The Matter Takes a Turn For The Better
好転

 

 アースの元に返事が来た。とても短かったが、とにかく返事は来た。差出人はセレスティア。どうやら前後不覚の状態から少しは回復したらしい。アースはそれを持って双子の姉の所へ駆け込んだ。
「姉さん!セレスさんが少し治ったみたいだよ」
 どうやら今日は機嫌が良いらしく、セイリアはすぐに飛んできた。
「本当? これ何? 同じ屋根の下にいるのになんで手紙なの?」
「僕が手紙を送ったからだよ」
 セイリアはあきれた顔をした。
「病人の見舞いに行くのも怖いほど、あんたって対人恐怖症なの?」
「そうじゃなくて。話しかけて返事が来るような状態じゃないだろうと思ったんだ。それにほら、僕とセレスさんは今までずっと手紙でしか話したことはないんだし」
「ああ、そっか……」
 セイリアは少し考え込んだ。

 それから突然はっとしたような顔になり、ねぇっ、と興奮したように言った。
「アース、聞いて聞いて。シェーンがセレスとの婚約の話を破棄したの!」
「え!?」
 アースは素直に驚き、そして嬉しくなった。
「動いたんだね、シェーン王子。自分で破りに行ったんだね」
「そうなの。シェーンが自分から切り出したらしいの。ま、これで心置きなくセレスを家に帰せるわよね。……立ち直ってくれればの話だけど。でもまあ、ほら、根本問題は解決したわけだし?」
 上機嫌なのはこのせいか、とアースは納得した。セイリアはアースをちらりと見て、言葉を濁した。
「そ、そのう。あたし、ちょっとは期待していいんだと……思う?」
「姉さん自身はどう思うの?」
 アースは笑って聞き返した。セイリアはむくれる。
「意地悪。言えないわよ。言って後で自惚れだったらどうするの」
「姉さん……怖いの?」
 セイリアは少しの間黙っていた。
「よく分からない。そりゃ、あたしはシェーンが好き。大好き。どんなに喧嘩しても酷いこと言われても、結局最後に残るのは、やっぱり好きだってことなのよ。でも……うん、怖いのかもね。期待していいのかなって思っても、何か行動を起こす勇気はないし。一応相手は太子だし。いばらの道よ」
 うわあ、とアースは思った。あの姉が、双子の片割れが、恋する乙女だ。本当に乙女だ。いささか自覚が足りないし、色々分かっていないように思えるが、セイリアは確かに、着実に女性へと変わっていっているように思う。
「いばらの道だなんて、姉さんらしくないよ。姉さんなら棘を踏み倒してがんがん進むでしょうが」
「そうね」
 セイリアは微笑む。
「まあ、とにかく明日はシェーンと口をきくわ。ごめんねって言わないと」
「姉さんから謝るの?」
「だって絶対、シェーンからは折れてくれないもの。それにもちろん、あたしに非がなかったわけじゃないんだしね。あたしは素直でいたいの。シェーンみたいにひねくれてないのよ」
 言ってセイリアはさっと立ち上がった。
「さ、それじゃ行きましょう。セレスの所に。色々教えてあげないといけないし、話し合わなきゃ」
 アースは一瞬固まった。
「え、僕も?」
「手紙を書いた張本人の代わりにあたしが返事したってしょうがないでしょ」
「いやっそうだけど心の準備が……」
「リハビリよ、リハビリ。何も群衆の前に出るわけじゃないんだから」
 アースはずるずると引きずられていく。
「でもっでもっ、同じ年頃の女の子なんて姉さんやメアリー以外に話したことないよ!」
「女々しい事言わない! 男ならもっとキリッと!」
「男前な部分は姉さんが僕の分まで持ってっちゃってるんだよー!!」
 結局いつものことながら、騎士隊に首席で合格した姉に、引きこもりの弟が勝てるはずはなかった。



 さてと、とセイリアは気を引き締める。正直セレスに会うのは少々怖いが、今は何だってできる気がした。渋る弟をしっかり捕まえながら、コンコンと戸を叩いた。わずかに戸が開いてスザンナが顔を出す。
「まあ……どう……なさったのです?」
 少々彼女は狼狽した風だった。
「セレスに会える?」
「お嬢様に……ですか? お待ちください、お伺いを立ててきます」
 一度扉は閉まり、意外とすぐまた開いた。
「お会いになるそうです。どうぞお入りください」
 あー……とアースが悲愴な表情を浮かべてついてきた。

 セレスは起き上がっていて、ひっそりと立って双子を迎えた。幾分やつれたようだ。それでもそのおかげで一層、儚げな空気と憂いとが相まって、以前のあどけなさではなくて、しっとりした美しさがある。花妖精というより、雪妖精のように見えた。
「セイリアさま、アースさま」
 セレスは言ってふんわりと礼をした。
「お世話になっておきながら、こちらから足を運ばず、申し訳ございません」
「いいのよ。そんなにかしこまらないで」
 セイリアが言うとセレスは顔を上げ、ふっと悲しそうに笑った。
「今日はドレスなのですね」
「え? あ、いや、これはメアリーにむりやり……」
 言ってから、そんな感慨ゼロな話ではなかったと気付いてセイリアは黙った。セレスはぽつんと言った。
「わたくし、大失恋しましたのね。家まで飛び出してきましたのに、恥ずかしいですわ。令嬢失格ですわね」
「そうかしら。自分の信じる道を選ぶのって、そんなに恥ずかしいこと? そもそも、あなたが恥知らずなのだとしたら、あたしはどうなるの。太子の護衛騎士をやっているのよ」
 セレスは目を見開き、くすりと零れるような笑みを見せた。
「……変わりませんのね。わたくし、あなたのそういう所が大好きだったの」
 うーん、どう反応していいんだか。後ろでアースがぼそりと呟いた。
「というか、そもそも姉さんと比べるの、間違ってるよ」
「黙んなさい」
 セイリアはアースに肘鉄を食らわせた。

 セレスは姉弟の様子におっとりと笑った。
「そちらが、本当のアース殿ですのね。なぜ隠れていらっしゃるの?」
 アースが見事に凍ってしまったので、セイリアが説明した。
「人と会うのを極端に怖がるの。気にしないで、慣れてくればしゃべるから」
「あら……残念ですわ。文通してくださっていたのはあなたなのでしょう?」
 消え入りそうな声で、アースは「はあ……」と呟いた。
「あなたの手紙のおかげで、わたくし随分元気になりましたの。お礼を申し上げますわ」
 セレスが言うと、アースは目を丸くした。
「え……本当に?」
「はい。特にあの詩が。嬉しかったです」
「よかった」
 アースは一瞬笑顔になり、それから慌てて再びセイリアの後ろに隠れた。叱ってやりたい気もしたが、セイリアは本題に入ることにした。

「そう、セレス、報告があるの、シェーンはあなたとの婚約を破棄したわ」
「えっ!?」
 セレスは小さく叫んで口元を押さえた。
「ほ、本当ですの?」
「あなたのお父様のところへ行って、直談判してきたんだって。だからあたし、あなたのお父様に、あなたがここにいることを話してきたわ。あなたが回復するまで、待っていてくださるそうよ」
 セレスはほっとした顔になり、そして、急に思いつめた様子で俯いた。
「……お父様にあわせる顔などありませんわ」
「それでも、心配していたのは確かよ。あなたの居場所を教えたとき、真っ先に聞いたのが、“セレスティアは無事か?”だったもの。それに、あたしがあなたを振ったことにしておいたの。だからあなたもあたしも無罪。ついでに、いくら家名がかかっていたって、恋する乙女をいじめちゃいけませんって釘を刺してきたわ」
 セレスはセイリアの言い草に目を丸くし、疑い深そうにきいた。
「お父様はなんておっしゃって?」
「考えておこう、ですって」
 曖昧な返事にセレスはちょっとがっかりした顔をし、すねた表情になって、それから微笑んだ。
「ありがとうございます。そこまでしていただけるなんて」
「いいの。あたし、これでもあなたが好きだもの」
 セイリアが言うと、セレスは驚いた顔をして、それから突然セイリアに駆け寄って手を握った。
「本当に? お友達になってくださる? わたくし、あなたに失恋したけれど、女の方と分かってもやっぱりあなたが大好きなの。バカな女だとか恥ずかしい女だとか思わないで、仲良くしてくださるの?」
 美少女のドアップ、すがるようなうる目。文句なしのノックアウト。断る人間なんているはずがない。
「もちろんよ。セレスこそ、いいの? あたし、本当に“騎士アース”そのまんまよ。品も教養もへったくれもない女よ」
 セレスは破顔して、それはもう嬉しそうにセイリアに抱きついた。
「セイリアさん! ……大好き!」
 セイリアが見てみると、アースはいまいち、この“大好き”がノーマルな“好き”なのか自信が無いようで不安そうな顔をしていたが、ともかくセイリアはほっと一息をついた。
 なんて良い子なんだろう、セレスって。こんなに騙されて恋を失って、それでも大好きだといってくれるなんて。
 とにかく、本当によかった。セレスは立ち直ってくれたようだ。

 あとはシェーンだけだ。 ―― セイリアだって、彼がどんなに報いてくれなかったとしても、やっぱり大好きなのだから。
 勇気を出さなければ。



2007.01.12