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今日こそは!!
セイリアは気負って出かけた。馬にもその気負いが伝わっているらしく、だいぶ早駆けになってしまって、ルウェリンはついてくるのに必死だったようだ。
セイリアは王宮の入り口の白い階段を駆け上がり、なんだかいつもと様子の違うセイリアに驚く宮廷人たちを横目に、シェーンの部屋へ急いだ。取次ぎの人に、急いで言う。
「太子付護衛のアース・ヴェルハントと、従者のルウェリン・カイゼルです」
おや、と取次ぎの人は首を傾げた。
「太子は三日休みを取ると仰っていましたので、執務室にはいらしていないはずですが……聞いていませんでしたか」
は?
セイリアはルウェリンを振り返ったが、彼も何も知らないらしく、息を切らしながらも呆然としていた。気合を入れてきただけに、肩すかしを食らった衝撃は大きい。
「えと……つまり今日は来なくてよかったってことですか?」
「さあ、それはなんとも。プライベートとはいえ護衛をつけないでいることはないでしょうが、あなたでなければ別の者が任についているのでしょう」
ああ、そういえば他の護衛もいるのだっけ。まあ、セイリアだって不眠不休で24時間シェーンに張り込んでいられるわけはないのだから、交代制は当然なのだが。
なのだが。
「むかつく―――― っ!!」
セイリアは誰もいないのを確認してから、庭園の真ん中で太陽に向かってほえた。ほえるだけほえたら、怒りが収まった分、傷ついた気持ちだけが残って、がっくりと肩を落とす。
「あのー……アース殿?」
ルウェリンが恐る恐る声をかけてきた。
「気を落とさないでください、アース殿っ。あの、僕で良ければ手合わせの相手になりますよ。ストレス発散にどうです?」
セイリアは首を横に振った。
「大丈夫。今のですっきりしたし」
「……本当ですか?」
「うん、私に休みのことも教えてくれなかったし、他の護衛を呼ぶし、無駄足は踏むし、せっかく謝ろうと思ったのに本人がいないし、全部、シェーンのせいだから。シェーンのバーカ!!」
ルウェリンははあ、と呟いて曖昧に笑った。
「でもアース殿、シェーン王子はどこか遠くに出かけたわけではないのでしょう?」
さっきの取次ぎ人は、シェーンは王宮の奥で休んでいると言っていた。疲れがたまっているのだろう、と。
「そうだけど?」
「なら、探しに行ったらいかがでしょうか?」
「王族の寝所に踏み込むの? あのね、ルー。私、いくらなんでもそこまで非常識じゃ……」
「アース殿なら大丈夫ですよっ。シェーン王子の最も信頼する方ですからっ!」
ルウェリンは自信たっぷりに言った。そう確信できていたらこんなに落ち込んでいない、と内心突っ込みを入れる。
セイリアは溜め息をついた。
「もういいんだよ、ルー。また今度、シェーンの休みが明けたら出直そう。今日は久々に騎士隊の訓練所に行かない?」
いつものようにぱっと表情を輝かせ、とろけそうな顔をしたルウェリンだったが、すぐ心配そうな顔に戻った。
「よろしいんですか?」
「いいの、いいの。たっぷり休んだ後ならシェーンも機嫌良いでしょ。そのときならこっちも気分よく話せるし」
結局ルウェリンは説得されてついてきた。
回廊まで戻って来た時だった。セイリアはなんとなく王宮の奥を見つめて、シェーンはどの辺りにいるのかなと考えていた。
ふと視線を移したら、カーター医師が召使いの女性と全力疾走しながら怒鳴り合っているのが見えたのだ。
「落馬!? シェーンが何で馬に乗るんだ?」
「知りません! 突然練習すると言い出したんですよ! そのために予定を空けようと、ここ何日か、夜遅くまで仕事をなさっていたくらいなんです。けどあの通り、馬には縁がない方で、慣れておりませんから」
セイリアは仰天して、回廊の窓から身を乗り出した。
「カーター先生! どういうことですか!?」
カーターがこちらに気付いた。走り続けながら叫んでいる。
「落馬だ! わしにも詳しいことは分からん! 急ぎなんだ、失礼するぞ!」
そのままカーター医師は女中とともにバタバタと走り去ってしまった。
セイリアは呆然とした。
休みを取ったシェーンが乗馬しようとして落馬? わけが分からない。
ルウェリンが強く袖を引いた。
「アース殿、行きましょう!」
言われるまでもない。セイリアは急いでカーター医師たちの後を追った。
落馬。打ち所が悪ければ、即、昇天だ。大丈夫なんだろうか。
じわじわと不安が膨れ上がってきて、セイリアは気が気ではなかった。
気がつくと、王宮の中でも入ったことの無い区域を走っていた。まだそれほど奥には入っていないはずだと思いながら、カーター医師の後姿を追う。建物の中を抜けて、また外廊へ。馬小屋が見えた。王家専用のだろうか。
ようやくカーター医師は、とある部屋の前で立ち止まり、その中に入って行った。後を追い、駆けつけようとすると、いつかと同じように怒鳴り声がした。
「診察の邪魔だ! 出て行け!」
と同時に、ドアから大量の女中が吐き出され、とても入れてもらえそうにないと判断したセイリアも仕方なくドアの外で待つことにした。
女中たちががやがやと噂をしているのを拾い聞いた限りでは、シェーンが馬に乗っていたとき、突然馬が前足で跳ね上がって、その際馬の背から転がり落ちたらしい。気を失っていると聞いてセイリアは今すぐ部屋の中に駆け込みたかったが、そんなことをしようものならカーター医師に窓から外に投げられそうだと思って耐えた。
少しすると、カーター医師が出てきた。みんなが息を呑む。カーター医師はセイリアを見つけて手招きした。
「お前を呼んでいる」
り、臨終ですか!?
とにかく急いで部屋に入る。ルウェリンも一応ついてきた。
シェーンはベッドの中にいて、目は覚めていた。
「軽い脳震盪だよ。少し休めば治る」
シェーンが自分から報告してくれた。カーター医師が横から口を出す。
「安心するのはまだ早いぞ。今のところ、内出血はしていないようだし骨も折っていない。だが、まだ頭痛がするんだろう?」
「大丈夫だってば。この程度でどうにかなってるなら、僕はとっくに死んでる」
それからシェーンはちらりとセイリアを見て、溜め息をついて額を押さえた。
「あーあ、こんな情けないところ、見せるはずじゃなかったのに……」
無事のようだ。元気そうだ。そう分かった瞬間、セイリアの中で何かが崩れた。もう訳もなく安心して泣けてきて、セイリアは目が霞むのを感じながら怒った。
「久しぶりに口がきけたと思ったら、それが第一声? 自分の能力を把握しないまま馬に乗るからそうなるんでしょ! あーもう、バカバカシェーンのバカぁ!」
自分でも何がなんだか分からなくて、セイリアは泣きながらその場に座り込んでしまった。シェーンは驚いた顔をし、それから途方に暮れたようにカーター医師とルウェリンを見つめ、言った。
「少し席をはずしてくれ」
「しかし殿下、興奮状態の者と二人きりで残るのは……」
「いいから」
カーター医師は大げさな溜め息をつき、ルウェリンと一緒に出て行った。それを見届けると、シェーンはセイリアに向き直った。
「セイリア」
セイリア鼻をすすった。
「何よ」
「怒ってる?」
「怒ってる」
「黙って急に休みを取ったから? その上君を護衛に呼ばなかったから?」
「……」
何で全部読まれているんだ。
はあ、とシェーンはまた溜め息をついた。
「計画が丸つぶれだ」
「計画? なによそれ。悪かったわね、お邪魔して! だってそもそも、シェーンがあたしに来なくていいって言ってくれていれば、あたしはこんな肩すかしを食らったような気分になったりしなかったわよ」
シェーンは眉をひそめる。
「肩すかし?」
「本当は謝ろうと思ってきたの。でもやめたわ! あたしの方がずっと色々酷いことされてるもん」
涙でぬれた頬を膨らませて鼻声で訴えたって、どんなに怒っているか、ちっとも表現できなかったに違いないが、セイリアはそう言い切った。シェーンは困惑し、ぼそぼそと言った。
「怒らせるつもりだったんだよ。それでその後、三日で乗馬を特訓して、馬で颯爽と登場して謝りに行ったら、見直してもらえて、許してもらえるかなって」
「……は?」
シェーンは仏頂面で窓の外を睨んでいる。
「我ながらバカな計画だったよ」
つまりはあたしに許してもらおうって計画を? あんなに嫌がってた乗馬を特訓して? 颯爽と現れようと?
「あっ、あの、シェーン……」
今しかない、と思ってセイリアは言った。
「ごめんね。あたし全然シェーンの言い分、聞こうとしてなかった。婚約って聞いて気が動転してたの。あたしも許すから、シェーンもあたしのこと、許してくれる?」
シェーンは目を瞬き、ほっとしたように頷いた。それから、言いにくそうに言う。
「僕も、その……ごめん……」
相変わらずプライドの高いやつ。
そしてシェーンは真剣な顔になる。
「セイリア、今、僕が婚約するって聞いて動転したって言ったよね。どうして?」
「えっ」
ちょっと待って。心の準備ができていないのに、今すぐ言えと!? まだ久々の会話でテンポがつかめていないのに。シェーンはベッドの中の怪我人なのに。
「いっ、いいじゃないの。びっくりしたってだけよ!」
逃げようとしたセイリアの腕を、シェーンは飛び起きて掴んだ。
「わーっ、放してよ! っていうか寝てなさい!」
「それどころじゃない! 言うまで返さないから!」
「あんたにそんな権利はないー!」
「ある! 太子の権限! 行使するよ!」
袖を振り切ろうとしたセイリアだったが、シェーンもいつになく必死だった。焦って、足に力を込めて一気に腕を抜こうとしたが、体勢が悪かったらしい。重心のバランスがとれなくなって、足が滑り、見事にベッドにダイブする格好になってしまった。
「あっ!」
「うわっ」
イコール、シェーンの上にダイブなわけで。馬から落ちて、全身を強く打ったばかりであろう怪我人なわけで。
「いっ……!!!」
シェーンは苦痛のあまり声にならない悲鳴を上げた。セイリアは慌てた。
「ごっ、ごめ……!」
しかしシェーンはなにを思ったのか、、慌てて起き上がろうとしたセイリアを引き寄せ、抱きしめた。今度こそ頭の中で何かがが吹っ飛んだ。
「わーっ!! 何すんのー!!」
暴れようにも暴れられないセイリアは真っ赤になってシェーンの耳元で叫んだ。シェーンはかまわず、逃げようとするセイリアの頬をがしっと両手で包む。明らかにセイリアの態度に対して不機嫌になっているのだが、その手つきは乱暴な動作に似合わず優しかった。
セイリアは驚いて叫ぶのをやめた。至近距離で見つめあうこと数十秒。
シェーンは海色の瞳でセイリアの顔をとっくり眺めたあと、そっとセイリアの肩に手を回して……頬に、口付けをした。
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