Their Regret
二人の後悔

 

 セイリアが一人で沈んでいると、パタパタと足音が聞こえてメアリーが飛び込んできた。
「お嬢様、今の騒ぎはなんですか?」
 同時にアースも顔を出した。
「僕もそれが聞きたい」
 みんなやじ馬だ。
「なんか、シェーン王子の声がしたような気がしたんだけど」
「気のせいじゃないわよ」
 セイリアは溜め息をついて起き上がった。
「怒鳴り合いの喧嘩をしました。で、シェーンを追い返しました。それだけ!」
 姉の不機嫌を感じたアースはメアリーにこの場を任せることにしたらしい。メアリーが呆れたような表情をした。
「この期に及んで、これ以上喧嘩してどうするんですか」
「シェーンが酷いことを言ったのよ。あたしが始めたわけじゃないわ」
 メアリーは少しの間思案し、鋭いことを言った。
「お嬢様、大尉に何かされませんでした?」
 セイリアは一瞬詰まったが、小さな声で言った。
「……手を握られた」
「ははあ、それですよ。……というか、シェーン王子はなぜここへ?」
「話がしたかったんだって」
 あーあ、とがっくりした表情を、メアリーとアースは同時に浮かべた。
「なんて間の悪い……」
 セイリアは首をかしげた。
「でも、何であたしが大尉に手を握られたからってシェーンが怒るわけ?」
 メアリーとアースは二人してセイリアをじっとりと見つめた。
「姉さん……本当に分かってないの?」
「鈍すぎなんじゃないですか?」
「鈍いって……」
 セイリアが困惑していると、もう我慢できないというようにメアリーがまくし立てた。
「分かっていらっしゃらないなら言いましょう。嫉妬ですよ、嫉妬!! これでも分からないというならもう知りません。王太子妃は諦めてください!」
 まじめに仰天したセイリアが、その言葉を呑み込んでいる時間はなかった。戸口で、呟くような声がした。

「王太子妃、って……」

 その声にぎょっとして、全員が戸口を見た。なんとセレスとスザンナがそこに立っていた。騒ぎに気付いて下りて来たらしい。
 じわり、と汗がセイリアの背中から噴出した。セレスは愕然とした表情をして、青ざめている。

 こんなはずではなかった。きちんと面と向かい合って、言葉で説明しようと思っていたのに。

「アース殿は……」
 セレスが、震えたかすれ声で言った。
「セイリア嬢で、セイリア嬢が、アース殿で……」
 誰も、弁解すらできない。凍ったようにセレスを見つめた。信じられない面持ちで、セレスはこくりと唾を呑み込み、言った。
「……そういうことなのですか?」
 しっかりしなくては。セイリアが意を決し、石のようになった体に無理やり鞭を打って、やっとのことで頷いた。
「ごめんなさい、セレス。あたしはセイリアなの」
 騎士隊の制服を着たままだから、意味が分からないということはないだろう。セレスはセイリアを見つめ、何か言おうとしたようだったが、声が出ず――
 ふっとその場で、力が抜けたように失神した。




 やっちゃった。とうとうバレちゃった。


 セイリアはその夜、一睡もできなかった。話を聞いた父はうろたえるあまり、早々に寝込んでしまった。メアリーもアースも冷静からは程遠かった。セレスはスザンナが部屋に運んだが、スザンナもショックで口をきこうとはしなかった。
 これでセレスはセイリアを諦めたはずだ、などという楽観的な考えは到底できそうになかった。

 寝不足のまま、セイリアは出勤した。シェーンは、やはりというか、セイリアと口をきこうとはしなかった。お互い様なのでそれはそれでよかったのだが。どっちにしろ、セイリアはずっと考え事ばかりで仕事に集中していなかった。いつもは注意される側のルウェリンに、逆に注意されてしまう有様だった。
「アース殿、大丈夫ですか? 具合でも悪いのですか?」
 心配そうに聞いてくれるところが、なんとも無邪気だ。

 セイリアはその日も、仕事が終わると大尉を探した。ハウエルは兵の練習場にいた。
「ごめんね。私のせいであんな騒ぎになってしまって」
 彼はばつが悪そうに言った。
「どうかしたかい? 顔色が悪いよ」
「大尉……セレスにばれました」
 ハウエルは目を瞬いた。
「そうか、話したのかい?」
「そうじゃなくて、メアリーとアースと話しているところを見られたんです」
「えっ」
 さすがにハウエルも驚いたようだ。
「……それで、セレスティア嬢は」
 回りを気にして、彼は声をひそめた。セイリアも小声で返す。
「予想通りというか、卒倒です。今も寝込んでいます」
 そうか、とハウエルは呟いた。
「では……そうだね、セレスティア嬢が回復したときには、声をかけてくれ。レナードを迎えに行かせよう」
「ありがとうございます」

 大尉はちょっとの間黙っていたが、セイリアの頭にぽんと手を置いた。
「最近、よく私を探しに来てくれるね」
「え? えっと……」
 セイリアは困惑する。ハウエルは少し寂しそうに笑った。
「あのね、私はセイリアが好きだよ。今すぐもう一度求婚したいくらいに。でも、セイリアが私をシェーン王子の代わりにしているなら、私はちっとも嬉しくない」
 セイリアは黙った。やっぱり全部見透かされている。
「だから、いっそ二人がくっついてくれたほうが、私としてもまだ気分がいいんだ。
期待していいのか、いけないのか分からないような、宙ぶらりんにしないで欲しい」
「大尉、私は……」
 セイリアは言いかけたが、大尉はやわらかにセイリアの口を塞いだ。
「まずはシェーン王子に言って差し上げなさい」
 セイリアはどう答えていいか、分からなかった。昨日とまるで意見が違うではないか。昼間だから、臆病にでもなっているのだろうか?

 でも、セイリアは悩んだ。昨日のメアリーのあの言葉。シェーンも、セイリアが好きだという意味だろうか?どうしよう。嬉しいけど、同時に怖い。どうやら自分はとことん鈍いようだし、恋愛のことなんてさっぱりだ。……いや、シェーンもそうか。素人同士、頑張っていけということ?
 ますます混乱していく思考に、セイリアは頭を抱えた。でも、それでも、メアリーが言うことが本当なら、それは本当に素敵なことだ。セイリアだってロマンチックなものに心がときめかないわけではない。大尉だって背中を押してくれた。
 ――一度、この気持ちに素直になってみたほうがいいのかもしれない。


 門番から馬を受け取ってそれにまたがり、待っていたルウェリンと一緒に帰ろうとしたとき、セイリアは一台の馬車に気付いた。ちょうど少年が一人乗り込んだところだ。
 ……シェーン?
 こんな夕刻にどこへ向かうつもりなのだろう。一瞬気になったセイリアだったが、きっとまた誰かに相談があるのだろうと思い、気を取り直して愛馬のあぶみを蹴った。


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 一方、シェーンもシェーンで後悔していた。嫉妬に狂ってあんな暴言を吐くなんて、いつもの彼らしくないし、確かにひどすぎる。それでも謝る方法を思いつけず、また、王子としてのプライドに邪魔されて身動きできなかったのだ。
 プライドか、とシェーンは自嘲気味に思った。側妃の子のくせにプライドが高いだなんて、笑える。欲しいのに手を伸ばせないなんて馬鹿みたいだ。自分から行かなければ、セイリアは振り向かない。それは分かっている。
 分かってはいるのに。
 でも、好きだからといって、簡単に手を伸ばすわけにもいかないのも事実だった。未婚の女性が男性と交際するなんてありえない。交際する場合は当然、結婚前提となる。でも、シェーンの立場はいまだ不安定だし、セイリアの家柄は、貴族とはいえ国母を生むには少々低い。いっそ新しい爵位でも授ければいいのかもしれないが、それに足る手柄もない今、そんな暴挙には出られない。それでも、セイリアを諦めろといわれたら自分はできないと答えるだろう、とシェーンは思った。
 だから、公爵家との縁談をどうにかしなければならない。たとえセイリアが自分で相手を選ぶにしても、彼女は誠意のない人間には目もくれないだろうから。
 諦められないなら、努力するまで。

 だからシェーンは馬車に乗った。最近はずっとセイリアに馬に乗せてもらっていたから、久々の馬車だ。御者もちょっと驚いていた。

 シェーンは今日、父親に直談判してきたのだ。前国王が健在のうちに位が譲られるオーカストの王制、先代と現国王が二人で統治という形になることが多い。けれど、王はあくまで現王一人。シェーンは自分の治世は自分のやり方でやらせて欲しいと言った。だから、伴侶であり、国の母となる女性も自分で選ぶ、と。父はむしろ嬉しそうに、分かったといってくれた。なんだかけしかけられた気もしたが、気にしてはいられない。

 御者がシェーンに声をかけた。
「殿下、オーディエン邸に着きました」




2006.12.03