Efforts and a Needless Worry
努力と杞憂

 

 セレスはなかなか起きてくれる気配がなかった。スザンナによると、意識はあるのだが放心状態で、周りで何が起ころうとまったく気をかける様子がないらしい。立ち直れるのかしら、とセイリアは不安そうにつぶやいていた。
 一方、アースは一人で責任を感じていた。公爵令嬢がいることを知りながら、自分の部屋を出てきてしまったことで、こんなことになってしまったのだと感じて悔いていた。しかも、ばれた際には慌ててばかりで、ちっとも役に立てなかった。このままでは、ますます双子の姉の負担になるばかりだ。
 だからもういっそ、心の準備も何もかもすっ飛ばして、姉弟入れ替わりをしてしまおうか、とも言ってみたが、セイリアに却下された。時期尚早とのことだった。
「それはセレスの出方を見てからよ。大体、あんたに騎士が務まるわけ無いでしょ。言うならちょっとは武芸を練習してからにしなさい」

 おかげでアースは少し頭を冷やすための時間を作れたのだが、同時に途方にくれてしまった。何もさせてもらえないのが悔しく思えた。
 アースは、一番落ち着ける書庫に閉じこもって、いろいろなことを考えた。確かに今は、身動きのしようが無い。シェーンが動くのを待つだけだ。
 ……彼はどうするだろう、とアースは考える。姉と喧嘩した今、それでも状況打開に努めるだろうか。そもそも彼は、姉と一緒になろうと思っているのだろうか。太子の彼のことだから、好きだという理由だけで動きはしないだろうし、喧嘩しただけで拗ねて動こうとしないことも無いだろう。もし彼が姉は妃にふさわしくないと思った場合は、その時点でアウトだ。何もできはしない。
 もしそうは思わないなら、彼はすでに動いているのではないか。なら、自分たちはやはり動くべきでない。王子に任せておいたほうが良いだろう。
 はあ、とため息をつく。やっぱり何もできないのだ。
 せめて、とアースは考える。セレスティア嬢との問題くらい解決できないだろうか。このままではいつ家に返してやれるかもわからないのだ。どうしたら立ち直ってもらえるだろうかとアースは考えて、そして、手紙を書いてみることにした。いきなり訪ねるのも、アース自身怖かったし、セレスティア嬢にも良くないと思ったのだ。
 姉弟の事情も包み隠さず書き、謝罪を入れ、とにかく誠実に……そして、詩を一説添えて――短いものだったが、有名な詩の一説をアレンジしたもので、セレスティア嬢が以前使ったのと、同じ手法だった――それを、侍女に預けておいた。それがアースのできる精一杯のことで、アースはそれを終えると、ぼんやりと姉のことを考えた。
 ――恋って、なんて波瀾万丈なんだろう、と。

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 セイリアは出勤した。今日はシェーンと口をきこうと思っていたのだが、まるきりタイミングがつかめなかった。シェーンはとても忙しかったのだ。移動するにも、走る走る。そしてシェーンもなにやら話し出せないらしく、相変わらず気まずい空気が流れてしまっていてだめだった。
 午後になってようやく落ち着くと、やっと話しかける機会ができたのだが、どう切り出して良いんだろうと思って逆に話せなくなってしまった。シェーンが書類の処理に明け暮れている部屋の外で、どうしたらいいんだと悶えているうちに、結局一日が過ぎてしまった。かろうじて帰る際に「また明日ね」とだけ言うことはできたのだが。
 あーあ、なんて嫌な自分。シェーンが絡むこと以外では、迷うことなく突き進めるのに。
 廊下をとぼとぼと歩いていると、セイリアはオーディエン公爵が帰るところを見つけた。セイリアは足を止めた。今の状況では何一つ問題が片付いていないのだけれど、これだけは片付けておくべき問題ではないだろうか。でないと、他のどの問題が片付いても意味が無い。
「ルー」
「はい」
 ルウェリンはきちんとついてきていた。最近になって少し落ち着きが出て、ちょっとは従者らしくなった。
「公爵と話したいことがあるから、少しここで待っていてくれない?」
「はいっ、いってらっしゃいませ」
 従順な子だと思いながら、セイリアは公爵を追いかけた。

「公爵!」
 公爵は振り返る。セイリアの姿をみとめて少し眉をひそめた。
「何だね、ヴェルハント殿」
「お話したいことがあります。……セレスティアさんのことで」
 セイリアはなるべく、意味深に聞こえるような声色を使った。公爵が黙り込み、少ししてから静かに言った。
「よかろう。内密のものか?」
「はい」
 公爵が軽く手を振ると、お付の者たちはさっとどこかに消えた。

 公爵はセイリアを見つめた。
「で、話とは何だね」
「セレスティアさんは今、ヴェルハント邸にいます」
 公爵はどうやら、内心かなり驚いて、うろたえたようだった。
「君の家に?」
「はい。うちで預かってます。数日前、うちへ駆け込んできたので」
「セレスティアは無事か?」
「はい。あ、でも今はちょっと……」
「何だ!?」
「……ショックで寝込んでます」
 公爵の表情が険しくなったので、セイリアは言った。
「私が、セレスに、気持ちに応えることはできないと伝えたんです。それでそのまま倒れてしまいました」
 公爵の表情が、今度は訝るようなものに変わった。
「君は……拒んだのかね?」
「はい、私は王子の元で、許される限り働きたいと思っています。まだ結婚なんて考えられません。私はシェーンが安定した王座につくまでついていたいんです。だから断りました」
 それが全てではないけれど、まあ嘘でもない。セイリアの誠意が伝わったのか、公爵は黙り込んだ。セイリアは付け加える。
「私はセレスとどうにかなるつもりはありませんし、彼女か回復し次第、身柄はそちらにお返しします。ですが、私のことも彼女のことも許してもらえませんか。そして、彼女に好きな人ができたときは、その人と結婚させてあげてください」
 唐突な願いに、公爵は驚いたように目を見開いて、それから厳しい声で言った。
「虫のいい、失礼な願いだな」
「分かっています。でも大事なことです。セレスは私に、自分は王妃になれないと、震えながら言ったんです。そんな大役を背負うだけの力はないと」
 公爵の指先がぴくりとなった。
「セレスは強い女の子だと、私は思っていました。でも、その強さは大切な人がいてこそ発揮できるのだそうです。シェーン王子を自分が愛せていない以上、国母など到底なれないと、そのようなことを言っていました。それは本気だと思うんです。彼女はとてももろいところもある。だから、いつか彼女に、私じゃなくて他の人に、好きな人ができたら、許してあげて欲しいんです」
 セイリアは少し考えてから付け足した。
「……セレスのことだから、ちゃんと自分に見合った人を選ぶと思いますし」
 自分が彼女に見合っていたかどうかは疑問なので、ちょっと説得力に欠けているかもしれないが。
「つまり、セレスティアとシェーン殿下の婚約を取り下げよというのか?」
 公爵は低い声で言った。その無表情にセイリアはちょっとだけ弱気になった。
「じゃないと、セレスがかわいそうなんです。見ててかわいそうです。それに、許されないのだから帰りたくないと言われたら困りますし」
 セイリアは言い、公爵の表情を伺った。うーん、実は半分以上自分のためだから、全部表情に出ていたらやだなぁ。内心ヒヤヒヤだ。

 公爵は軽く息をつき、セイリアから視線をそらして、窓の外の白い雪を見た。
「ヴェルハント殿、そこまでしゃべらせてからで悪いが、それは杞憂だ」
「はい?」
「杞憂だと言っている。わたしは既に王子と話して、婚約を取り下げた。未発表が幸いしたな」
「え?」
 もう解決済み?
「え、え、もうですか?」
「先日王子が尋ねてきて、同じようなことを話していかれた」
 セイリアは唖然とした。……シェーンが?
「だから杞憂だ。セレスティアは王妃にはならぬ。君のアドバイスも一応、心に留めておこう」
 セイリアはびっくりしたあまり、ぽかんとしてその場に突っ立っていた。公爵はセイリアを正面から見た。
「君はおかしな人だな、ヴェルハント殿。結婚を家と家ではなく、一人と一人のものだと考えているのかね。……まあ、そう考えたい気持ちも分からなくは無いが」
 言うと、公爵は指を鳴らす。控えていた御付きがささっと現れた。
「家で仕事が待っているのでね。失礼する」
「あ、はい、こちらこそ失礼しました……」
 拍子抜けしていたセイリアは、慌てて頭を下げた。

 公爵が去ると、セイリアは急いでルウェリンの所へ向かった。歩きながらも、頭はさっきの会話でいっぱいだった。
 シェーンが自分から、婚約を取り下げに行った?それは彼が自分を思っていることの証拠になるとは思えなかったが、それでもずっと胸につかえていた灰色の塊が、透明な光に満たされていくような、そんな嬉しさを感じた。
 セイリアは一歩ごとに体が軽くなっていくような気がした。

 シェーンは自分から、婚約を破棄したんだ。
 他の誰かのものに、なる事は無いのだと。



2006.12.28