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驚いたことと言ったらなかった。なんでセレスが、侍女をスザンナしか連れないで、雪の中をここまでやってきたのだろう。警備の男達も面食らったようだ。
「若様……お知り合いで?」
セイリアは急いでこくこくと頷いた。
「は、早く入れてあげて!」
そういうわけで、にわかにバタバタと忙しくなった。セイリアはうっかり召使いを総動員しようとしたが、セレスが忍んで来たことに思い当たって、数人だけを呼び寄せた。
セレスは動揺し、顔は青ざめて震えていた。暖かいスープが急ごしらえで作られ、それを飲んでもらい、体も拭いてもらった。ずぶ濡れになった服は当然着替えてもらって、セイリアの数少ないドレスから一着、スザンナには侍女の一人から服を借りて来てもらって、ソファを暖炉の前に用意し、毛布を持ってきてくるんでやった。それから体を暖めるためにブランデーを一杯と、リラックス効果のある香を薫いた。
それでようやくセレスは落ち着いた。
セイリアはセレスに圧迫感を与えないように、セレスの正面ではなく隣に座った。
こっちは走り回っていたので制服のままだ。
「セレス。一体どうしたの? どうしてこんな所まで」
セレスは身震いをして、思い詰めた口調で言った。
「わたくし、家出をしてきましたの」
「いっ、家出!?」
セイリアは思わず叫んだ。
「もしかして、シェーンとの婚約の件で?」
恐る恐る尋ねると、セレスはこくんと小さく頷いた。
「わたくし、とっても迷いましたの。幼い頃、礼儀作法の修行にいっていた修道院に身を隠すことも考えましたわ。けれど、シスターはわたくしよりお父様の味方に決まっています、わたくしにはアース殿しか頼れる方がなかったのですわ」
セレスは俯いた。金色の長い睫が青い瞳の上にかかる。
「……シェーン王子は立派な方です。けれどわたくし、妃などになれませんわ。わたくし、シェーン王子を愛していませんもの。国王を支えるべきは、家柄ではないとわたくしは思うのです」
言いながらセレスの声は徐々に強くなった。
「わたくしは無力な娘です。あるのは家柄と教養だけ、それが妃の素質とは思えませんわ。そのような重責に耐える力は持ち合わせがありませんもの。わたくしにできるのは、人を愛することだけです。そうすることでしか、力を発揮できないのです。そしてその対象は、シェーン王子ではないのですわ」
顔を上げたセレスは真っ直ぐセイリアを見ていた。その“対象”とやらが自分なのだと悟って冷や汗をかいたが、セレスの心ばえ自体には心を打たれた。
太子の妃は自分ではダメだと言っているのだ。こんなに可憐で可愛くて、気品も雅も備えていて教養があってもダメだと言うのだ。スザンナもセレスの肩に手を置いて言った。
「アース殿、迷惑は承知しております。御恩は必ずお返しします。あなた様は権力に屈さず、媚びないお方。そして立派な騎士であらせられます。ご婦人をお見捨てにはなりませんでしょう?」
心配をする忠実な侍女に付き添われた美少女に助けを乞われる。こんな絵に描いたような立場は、本当に男なら冥利に尽きるのだろうが、あいにくセイリアは女で、しかも厄介ごとを嫌というほど背負っている身であった。しかし、追い出すことなどできるはずもない。
それにしてもどうしてセレスという少女は、ここぞという時になると、こうも大胆なことをするのだろう。セイリアはさんざん悩んだあげく、息を吐いた。
「わかった。しばらくは匿ってあげる。でもそれ以上のことはできないし、不自由も我慢してくださいね」
セレスとスザンナは顔中に安堵の表情を浮かべた。
その後すぐに、セイリアは父を訪ねた。父である子爵は慌てた。
「匿うって、お前、頼るとしたらお前だと公爵も知ってるんだろう。一発でバレてお終いじゃないか! 下手したら誘拐犯の濡れ衣を着せられて……」
考えるだけで恐ろしいとでも言いたげに、父はブルッと震えた。
セイリアは腕を組んだ。
「呆れたわ、お父様。仮にも子爵がそんな情けなくてどうするの」
「情けあるかないかの話ではないぞ! しかもオーディエンは傍系とはいえ王室公爵の家だと言うのに!」
「じゃあ他にどうするの? このままセレスを帰す? あの子雪の中をさまよって行き倒れになるわよ」
「………」
子爵は押し黙り、頭を抱え、半分すてばちに言った。
「アースに聞け。わたしよりは良いアドバイスが思い付くだろう」
頼り甲斐がないなぁと思いつつ、セイリアはアースの部屋に向かった。事情を聞いたアースは仰天した。
「そんな! 婚約? えっ、いつ発表するの?」
「知らないわよ。聞きたいとも思わないし」
セイリアがむくれる一方で、アースは必死に案がないかと考えていた。
「セレスティアさんはまだ姉さんに、一緒に逃げてくださいとか、そういうことは言ってないよね?」
「え、セレスってそういうつもりなの?」
アースは肩をすくめた。
「意識的かどうかはともかく、親に逆らってまで姉さんの所に駆け込んで来たんだ、
そういうつもりは一応あるんじゃないかな。姉さん、曖昧なことばっかり言って、はっきり断ってないし。進退極まった状況なら駆け落ちも考えてるんじゃないの?」
セイリアはさーっと青ざめた。そんな無茶な。
「アース……どうしよう」
アースもうーんと唸った。
「帰らせるわけにもいかない、置いとくわけにもいかない……姉さん、もう最終手段を取ろう」
アースは突然、据わった目になった。セイリアは半歩後退りした。
「……最終手段って」
「姉さんが女だってことをばらすんだ。セレスティア嬢はそれで姉さんを諦める。そうすれば家に帰ってくれるよ」
「そんなことしたらあの子卒倒しちゃう!」
「じゃあ他に方法あるの?」
セイリアは口をつぐんだ。しばしの沈黙の後、セイリアは小さく言った。
「……もう少し、考えてみる」
自室に戻ったセイリアは布団に入ったが、悶々と悩んでいて眠れなかった。駆け落ちなんてする気はないし、できるはずもない。そもそもセレスの問題が片付いたって、それは彼女がセイリアを頼ってくることで事をこじらせるのを止めるだけで、シェーンとセレスの婚約という根本的問題の解決にはならないのだ。
なら正式に婚約が発表されるか、あるいは運良く取り消される時までセレスを置いておくほうが、秘密をばらすより賢明ではないか。しかし、そう長いこと置いておけるわけでもない。子爵より三つも格上の家柄の令嬢なのだ。
そしてさらなる問題は、信頼できる相談相手の圧倒的な不足だ。家の男衆二人は既にお手上げ。そしてシェーンに話す気はなかった。レンは? セレスの兄だ。だが顔の広さと経験値では到底大尉には敵わないはずだ。
その大尉はどうだろう。彼はなぜか、むしろこの問題を喜んでいる。ということは、あまりいいアドバイスは期待できないかもしれない。たが大尉は頼ってきたセイリアをいい加減に扱うことなどはしないだろう。
よし、とセイリアは決めた。ダメでもともと、収穫があればラッキー、なるようになる。明日大尉に相談しよう、と考えた。
翌日、セイリアはいつも通りに仕事に行った。喧嘩しただけでお務めをサボるほど無責任でないので、しぶしぶルーと共にシェーンの所へ行ったが、ほとんどシェーンとは口をかなかった。
心配事は山積みなので、それを考えることでシェーンの声を聞かないようにした。余計なことは一切言わず、いつものようにシェーンに絡んでいくこともしなかった。なんとかしてセイリアに弁解しよう、口を開かせようと努力していたシェーンも、昼を過ぎると、石のように頑ななセイリアに恐れをなして諦めた。
しかし実はセイリアはかなり退屈だった。ルーと話していても、やっぱりシェーンが相手の時よりずっと退屈だった。シェーンといるのがどれだけ楽しかったかを思って、本当はかなり心が揺れていた。話しかけるのをシェーンが諦めた時、内心残念だった。でも怒りにしがみついて、なんとか無視し通した。いずれシェーンと会えなくなった時のための予行練習と考えれば、辛さはずっと薄まった。
やっと一日が終わり、セイリアは大尉を探した。心当たりの場所を片っ端からあたっていくと、庭園に出る回廊で大尉を見つけた。
「大尉!」
セイリアは叫んだ。
「探しました」
大尉は振り返り、少し驚いたようにおや、と呟く。
「ああ、アース。私を探していたのかい? こっちも君を探していたんだよ」
誰もいないのにセイリアではなくアースと呼ぶあたり、慎重な人だ。大尉は身を屈めて言った。
「君、オーディエン公爵のところのセレスティア嬢を知らないかい? 夕べから行方不明らしいんだ」
「それなんですけど」
セイリアは急いで言った。
「実はうちにいます。家出してきて、帰りたくないと言ってます」
大尉は目を丸くした。
「じゃあ、やはり君の家なんだね。公爵は、セレスティア嬢は君に迷惑をかけまいとするだろうから、君のところには行ってないと思う、とおっしゃっておられたけれど」
セイリアはほっとした。深読みしてくれて助かった。しかし、ふと不安になって聞いてみる。
「あのう、公爵が大尉に相談したってことは、もしかして公爵は大々的にセレス捜索を始める気なんですか?」
ハウエルは首を横に振った。
「セレス嬢のことだから遠くへは行かないだろうし、すぐに見つかると公爵は考えているんだ。心配なのは山々できっと捜索隊を出したいんだろうけど、それで彼女が、家から逃げ出すような娘だと評判がついては、縁談にひびが入るだろうからね。それはなんとしても避けたいと言っていたよ。だから、信頼できる人だけに相談して、セレスティア嬢を探すつもりのようだよ」
セイリアはさらにほっとした。それは匿う方にとっても好都合だ。
「それで、アース。どうするつもりだい?」
「それが、あたしも八方塞がりで。どうしたら良いと思います? それを大尉に相談したかったの」
大尉はちらりと回りを見回し、セイリアの耳元に口を寄せた。
「残念ながら、今ちょっと忙しい身で。よければ今夜、仕事が終わり次第、君の家を訪ねるよ。その時に話そう。いいかい?」
セイリアは迷わず頷いた。なんだか少し力が抜けた。
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