顔を合わせたくないんだそうだ。大切な日にレナードの顔を見て気を散らしたくないんだろう」
「大切な日?」
 セイリアが聞き返すと、大尉は意味有り気な笑みを浮かべて言った。
「君もすぐに分かるよ」
 それから、少し顔をしかめた。
「喉が乾いたな。厨房はこの近くだったか」
 控えていたルウェリンは、活躍のチャンスとばかりに飛び出した。
「ぼくが頼んできますっ! 待っていてください!」
 そして、セイリアが何も言えずにいる間にぱたぱたと走り去ってしまった。ハウエルはその後ろ姿をしげしげと眺めて呟いた。
「……一人で暴走するタイプなんだね、あの子は」
「はあ……」
 セイリアは曖昧に返事をしてハウエルを見上げた。
「あんな口実でルーを追い払って、何を話したいんですか?」
「ばれてたのか」
 ハウエルは肩をすくめて笑った。
 そのあと、からかうような、咎めるような表情を浮かべる。
「オーディエン公爵は君とセレスティア嬢のことを非常に心配なさっていたよ、セイリア。どうして二人きりで、こそこそバルコニーに出たりするんだい?
婦人奉仕の騎士道にしても、度が過ぎているだろう」
「えっ」
 セイリアは面食らい、まじまじとハウエルの顔を見つめ返した。
「み、見てたの!?」
「私はみていないよ。公爵はしっかり目撃したらしいけれど」
 あちゃー、とセイリアは額を押さえた。娘に引き続き、公爵にまでとんでもない誤解をされてしまった。
 よほど公爵家はセイリアの鬼門とみえる。
「……公爵は何か言ってました?」
「君達がお互いに好いているんじゃないかと、それは不安がっておられたよ」
 セイリアは頬を膨らませた。
「そりゃ、セレスは好きよ。あんな良い子、好きになって何がおかしいのよ。けど向こうはあたしを男だと思ってるんだし、どう断れば良いって言うのよ」
 ん?とハウエルは身動ぎした。
「断るって……君、まさかもうセレスティア嬢から告白されたのかい?」
「……うん、まあ、その類いのことはされました」
 ハウエルは頭を抱えて、深い溜め息をついた。
「……それは、ますますこじれたね」
 それから、思い付いたように顔を上げる。
「そうだ、セイリア。アース護衛騎士の双子の姉が、誰かと婚約したとなれば、そのごたごたでアースが走り回ることになって、時間稼ぎができると思わないかい?」
 セイリアはじとりとハウエルを睨んだ。
「大尉……その誰かって誰ですか」
 ハウエルは悪戯っぽい目でウインクを飛ばす。
「そうだね、ハウエル・オストール大尉なんかどうだい?」
「大尉ったら!」
 大尉は楽しそうに笑い声を上げた。

 その時、ルウェリンが水の入ったコップを慎重に運びながら現れた。ハウエルは苦笑した。
「ルウェリン、水袋に入れてくれば良かったのに」
 ルウェリンは神経をコップに集中させながらそろそろと歩いてきた。
「でもっ、ぼくの、水袋から、飲んでいただいたら、申し訳っ、ないですから」
 妙なところで几帳面な子だ。危なっかしくて見ていられないので、ハウエルは自分からルウェリンの所へもらいにいった。
「あ、すみません」
「いや。……召使に運ばせなかったのはどうしてだい?」
 あ、とルウェリンは漏らした。
「すっかり自分で運ぶ気になっちゃってました……」
 ハウエルはハハハと笑ってセイリアを振り返った。
「アース、本当に面白い従者をもったね」
 セイリアは苦笑した。

 そしてルウェリンは思い出したように手を打った。
「ああっ、アース殿。厨房近くでオーディエン公爵にお会いしたのですが」
「えっ」
 セイリアはぎょっとした。
「アース殿とお話ししたいとおっしゃっていましたよ。太陽の間の、将軍像の前で待っているそうです」
 なんてタイムリーな。セイリアはあーあと天を仰いだ。ルウェリンは心配そうにセイリアの顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。騒動は慣れてるし」
 セイリアはしゃきっと背筋を延ばした。見習いの前で悪い手本になってはいけない。
「じゃ、少しの間、ルーを頼みますね、大尉」
 するとルウェリンが抗議した。
「ぼくはお守りの必要な子供じゃありません。見習いでも騎士です!」
 セイリアは立ち止まり、ちょっとその言葉に胸を打たれた。大尉もほう、と呟きルウェリンを見る。セイリアは言い改めた。
「そうだね。ルーも立派な騎士だものね。大尉、訂正します。ちょっとの間、私の代わりをよろしくお願いします」
「喜んで」
 大尉はにっこり笑って礼をした。ルウェリンも嬉しそうな顔をした。

 去るセイリアの背を、ハウエルの声が追いかける。
「早く帰ってきてしまうと王子が不機嫌なところに遭遇するだろうから、ゆっくりしてきた方が良いよ」
 意味はさっぱり分からなかった。

 指定された場所に向かう途中、セイリアはばったり国王に行き合った。妙な表情をしている。
「おお、セイリアか。どこへいく? シェーンはどうした?」
「ちょっとオーディエン公爵に呼び出しを受けたもので。……シェーンなら自分の執務室にいますよ」
「護衛の仕事はどうしたんだね?」
「オストール大尉に任せてきましたけど」
 国王はちらっと笑った。
「職務放棄を叱ってやりたいところだがちょうど時間がないのでな。また今度」
 それだけ言うと、彼は早足に立ち去ってしまった。今日はみんな様子が変だなぁと思いつつ、セイリアは待ち合わせ場所へ急いだ。

 公爵はすでに待っていた。いつも以上に厳しい顔をしている。そういえば今朝見かけた時に睨まれたっけ、と思い出した。原因はこれだったのか。セイリアが会釈をすると、相手も軽く返した。
「単刀直入に話そう、ヴェルハント殿」
 公爵はそう切り出した。
「君にはいつぞや助けてもらった借りがある。だが、わたしの娘と二人きりでバルコニーに出るとなると話しは別ですぞ」
「セレスとはただの友人ですよ」
 セイリアは言い返した。公爵の目が細まる。
「セレス、とな? 親しげではないか」
「友人を愛称で呼んだら変ですか?」
「貴殿は男女が二人きりでいることが友人同士のすることとお思いか」
 セイリアは大尉の言っていたことを思い出して反論した。
「騎士はご婦人に尽くすものです! ご婦人がそう望まれるのなら二人きりで相談を受けたりもします!」
 しかし口答えは公爵のお気に召さなかったらしい。
「いかなる理由だろうと娘に近付くことは止めていただきたい!」
「それはセレスが決めることでしょう!」
「何だと!」
「言っときますが私には好きな人が別にいますからね! セレスとどうにかなるなんてそもそも無理ですから!」
 公爵は気をそがれたようで、はたと口をつぐむと目を瞬いた。
「……本当か?」
「本当です」
 公爵は少し安心した顔をして、それから釘をさした。
「それならよいが、今後二人きりになることは許しませぬぞ。それに、セレスティアはな……」

 公爵の告白に、セイリアは―― あのセイリアが、気が遠のくのを感じたほどに衝撃を受けた。


 同じ頃、シェーンは自室にて、ハウエルの予言どおり、叫び声を上げていた。
「何ですって!? 父上、冗談じゃありませんよ!」
「公爵が冗談など言うタマか」
「お断りしてください!」
「しかしお前のことを考えると、いい後ろ盾に……」
「父上っ!!」
 国王は面食らったような顔をした。
「何をそんなに怒っているのだ、シェーン」
「事の次第全てにです。まさか、もう申し出を受けてしまってはいませんよね?」
 国王はそっぽを向いた。
「妃にと望んでいる者がいるなら、なぜさっさとそれを伝えないのだ? ふがいないぞ」
 カーターから聞いたのだろうと予想がついた。シェーンは親さえすくむほどの激しい目で国王を睨んだ。
「父上……仕組んだのですね?」
 国王は答えず、わざとらしく言った。
「はて、世にもぴったりな縁談だが、どうしたら破棄できるだろうか。わたしにはさっぱり分からぬなぁ……」
 シェーンは深い溜め息をつき、がっくりと肩を落とした。

 つまり、たった半日で、当人たちも知らない間に、シェーン王太子とセレスティア嬢の婚約が、勝手に成立していたのだ。




2006.09.15