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にっこり笑った大尉と、彼を見つけて思い切り引きつった顔の王子と。ルウェリンは危機回避本能が働いて、思わず脇によけた。ハウエルはにこやかに言った。
「災難ですね、王子」
「……大尉、噂を誰かに広めたのか?」
「さて。情報を手に入れたのは昨日でしたけど」
人の良さそうな笑みを浮かべ、青年は言った。
「傷心のセイリアは、きっとデートの申し込みを受けてくれると思いませんか?」
シェーンは冷たく笑った。
「うまく利用したな、オストール大尉」
「いえ、仕事の技術を応用したまで」
大尉は丁寧に礼をした。
「なにしろ私はセイリアと一緒にいられる時間を随分あなたに奪われてしまって、甚だ不利な立場ですからかね。これくらいの仕返しはさせてください」
「……太子に向かって言っている自覚はあるのか?」
「男としては、同じ土俵の上にいるはずですよ、シェーン王子」
シェーンは海色の瞳をキッと上げた。静かな声で尋ねる。
「……大尉、どこまでがあなたの意思で、どこまでが任務なのです」
意味深なものが含まれたその質問に、大尉は目を瞬いた。
「お疑いのようですから、はっきり申し上げましょう」
大尉も静かに返す。
「私はハーストン公爵のやり口には反対ですし、あなたが王子達の中で最も国王に相応しいと思っています。尊敬もしていますし、軍人として、あなたに忠誠も捧げています。しかし、だからといって全てあなたの言う通り、あなたの望む通りに動こうとは思っていませんよ」
シェーンは黙っていた。少し思案しているようだ。それに、と大尉は続ける。
「私は王子の臣下である前に、陛下の臣下なのですよ」
シェーンはわずかに息を吐いた。
「……父上の考えることは良く分からない」
「まあ、同感ですね。めちゃくちゃな方ではありますね」
シェーンは気を取り直して、ハウエルを見据えた。
「セイリアのことに関しては、絶対に譲らない。父上が僕の気持ちを試そうとしてるなら、婚約の話なんて破棄してやる。私情だけじゃない、僕は本気で、セイリアは王妃に相応しいと思っているから」
ハウエルもゆっくりと言った。
「破棄と言っても、国王の決定をどうひっくり返すおつもりですか? それに、セイリアに王妃の冠は似合いませんよ」
「だからこそ、相応しいと言っている」
やれやれとハウエルは首を振った。
「あなたの考えることも良く分からない」
そばで控えているルウェリンは、この二人が“自分の主人の姉”をめぐって争っているのを知って、驚いて声も出なかった。
それから大尉は、ふと顔を上げてさりげなく言った。
「そろそろアースが戻ってきますね」
「……っ」
シェーンはひくりと肩を震わせた。
「もう話したのか?」
「いいえ」
ハウエルは澄ました顔をする。
「でも、先程オーディエン公爵に呼び出しを受けていましたから」
シェーンは黙り込んだ。追い討ちをかけるように、ハウエルは笑う。
「嵐になりそうですね、王子?」
実際、嵐になった。セイリアは腹を立てていた。公爵にもシェーンにも腹を立てていた。公爵はまだいい、事情を知らなかったのだから。だが、シェーンはまったくこのことを話してもくれなかった。なんでそれだけでこんなに腹が立つのかはセイリア自身良く分からなかったが、結婚なんていうのは人生の中でも大事であって、そういうことは全部話してくれるものだと思っていたからショックなのだと自分で納得していた。
まあ、そういう難しいことは後で良い。とにかく、あたしは腹を立てるんだ。王宮なのでさすがに控えたが、本来なら床を踏み抜くほどに、怒りを込めて足を踏み鳴らしたい。
シェーンの部屋の前に戻ると、案の定シェーンは出てきていた。彼は表情が硬かった。そしてハウエルはいつもより更ににこやかで、ルウェリンはというと、助けてくださいよぅとでも言いいたげだったが、セイリアの表情を見て考えが変わったらしく、とりあえず失礼にならない程度にそそくさと退却した。
「やあ、お帰り」
ハウエルが爽やかに声を掛ける。セイリアはぎこちない笑みと会釈で返した。そこへシェーンが必死に割って入った。
「セイリア、公爵令嬢のことは……」
「シェーン、ルーの前なんだから」
セイリアは遮った。シェーンはセイリアの腕を掴む。
「なんか怒ってない?」
「怒ってる。でも、ルーも大尉もいるんだから」
「セイリア」
「ルーに聞こえるってば!」
「話を聞けよ!」
「離してよ!」
ルウェリンは事の成り行きに驚いたようで、セイリアとシェーンを交互に見つめると、気を利かせるつもりか、そそくさとその場を離れた。それを見て、大尉も名残惜しそうにしながら、シェーンにからかいの視線を送って去る。
二人の姿が角に消えたと見るや、シェーンはセイリアを引き寄せて早口に囁いた。
「いいかい、僕はまだ縁談にうんとは言ってないからね」
「でも、陛下が承諾したんでしょ」
「父上は僕を試したいだけなんだよ」
セイリアは眉を寄せた。
「試すって何を?」
シェーンは言葉に詰まった。何と言えば良いのだろう。結局、しばしの沈黙のあと、シェーンは明後日の方向に視線を流しながら言った。
「……事後処理能力とか?」
「今の間と目を逸らした理由をどうぞ」
「嘘は言ってないってば!」
「とにかくあたしは気に入らないの! 縁談があったなんて、なんで教えてくれないの? この間の夜会でセレスと踊ってたのだって、やっぱり下心あったんでしょ!」
「下っ……!?」
シェーンは絶句した。セイリアはふんと鼻を鳴らした。
「嘘つき。すけべ」
そのままくるりとシェーンに背を向けると、セイリアは一方的に話を打ち切ってルウェリンを呼びにいってしまった。
「……あなたが口で負かされたなんて、初めて見ましたよ。まあ、相手がセイリアではね……」
大尉の声に、シェーンはギロリと後方を睨んだ。
「立ち聞きの趣味があるのか、あなたは」
ハウエルは肩をすくめる。
「あいにく、これは仕事柄で」
「食えない狸め」
「酷い言われようですね、私は」
その時、ぱたぱたとルウェリンが走ってきた。
「あのっ、シェーン殿下。アース殿が、もう時間だから帰るとおっしゃっていました。……不機嫌でいらっしゃるようなので、ぼくも失礼させていただきます」
ルウェリンはペコリと頭を下げると、何か言われやしないかと不安がるような顔をしながらそそくさと立ち去った。ふーむと大尉が唸る。
「口もきいてもらえないようですね?」
シェーンはさすがに深い溜め息をつかずにはいられなかった。これは先行きが暗い。さらにハウエルは言った。
「私はてっきり、殿下が告白なさるのかと思いましたよ。『あなたが好きだからこの縁談に応じる気はない』という、絶好の口実とチャンスでしたのに」
あ、とシェーンは初めてその事に思い当たった。やっぱり恋愛のフィールドでは年上のハウエルのほうが断然知識が多いと見える。
シェーンは再度溜め息をついた。
「僕はこういうことに関しては、本当に舌が回らないな」
「口説き魔の殿下なんて恐ろしいですから、今のままでいいですよ」
シェーンはハウエルの微笑みを睨んだ。
「僕が今口説くべき相手は、あなたでもセイリアでもないんだ。このままでは引き下がらないですから。僕だって必死なんだ。公爵と話さなくては。あなたはもう下がれ」
王子らしい物言いに、ハウエルは苦笑した。
「めげない方ですね」
しかしハウエルが立ち去ったあと、シェーンは一人で頭を抱えていた。ハウエルに宣戦布告をしたのは自分なのに、戦況はいたって芳しくなかった。
「なんで告白しなかったんですか?『私はあなたが好きだから、他の娘と結婚なんてしないでくれ』っておっしゃるチャンスだったのに」
主人からさんざん愚痴を聞かされて、メアリーは冷静に言った。セイリアは言われて初めてその可能性に気付き、あ、と呟きを漏らした。それから拗ねたように頬を膨らます。
「あたしは怒ってるの。怒ってる時に告白なんて普通しないでしょ」
「あら、どう考えても普通の枠に当てはまらないお嬢様が、常識なんか説くんですか」
メアリーはにこりともせずに言い切り、セイリアが抗議として投げた枕をヒョイとかわした。そして、何もなかったかのように言う。
「それにしても、シェーン王子がセレスティア嬢とですかー。お嬢様が可愛いと太鼓判をおしたくらいの美人でしたら、絵的にはぴったりでしょうね。身分も公爵令嬢、王妃には申し分ないですし」
セイリアはふんと鼻を慣らしてむくれた。
「どうせあたしはじゃじゃ馬ですよ」
メアリーはまあ、と呟いて腰に手をあてた。
「恋愛にそんなに及び腰になっててどうするんですか。それでは永久に進展しませんよ」
「だってもう進展のしようがないわよ。婚約は陛下と公爵がお決めになったのよ。公爵が正式にバックになって、シェーンの立場もだいぶ安定する。あたしは用無し。それでバイバイよ」
もう、とメアリーは呆れた顔になった。
「そうやっていつまでも拗ねてて結構です。それでシェーン王子を失ったって知りませんから。それから、ちゃんと着替えてくださいね」
メアリーはプリプリしながら出ていき、パタンと扉が閉まる音がした。
そっか、とセイリアは今更ながら気がついた。シェーンが王になってしまい、自分も騎士を辞めたら、もう簡単に会ってしゃべれる間柄ではなくなってしまうのだ。一方的に会話を打ち切って気まずい別れ方をしてしまったことを、少し後悔した。
とりあえず着替えなかったことでメアリーと言い合う気力はないので、気乗りがしないながらもクローゼットに向かう。
その時、窓の外で誰かが騒いでいるのが聞こえた。セイリアは何だろうと思って窓の外を覗いてみた。すると、城内の警備にあたっている男が二人、誰かを押さえ付けている。セイリアは窓を開けた。幸い、夜になって吹雪は小康状態になっていた。
「何の騒ぎ?」
「あ、若様」
一人が言った。
「侵入者です。若い女性が二人」
その侵入者がぱっと顔を上げて叫んだ。
「アース殿!」
雪が縁取る金の巻き毛、その間からのぞく、小さく愛らしい顔立ち。たとえぼろを着ていようとも、その愛らしさは隠せるものではなかった。
セイリアは瞠目した。
「セレス!?」
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