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その夜、セイリアはメアリーと数人の侍女だけに、大尉が来ることを伝えた。セレスには余計なことを教えて動揺させたくなかったので、ただ、公爵は彼女を探しているけど、深読みをしてくれたおかげで子爵家にはまだ目を付けていないことを伝えた。彼女は自分の身とセイリアの身と、二重の意味でほっとしたようだった。
それからセレスは迷いながらも遠慮がちに言った。
「あの、セイリア嬢もここにいらっしゃるのですよね?」
「はあ、そうですけど」
アースなら上の自室に閉じこもっているはずだ。セレスは期待を込めて言った。
「わたくし達、時折文通していましたの。いつかお話しできたらと思っていたのですけれど」
ああ、なるほど。会いたいと言うわけか。……無理だ。セイリアと違ってアースは、彼が男だということを隠しようがないのだから。
「あー、セレス、姉は誰に対しても極度の対人恐怖症なんで、ちょっと無理かも」
セレスは少しがっかりした顔をしたが、セイリアがその代わりに、と連れていった書庫を見て歓声をあげた。
天井まで本棚がのびていて、その中にびっしりと本が詰まっている。アースが入り浸って自分で整理しているので、本の並びも見事に分類されていた。本好きにとっては、何時間でも過ごせる場所だろう。当然、セレスは喜んでこの書庫に居座った。
一方のアースは、セレスとばったり遭遇、などという事態を避けるために自室から出てこようとしなかった。夕食も、彼は皆より一足先に食べた。
日が落ちると、セイリアは自分の部屋に戻った。セレスが来てから、万が一を考えてメアリーはセイリアに着替えることを強要しなくなったので、制服のままだ。そわそわと部屋を歩き回ってハウエル大尉を待っていると、バルコニーの方からトントンとガラスを叩く音がした。
まさかとは思ったが、やはりハウエルだった。バルコニーの手摺につかまって、外側からバルコニーにへばり付いているという、見事なまでの侵入者の格好だった。セイリアは唖然とし、慌てて戸を開けてバルコニーに出た。
「た、大尉! 何やってるんですか」
大尉はニコリと笑った。
「愛する女性の元へ忍んで行って、バルコニーで秘密の逢瀬だなんていうのは、物語にも良く出てくるだろう?」
セイリアは赤くなって慌てた。
「ひっ、人が真剣に悩みを相談しようとしてるのに!」
「ロマンチックな雰囲気の中でも悩み相談ぐらいできるだろう」
「大尉!!」
「はいはい。からかってみただけだよ」
それでも心臓ばくばくだ。セイリアは軽くハウエルを睨んでやった。
「で、セイリア。セレスティア嬢がここにいることを、どれくらいの使用人が知っているんだい?」
「十人くらい。多いですか?」
「それくらいなら大丈夫」
セイリアはハウエル大尉を見上げた。
「ねぇ大尉、中に入らない? 寒くないですか」
ハウエルは笑んだ。
「大丈夫。実は用事を抜けて来たから、長くはいられないんだ。ここの方がすぐに出ていくには好都合だよ。君は寒くないかい?」
「あたしは平気。風が強くないし」
セイリアは言い、少し迷ってから続けた。
「あのね大尉。実はアースにも相談してみたんです」
「弟の?」
「ええ。それで、あの子が言うには、もうセレスにあたしが女だってこと、ばらしたらどうか、って」
セイリアはすぐ「それはダメ」と言ってくれるのを内心期待していたが、ハウエルは何も言わなかった。うーんと唸って考え込む。
「その場合の弊害は?」
「ええと、セレスのショックが酷かった場合、トラウマになるかもしれない。それと、セレスが秘密を守ってくれたとしても、セレスの態度とかで他にもあたしが女だって知られちゃうかもしれないし。あとは、ばれたらセレスには退路がなくなって、シェーンと結婚するしかなくなっちゃうってこと」
「最後のは大した問題じゃないな」
「え? なんで?」
大問題ではないか、とセイリアが思っていると、ハウエルは探るような目つきで言った。
「王子とセレスティア嬢が結婚することのどこが、君にとって問題なんだい?」
あ、墓穴。セイリアは二の句が継げなくなった。早く何か言わなければ。このままでは無言の肯定になってしまうではないか。必死に頭をフル回転させて、やっと絞り出した言葉は、我ながら言い訳めいていた。
「あの……ほら、あたしじゃなくて、セレスがかわいそうじゃない」
「だってもともと叶いようのない恋じゃないか。君が相手になれないなら、太子は最も理想的だ」
「あの、セレスがだめだっていうのよ。自分はそんな責任を負う力はない、って」
うーむと言ってハウエルは苦笑した。
「切り返しが上手くなったね」
やっぱり伊達にシェーンと口喧嘩してなくて良かった、とセイリアは一瞬得意になったが、直後に後悔した。シェーンの事を考えるだけで、胸を突き上げるような苦しさだ。
セイリアは嫌な気分を無理やり振り払った。
「ねぇ大尉。どうすればいいと思います?」
「じゃあまず、君はどうしたいんだい?」
これは困った質問だ。ハウエルはさらに言った。
「今回の婚約に動揺しているんだろう? だからシェーン王子ではなく私に相談した」
うわあ見抜かれてるよどうしよう。ハウエルは答えないセイリアを見て、一瞬絶望的な顔をした。
「二人の婚約を破棄させたいのかい?」
「あ……いえ、その……」
なんだか全部見通されているような気がした。
「それはシェーン次第で……」
「君自身の気持ちが聞きたいんだ」
「あたしは……」
セイリアは言い淀む。いくら本音を聞きたいと言われたって、一度は自分に求婚した男に、他の人が好きだと言うことはできない。
「ねぇ、セイリア」
大尉はすがるようにセイリアの手をとった。
「セレスティア嬢に、君とシェーン王子の選択肢しかないのなら、彼女はシェーン王子を選ぶしかないんだよ」
「それは……」
「彼女だって君のことが好きなままで一生を過ごすわけにはいかないだろう? 君だって将来を考えなければならないし」
「な、なんか話がずれて……」
「第一、君も私も、どんなにあがいたって陛下の決定を変えることはできないよ」
……なんだか、諦めろと説得されてる?
「あのー大尉……」
「セイリア、アースの判断は正しいと思うよ。セレスティア嬢は、逆恨みをするような子かい?」
「しないと思うけど……」
立ち直れるかどうかは別として。
「なら、やっぱり後腐れのないように、君が女だと伝えた方がいいと思う。隠し通しながら、全ての問題で上手く立ち回るのは不可能だよ」
「………」
説得力があるのでセイリアは何とも言い返せなかった。というが、手を離してくれないだろうか。しかもだんだん引き寄せられてる気が。
「た、大尉? なんか近っ……」
セイリアが本格的にヤバイと感じた時、予想もしなかった声が闇を貫いた。
「何をしてるんだ!!」
かんかんに怒った声に、セイリアもハウエルもぎょっとした。バルコニーの下、門の方に続く小道に、人が立っていた。
「えっ……シェーン?」
口をきかないと決めていたことも忘れて、セイリアは声をあげた。ドキリとしたのはこんな場面を見られたからか、それとも――。大尉はさすがに決まり悪そうな顔をして、セイリアの手を離した。シェーンは雪を蹴散らす勢いでバルコニーの下までやって来た。
「これは何の真似だ?」
責めるような口調で、完全にご立腹だ。
「暇を見つけて話をしようと来てみたら、君が甘い時間を満喫中なのを見せつけられなければならないってわけ?」
ん? ちょっと待て。怒りはあたしに向けられてるの?
それに気付いた瞬間、理不尽さにセイリアは急に腹が立ってきた。
「どこが甘い時間よ! 相談があるって言ったら、大尉は忙しい中を、この寒い中を来てくれたのよ!」
「そう、大尉といえば! あなたもあなただ。何のつもりでこんなことをしてるんだ?」
「ちょっとシェーン、話を聞きなさいよ! なんであんたが大尉のやることに口出しするの? 八つ当たりもいいとこだわ!」
「君に指図されるいわれはないね!」
「あっそう! 聞く耳すら持たないで、王太子が聞いて呆れるわ!」
「こそこそ男と密会するような節操なしに言われたくはない!」
「節操なし!? あったま来た! あんたがそんなひどいこと言うとは思わなかったわ! もう我慢できない! とっとと出てって!」
出てって、とセイリアは怒鳴り続けた。シェーンは来た時よりさらに荒い足取りで道を戻っていった。ばさっばさっと雪が跳ね除けられて、歩いた跡が残っていく。
その後ろ姿を見送って、セイリアはどっと力が抜け、その場にへたりこんで泣きそうになった。
最悪だ。
酷い、と思う。しかし自分もだいぶ酷いことを言った。もっときちんと説明して、分かってもらえたはずなのに。自分自身に一番腹が立つ。
「……セイリア?」
「何よっ」
自棄っぱちに返事をしたら、ハウエルはちょっと引いたようだった。
「ええと、時間がないから、そろそろ行くよ」
セイリアはつっけんどんな態度を恥じた。
「うん……うん、わかった。話を聞いてくれてありがとう」
ちょっと無理のある笑い方をして、大尉もバルコニーを降りていった。
セイリアはバルコニーの戸を閉め、部屋に戻ると、盛大な音を立ててベッドに突っ伏した。
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